今回実際に見たものでは、掘仏寺(クルプルサ 굴불사)の四面石仏(サミョンソップル)の東面に浮彫された薬師如来坐像が、胸部が剥落しているのだが、両腕に着衣の表現がないので、マトゥラー式の偏袒右肩だろう。左掌になにか丸い物をのせるという変化は、石窟庵の如来坐像以後と思われる。
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南山仏谷の石造如来坐像は仏谷龕室石仏座像で、『慶州で』は南山最古の7世紀前半とし、また、断石山神仙寺磨崖仏は、新羅の磨崖仏のなかでも最古の7世紀前半のものと考えられている。断石山の名前は、金庾信が修行中に大きな岩を切り、山のように積んだという伝説にちなんでいる。人工的に切り取られた幅3mほどの「コ」の字型をした狭い岩壁全体に磨崖仏が彫られている。仏像の配置は無秩序で、彫りも稚拙であるという。最古に惹かれて見学したかったが、日程的に無理だった。磨崖仏の中に2体、偏袒右肩の立像が彫られているが、涼州式かマトゥラー式か、よくわからない。
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如来立像 銅造鍍金 像高31.0㎝ 新羅(600年頃) ソウル国立中央博物館蔵
『世界美術大全集東洋編10』は、左膝を屈して左側の臀部を強く張り出し、如来立像としては珍しい三曲姿勢をとっている。 ・・略・・ グプタ時代におけるサールナート地方の如来像は三曲姿勢をとるようになり、南インドとスリランカでその例が見られる。 ・・略・・ この像には北斉・北周仏のモデリングが見られ、600年前後の作と推定されるという。
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浮彫三尊像 石造 通高109.5㎝ 周・長安年間(701~704) 西安市宝慶寺 東京国立博物館蔵
顔や頭髪の表し方などかなり異なっているが、右手の降魔触地印や左手の置き方など似ている。
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※参考文献
「慶州で2000年を歩く」(2003年 武井一 桐書房)
「世界美術大全集東洋編4隋・唐」 (1997年 小学館)
「世界美術大全集東洋編10高句麗・百済・新羅・高麗」 (1998年 小学館)