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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2007/11/20

ガンダーラの半跏思惟像


半跏像は弥勒菩薩とは限らないでインドやガンダーラに菩薩半跏像はなかったと書いたが、ガンダーラにはあることがわかった。 

『ガンダーラ美術の見方』は、日本では半跏思惟像といえば「弥勒菩薩」だと思われている。しかし、これは朝鮮半島と日本だけでのことであって、西域から中国大陸における半跏思惟像で、弥勒と銘刻のある作品は全くない。 
ガンダーラで彫られた半跏思惟像には、釈迦が悟りを開く以前の釈迦菩薩(シッダールタ太子)像と、観音菩薩とがある。半跏思惟像の考え深い姿は、瞑想に耽る若き釈迦の姿としてふさわしい。また、観音菩薩と釈迦菩薩は、図像上も共通するところが多く、ガンダーラでは半跏思惟像の姿で彫られたものも少なくない。  
中国大陸で彫られた半跏思惟像にも、「太子」の銘がある作品があるが、弥勒菩薩像と断定できる半跏思惟像はない。「太子」とは、シッダールタ太子のことである。  
ガンダーラで完成された釈迦菩薩半跏思惟像(太子像)の図像は、花郎の前世の姿「弥勒菩薩」とみなされ、6世紀中頃の真興王(540-576年)の頃から大いに流行して作られた。
我が国に渡来した最初の仏像は百済から来た釈迦像は『日本書紀』によれば欽明13年552年『元興寺縁起』では宣化3年、538年である。続いて、日本最初の弥勒像は『日本書紀』によれば敏達13年、584年が、やはり百済から渡来した。この最初の弥勒像は半跏思惟像と推定されている。
ガンダーラで最初に作られた釈迦菩薩半跏思惟像(2世紀)の姿は、西域、中国を経て、朝鮮半島で「弥勒」と名を改められた
という。

日本の弥勒半跏像にもいろんな説があるようだ。
『ガンダーラ美術の見方』に記載された2体の釈迦菩薩半跏思惟像を紹介すると、

釈迦菩薩半跏思惟像 スワート出土 砂岩 2~3世紀 マトゥラー博物館蔵
写す方向にもよるのかもしれないが、私にはガンダーラの作風というよりもマトゥラーの作風が色濃くみえる。
釈迦菩薩半跏思惟像 出土地不明 片岩 3~5世紀 竹林寺蔵
こちらはガンダーラ彫刻に近い顔つきだが、どうもガンダーラ仏と思えない体つきだし、瞑想しているにしては過度の動きのある表現に思える。そして左肩の着衣は他のガンダーラ仏に見られない襞である。
釈迦菩薩半跏思惟像なのだろうが、どちらもガンダーラ彫刻とは思えないところがある。自分の勉強不足を思い知った。

※参考文献
「ガンダーラ美術の見方」(山田樹人 2001年 里文出版)