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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2015/06/09

連珠円文は7世紀に流行した2




アフラシアブ出土イッシュヒッドの宮殿南壁の壁画でも、登場人物の衣裳に連珠円文が多く使われていた。
南壁左端に描かれたワルフマーン王の先祖の墓廟のなかにも、大きな連珠円文を3つほど重ねた赤地の衣裳を着用している人物がいる。

ワルフマーン王の妃が乗っていたとされる白い象の背中に掛けた丸い敷物に大きな連珠円文があった。
拡大すると、獅子が描かれている。しかも、右前肢をあげて有翼のライオンだった。
このライオンはどちらかというと、西方のものというよりは、中国っぽい。有翼獣は西方から東へ東へと伝播し、中国には戦国時代に伝わったのだが、これは壁画が描かれた当時、初唐の頃に中国で造られた連珠円文に有翼の獅子が表された錦が、ワルフマーン王に送られたことを示しているように思う。

その後ろの王妃の護衛をしている3人の女性の一番手前の女性が乗った馬に掛けた長方形の敷物は縁取りに連珠円文、中央の主文に鳥が描かれている。

ラクダに乗る2人の人物のうち奥の一人は、襟元に連珠円文があしらわれている。

犠牲の馬を連れたゾロアスター教の聖職者の衣裳にはうっすらと連珠円文が浮かんでいる。

馬の鞍掛けにも連珠円文が縁取りに用いられている。主文の方は馬ではないだろうか。

ワルフマーン王は連珠円文のある鞍掛けをつけた大きな馬に乗る。
王の赤い衣裳の文様は、装身具を銜え、頭にリボンをつけた鳥だった。

王の後ろの護衛の兵士も連珠円文の衣裳を着けている。
その連珠円文には咋鳥文が表されている。尾が大きいので、孔雀だろう。
その上、或いは背後の兵士は連珠円文ではなく、羊の文様の服を着ている。

連珠円文が7世紀にソグディアナで流行した文様であっても、ソグド人がすでに6世紀後半に連珠円文のある衣裳を身につけており、しかも中国で暮らしていたことが、その石棺床飾板でわかる。

棺槨部分 白大理石に彩色 山西省太原市晋源区王郭村虞弘墓出土 隋・開皇12年(592) 太原市晋源区文物管理所蔵
『中国★美の十字路展図録』は、墓主の虞弘は中央アジアの魚国の出身で、若くして茹茹国(柔然)に仕えてペルシア、吐谷渾などに使いした。その後、北斉に出使して、北斉、北周、隋で官職を歴任し、北周ではソグド人を管掌する「検校薩保府」となったという。

6世紀後半の中国では、すでに連珠円文が流行していたのだろうか。

          連珠円文は7世紀に流行した

関連項目
ササン朝の首のリボンはゾロアスター教
イッシュヒッド宮殿の壁画に羊文
中国のソグド商人
中国の有翼獣を遡る1

※参考文献
「AFROSIAB」 2014年 Zarafshon
「中国★美の十字路展図録」 曽布川寬・出川哲朗 2005年 大広