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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2010/10/29

奈良時代の匠たち展1 繧繝彩色とその復元



平城遷都1300年記念として橿原考古学研究所附属博物館では秋季特別展に「奈良時代の匠たち-大寺建立の考古学」展が開かれている。その中に、10年もの長期にわたって行われた唐招提寺金堂の平成の大改修ではずされたものも出品されていた。

軒支輪板 

建物の外側に出ているため、ほとんど彩色が残っていない。斜めからすかすと、文様の部分が僅かに浮き上がって見えるのだが、木目が邪魔をしてわかりにくい。花が描かれていたらしいことくらいしかわからなかった。  
平成の大改修については、BS-TBS局がその様子を、年を追って、あるいはテーマごとに放送していた。そして再放送もするので、すでに見たものか、新たに作られた番組なのか、見分けがつかなくなってしまった。
しかしながら、「唐招提寺 天平の色を求めて」では、大山氏は扉の金具をはずして現れた絵の中に青色がないということをきっかけにして、黄色に残った部分が創建当時は青だったはずということで、その青が何で作られたものだったかを追求していった。そして最終的には平安時代からと思われていた、染料の藍を用いた代用群青が、天平末期にすでに使われていたことが判明したのだった。


天井復元絵
金堂内部の身舎(もや)部分に組まれた格天井の天井板と天井格子の彩色を復元したものである。
天井板の図像は中央に蓮華を配置した宝相蓮華文で、格子には紺、青、水色、白の条帯文が施されるという。
代用に用いられたのが藍だったことが印象深かったものの、大山氏の描いた復元絵が出品されているとは思いがけなかった。

格子同様、宝相蓮華文の外側の花も青のグラデーションで表され、中央の蓮台は深緑・緑・薄緑・白の繧繝で描かれている。
天井支輪板
唐招提寺の金堂の建築部材は現在、ほとんどの彩色が剥落し、木地が露出した状態となっている。しかし、創建当初は、極彩色の絵が天井や虹梁、扉などに描かれていた。中でも、天井の支輪板はさまざまな図像が描かれていたことが知られているという。
支輪板は建物の内部にあったとはいえ、会場で見ると下の写真ほどはっきりとは見えなかった。白っぽい箇所がところどころ見えるといった程度だった。

天井支輪板復元絵をはじめとする金堂を装飾する絵画の復元絵は、奈良教育大学の大山明彦氏を中心に製作された。わずかに残る顔料などから当初の彩色を復元したものである。
平滑に整えられた木地の上に白土を下地とした塗り、黄、丹、朱、緑青、青などの顔料で色鮮やかに支輪板の5種類の図像が再現されたという。
彩色には繧繝という幅のある色のグラデーションが多用されているのだが、支輪子(支輪の骨組み)のように平板なものもあれば、支輪板の宝相華文の葉のように翻って裏が見え、表裏で色を違えるなど、非常に凝った絵もある。


関連項目
敦煌莫高窟5 暈繝の変遷2
敦煌莫高窟4 暈繝の変遷1
第五十八回正倉院展の暈繝と夾纈
日本でいう暈繝とは
暈繝はどっちが先?中国?パルミラ?
隈取りの起源は?
日本でいう隈取りとは
トユク石窟とキジル石窟の暈繝?

※参考文献
「奈良時代の匠たち-大寺建立の考古学-展図録」(2010年 奈良県立橿原考古学研究所附属博物館)