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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2013/06/28

綴織當麻曼荼羅の主尊の顔



綴織當麻曼荼羅は複数回見ている。ある講座で、講師をされている奈良国立博物館の西山厚氏が、「今世紀最後の公開、22世紀まで生きている自信のない人は、是非見に行って下さい」と言われたのに触発されて、来世紀まで生きられそうにない私は、『當麻寺 極楽浄土へのあこがれ展』の開催期間中でも、綴織當麻曼荼羅が展観される日を選んで行ってきた。
しかし、わかってはいたが、何が描かれているのか、ほとんどわからなかった。

綴織當麻曼荼羅 絹本織成 縦394.8横396.9 中国・唐または奈良時代(8世紀) 奈良當麻寺蔵
『日本の美術204飛鳥・奈良絵画』は、現状では破損が著しく、下部はほとんど欠失し、上半部でも当初の綴織の部分は約4割に過ぎないとされ、図様も把握しがたい。ただ鎌倉時代以降に数多くの複本・転写本が作成されたため、それによって当麻曼荼羅の全容をうかがうことができる。当麻曼荼羅は浄土図とその周縁に観経(観無量寿経)による説話図を付属させた、いわゆる観経変で、中でも大規模であり、最も完成した形態をもつ作例と見ることができるという。
九品来迎図は全く残っておらず、浄土図との境目に垣が描かれている。その上から阿弥陀三尊の辺りまでは、描かれているものがある程度わかったが、その上となると、何か描かれていたらしいと思える程度だった。
おそらく、目の高さで見るとある程度は判別できるのだろうが、とにかく大きいので、見上げるだけではよく見えないのだった。
西山氏によると、大きすぎて、當麻寺の本堂では本尊なのに掛けることができないそうで、巻いて保存されていたそうだ。 
『日本の美術272浄土図』は、図中央は、阿弥陀三尊のいる華座段で、水上に浮かぶ島を形成し、庭上には八角七重蓮華座に結跏扶坐する阿弥陀如来を正面に、五重蓮台に趺坐する観音、勢至両菩薩を左右に対置し、その間にさまざまな姿態の供養菩薩、左右各17体をめぐらす。本尊は偏袒右肩で、7-8世紀の阿弥陀仏に共通な転宝輪印を結び、三尊の肉身は、金色ではなく白色身で、納衣に黄褐色、条帛に緑色を塗り、両脇侍の天衣には緑地に折枝文様を描く伝統的な手法であるという。
はっきり言って、色というものが感じられないくらい褪せている。
前回は法華堂根本曼荼羅図の如来の顔を同時代の仏の顔と比較したので、今回も他の仏と比較してみることにする。

阿弥陀如来はインド風の偏袒右肩で、法華堂根本曼荼羅図の主尊と同じような条帛の付け方だが、法華堂根本曼荼羅図の如来が施無畏与願なのに、當麻曼荼羅の阿弥陀は説法印(転宝輪印)になっている。
如来坐像 法華堂根本曼荼羅図 8世紀
やや眺めの丸顔で額の生え際が中央で下がり気味。三日月形の眉に半眼の穏やかな顔。穴の空いた長い耳。肉髻は大きめの螺髪が並んでいる。
光背は頭光と身光に分かれている。
インド風の偏袒右肩で、条帛が左肩から右胸部にS字を描いて懸かる。右足の裏が見えている。
足の裏と右掌に何かが赤く表されている。
釈迦如来坐像 法隆寺金堂第1号壁釈迦浄土変 飛鳥時代(706-711年)
やや眺めの丸顔でつるんとした生え際。三日月形の眉に半眼、穴の空いた長い耳。肉髻に螺髪は表されていないようだ。
光背は頭光のみ。
僧祇支の上に大衣を涼州式偏袒右肩に懸けるなど、複雑な着衣。
この図では切れてしまったが、左足の裏を出し、与願印の左手とほぼ接するように描かれている。
仏坐像 東大寺大仏蓮弁毛彫蓮華蔵世界図 天平宝字4年(752)
他の如来よりも丸顔で、つるんとした生え際。三日月形の眉に半眼の上瞼がカーブして表される。穴の空いた耳はやや短くなっている。
施無畏印の右手に大きな法輪が表され、胸中央に卍文がある。
インド風の偏袒右肩の大衣は、条帛と一体化したように描かれている。
やや丸顔で、額は狭く、中央が下がり気味の生え際。三日月形の眉に、カーブする上瞼の半眼の目。おそらく穴の空いた耳は東大寺大仏蓮弁の如来と同じくらいの長さ。
そして、これまで見てきた仏との違いは、この阿弥陀如来には上唇の上と下唇の下中央に髭が描かれていることだ。
『日本の美術204飛鳥・奈良絵画』は、表情にはゆったりとした動きを抑制した冷静さが感じられる。法華堂根本曼荼羅や大仏蓮弁線刻画のような張りつめた緊張感よりもむしろのびのびした充実感に満ちており浄土の情景にふさわしく、様式的にみて若干の時間差を考える必要があろうという。
描かれた雰囲気だけでなく、印相が異なったり、髭が表されたりと、今までにないものが出現していることからも、他の仏画よりも後の様式のものだろう。

ところで、當麻曼荼羅は日本製か、唐製か。
『當麻寺展図録』は、織技の特徴としては、経糸が強撚糸で太さの変化(ばらつき)が無く、経糸間の隙間がほぼ一定で真っ直ぐに揃っている。正倉院裂の大部分を占める日本製のものの中に、これほど、経糸の太さや経糸間の隙間が一定のものは無い。特に経糸に強撚の諸撚糸を使用する例は無い。
また、綴織當麻曼荼羅を製織する織り手が日本に渡来していて、技術が存在したならば、奈良・平安・鎌倉時代を通じて、日本に當麻曼荼羅のような大型で絵画的な綴織りが全く見られないのは不思議である。當麻曼荼羅は非常に珍しい渡来品で、その後、同様のものが日本に渡来することが無かったと考えるのが妥当ではないだろうか。
當麻曼荼羅のような浄土変相図が、何故、綴織りで製作されたのであろうか。それは、染織品は、折り畳むことが出来て、嵩張らず軽く、遠隔地への移動が容易なためであろう。敦煌の壁画やスタインが敦煌から将来した絹本彩色の絵画に多くの浄土変相図が存在するが、唐時代には、それらの図像を綴織りで造作して、朝貢する人達などに下げ渡したのであろう。それら多くの綴織り浄土変相図の中で、當麻曼荼羅が唯一今日まで伝わったと考えたいという。
これも西山氏の話だが、唐に朝貢する各国の使節は、たくさんの献上品を持って来たが、唐の皇帝は、それをはるかに上回る品々を下賜したということだ。

つづく

関連項目
當麻曼荼羅6 宝台に截金?
當麻曼荼羅5 十三観
當麻曼荼羅4 序分義
當麻曼荼羅3 九品来迎図
當麻曼荼羅2 西方浄土図細部
当麻寺で中将姫往生練供養会式

※参考文献
「當麻寺 極楽浄土へのあこがれ展図録」 奈良国立博物館編 2013年 奈良国立博物館・読売新聞社
「日本の美術204 飛鳥・奈良絵画」 百橋明穂編 1983年 至文堂
「日本の美術272 浄土図」 河原由雄編 1989年 至文堂