お知らせ

忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2018/01/30

ギーラーン1 コブウシ


『ギーラーン緑なすもう一つのイラン』(以下『ギーラーン』)は、ペルシア語で「白い川」を意味するセフィードルード川は、ギズィルウズン川(赤く長い川)とシャーフルード川(王の川)の水を集め、ギーラーンに豊かな恵みをもたらしながら、カスピ海に注ぐ。同時に、この川の渓谷は、イラン高原とカスピ海を繋ぐ回廊、つまり、ギーラーン(ギール人の地)への入口となっているという。
Google Earthより

同書は、ギーラーンの低地は、セフィードルード川によって生み出された大きな扇状地である。カスピ海に向かって海抜0m以下の低地帯が続き、海岸線にはモルダーブと呼ばれる湿地帯が広がっている。低地帯の農村部を旅すると、イラン高原とはまったく異なった光景に出くわす。まず、広々とした水田や茶畑、そして、藁葺きの家やネズミ返しを備えた高床式の米倉である。家々は水田の中に点在しているが、都市部や高原部の住居とは異なり、他人の目を遮る高い塀や外壁がなく、外に向かって開放的な構造になっている点が特徴であるという。
ギーラーンもまた、いつか訪れてみたいところだった。その一つがこのようなネズミ返しのある高床式の米倉や、
板壁のある家屋を見たかったからだった。しかしながら、民家はどんどん建て直しされ、残っていたのは瓦くらいのものだった。

同書は、イラン高原の風景に欠かせない要素である羊と山羊の群はすっかり影を潜め、道ばたでゆったりと草を食むコブ牛の姿があちらこちらで見られる。古くからこの地でコブ牛が重要であったことは、コブ牛をかたどった形象土器がギーラーンの多くの遺跡から出土していることからも明らかであるという。 
コブウシはアスタラで見かけたが、突然走り出したのでぶれてしまった。

中エラム時代(前13世紀前半)に作られたコブウシがチョガ・ザンビールのジッグラト北東面階段前から出土している。実物と比べると肢が長くコブが小さいが、コブウシも地域によって種類が違うという。

ペルセポリスのアパダーナ東階段の浮彫(前5世紀前半)では、カブールのガンダーラ人の使節団がコブウシを連れていた。コブが後方にある。
しかし、それより以前にコブウシの像がこの地で作られていた。

コブウシ型リュトン 前1千年紀 タブリーズ、アゼルバイジャン博物館蔵
コブが強調されている分背中をえぐり、長く伸びて腰を大きく表す。酒杯としては大きすぎる。持ち上げるのは困難なので、台の上に置いて傾けてリュトンに酒を注ぐ容器として、口は細長い溝状に出し、肢を短く作っているのだろう。
小さな耳には穴があり、ピアスを付けていたらしい。
こぶ牛形象土器 前1千年紀 長31.3高25.6㎝ 中近東文化センター蔵
小さく丸い目が型押しされているが、耳はない。首の周りに列点文が巡り、特別な牛を表したものかも知れない。
やはり胴がえぐれている。それはデザインというよりも、酒を満たして重いこの容器を抱えるために必要なくぼみだったのかも。
同展図録の、コブウシ型リュトンがまとまって出土している下の写真が印象的だった。富や権力の象徴だったのかな。

マールリーク遺跡第18号墓におけるコブウシ形象土器の出土状況
『ギーラーン』は、遺跡出土の瘤ウシ形象土器は、一対の角と誇張された瘤とがこの動物の力強さを表していると同時に、器面を丹念に磨いた丁寧な造り具合、耳に付いた金の環、そして5点一緒に埋葬されたことなどは、当時の人々の瘤ウシに対する特別の思い入れを推察させる。瘤ウシ形象土器は代表的「アムラシュ土器」のひとつではあるが、その出土状況が正規の発掘調査で確認された事例は、今もってマールリーク遺跡のみであるという。
正面から見と、頭部には顔がなく、角と注ぎ口と空洞だけ。
ぶ牛形土器 前1500-800年 研磨土器 長26.0高19.5㎝ ギーラーン州マールリーク出土 イラン国立博物館蔵
『ペルシャ文明展図録』は、顔の部分が容器の注口になっており、液体を入れてリュトンのように使われたのだろう。53基の古墓が発見されたマールリーク遺跡の18号墓から出土した5点のこぶ牛形土器の一つという。
上図では4つしか写っていないが、おそらく右端の作品だろう。左耳に金のピアスが残っているのに目はない。
コブウシ形象土器としては瘤が突き出しておらず、胴もえぐれていない。従って持ち運ぶための造形ではなかったのだ。
注ぎ口の下にはヒレ状の突起がある。
こぶ牛形土器 前1500-800年 研磨土器 長28.2高23.1㎝ ギーラーン州マールリーク出土 イラン国立博物館蔵
背中がえぐれていないタイプ。やはり注ぎ口の下にはヒレ状の突起がある。
耳には大きな金製ピアスがぶら下がっている。その傍にあるくぼみは小さな目?
こぶ牛形土器 前1500-800年 研磨土器 長20.0高15.7㎝ ギーラーン州マールリーク出土 イラン国立博物館蔵
背中は小さく、瘤が巨大なタイプ。目は円形の道具を押しただけ。
注のヒレ状の突起も立派。
こぶ牛形土器 前1500-800年 研磨土器 長48.5高33.5㎝ ギーラーン州マールリーク出土 イラン国立博物館蔵
同展の出品の中では最も大きな作品。全体に柔らかな曲面で構成されている
角の付け根に小さな目、角から離れた下の方に耳がある。
こぶ牛形土器 前1500-800年 研磨土器 長39.0高34.0㎝ ギーラーン州マールリーク出土 イラン国立博物館蔵
ヒトコブラクダのような瘤があり、長めの肢には車輪が取り付けてある。酒宴の席で、他のコブウシ形容器のように置いて使われたのではなく、コロコロと転がして楽しんだのだろう。
耳と注ぎ口の下には金のピアスが付いている。
イラン国立博物館では、マールリークから出土したコブウシ形象土器が他にも展示されていた。
写す位置が悪いのか、頭部とコブが大きすぎて、文字通り尻すぼまりのようなコブウシ像も。
左前のコブウシ像は、マールリーク遺跡第18号墓出土の写真の左端のものに似ている。

『ギーラーン』は、マールリーク遺跡はルードバールからギーラーン州都ラシュトに至る道程なかほど、セフィードルード川東岸に、現況周囲をオリーヴ林と水田に囲まれて位置する。ネギャバーンの報告によれば、「マールリーク・テペ」と呼称されるものの、いわゆる「遺丘」ではなく、径145X80m、高さ10余m規模の自然丘である。紀元前2千年紀末から1千年紀初め頃に年代付けられる群集墓遺跡であることが判明した。53基にのぼる古墓の殆どは、石を積み上げて墓室を構築したものであり、積石の一部破壊が明らかに大地震に因ると観察されるものもあった。
それぞれの墓は、当時きっと貴重品であったに違いない様々の副葬品を豊かに伴っていた。千点もの青銅製鏃、剣、棍棒、甲冑などの武具やヒョウ、オオカミ、イノシシ、シカさらには頸木と鋤をつけたウシなどをかたどった形象土器青銅像や金製容器や装身具等々の副葬品を持つこれらの墓は、かつてこの地に栄華を極めた王侯、武人階級のものであろうと、発掘者ネギャバーンは推察しているという。
コブウシを表したものは青銅でも作られていて、土器よりもかなり小さい。

こぶ牛小像 前1千年紀 青銅 長6.9高4.6㎝ 中近東文化センター蔵
肢は形象土器よりも長く、コブはずんぐりしている。
『ギーラーン』は、ギーラーン州出土と伝わるこの「青銅製瘤ウシ小像」には、平織りの麻布片(材質:亜麻)が5片付着していた。「死者を埋葬する際に織物に包んで副葬した」とみなされたという。
こぶ牛小像 前1千年紀 青銅 長7.9高5.8㎝ 中近東文化センター蔵
コブは後方に鋭く突き出ていて、その根元から環が出ている。ぶら下げて護符のように使ったのだろうか。
『ギーラーン』は、デイラマーン調査団員のひとりであった増田精一は、ガレクティ遺跡A-V号墓より検出のウシ、シカの獣骨を犠牲獣の証拠とみなし、動物形象土器の副葬を当時の過剰な動物犠牲を戒めた思想の産物であると説いている。動物像が副葬される状況はかならずしも珍しいことではないが、その考古資料的判読の好機は意外と少ないのであるという。

ギーラーン2 土偶と金製品、装身具

参考文献
「ギーラーン 緑なすもう一つのイラン」 1998年 中近東文化センター
「ペルシャ文明展 煌めく7000年の至宝 図録」 2006年 朝日新聞社・東映事業推進部