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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2015/03/17

日本の瓦9 蓮華文の鬼瓦



『日本の美術66古代の瓦』(以下『古代の瓦』)は、鬼瓦は大棟や降棟・隅棟などの端に用いられる飾り瓦であり、棟端飾り瓦とも称されている。瓦製が普通であるが、なかには銅製や木製もあった。
そのためであろうか、わが国最古の飛鳥寺や川原寺・藤原宮址などの初期の大寺や宮殿からは不思議に鬼瓦は出土せず、巨勢寺・奥山久米寺・山村廃寺などの中小寺院から初期の遺例が出土し、これらは鐙瓦と同じ蓮花文を飾る鬼瓦であるという。
元興寺極楽坊では隅棟の一の鬼・二の鬼が鬼面鬼瓦で、あまり古そうではなかったが、めずらしい顔をしていたので撮っておいた。それらは中央部に刳りがあり、これから見ていく鬼瓦にも中央に刳りのあるものと、両端にあるものがあって、それがどの位置に飾られていたものかがわかる。

『日本の美術391鬼瓦』(以下鬼瓦)は、法隆寺若草伽藍→奥山Ⅰ式→豊浦寺・平吉遺跡→山田寺→奥山Ⅱ式→山村廃寺の順に位置付け得る。中心となる紋様はいずれも蓮華紋で、その形状は同じ堂塔に葺かれた軒丸瓦のものに類似している。しかも蓮華紋のまわりに比較的大ぶりの珠紋を密にめぐらせるという特徴を共有する。この連珠円紋は、7世紀末以降の軒丸瓦外区の小ぶりの珠紋帯とは異なり、隋様式の影響下で成立した7世紀中頃までに固有の要素である(山本忠尚「瓦と連珠円紋」)という。
ほぼそれに従ってみていくと、

斑鳩寺の鬼瓦1 飛鳥時代(7世紀) 八葉蓮花文 瓦製 残存高20.3最大厚4.4㎝ 若草伽藍所用 若草伽藍塔跡付近出土 法隆寺蔵
『法隆寺日本仏教の黎明展図録』(以下『法隆寺展図録』)は、複数蓮華文が配された鬼瓦。本品に残る下書き線から、粘土を板状にし、乾燥する前に定規やコンパスで方眼や円などを下書きし、それに沿って手彫りで単弁八葉蓮華文をあらわしたことがわかる。法隆寺創建に遡る飛鳥寺や豊浦寺などではいずれも創建期の鬼瓦は確認されておらず、本品が日本最古の鬼瓦と考えられる。
本品は文様・その製作技法ともに百済の蓮華文鬼瓦と酷似し、同じ工人集団の手になるものと考えて差し支えない。当時の寺院造営に百済からの渡来人によって直接的影響があったことを如実に示すものであるという。
百済の蓮華文鬼瓦については後日

奥山久米寺の鬼瓦(奥山Ⅰ式) 飛鳥時代(7世紀中頃) 素弁八葉蓮華文・角端・点珠・連珠 高33幅37厚2.3㎝ 奥山久米寺(奥山廃寺)出土 奈良文化財研究所蔵
『鬼瓦』は、蓮華紋は素弁八葉で、角張った弁端に珠点を置いた、いわゆる角端点珠の「奥山廃寺式」軒丸瓦に類似する。周りに大粒の珠紋を22個めぐらせ、隅の空間を格子目でうめるという。
両端に刳りがあるので、降棟用の鬼瓦だった。
素弁八葉蓮華文は、点珠、中房の蓮子の数・位置など軒丸瓦とほぼ同じ。
奥山廃寺式軒丸瓦はこちら
平吉遺跡出土の鬼瓦 7世紀中頃 素弁八葉蓮華文・角端・点珠・連珠 高37幅35厚2㎝以内 奈良文化財研究所蔵
『鬼瓦』は、やや縦長な方形に復原でき、下縁中央に半円形の刳りがある。非常に薄い。奥山廃寺とよく似た蓮華紋を弁端が天地を向くように配置、周りに奥山例よりやや小粒の珠紋を28個めぐらせる。中房の蓮子は1+8と推定されるという。
刳りが中央にあるので、隅棟用だった。
奥山Ⅰ式の鬼瓦とはよく似ているが、花弁の方向、連珠の数、格子文の大きさなど、各所に違いがある。

樫原廃寺の鬼瓦 白鳳時代前期 変形蓮華文 京都樫原廃寺出土 
『古代の瓦』は、車輪形を左右に並置した形に復元され、その他、蓮花文の中房のみを上下2段に配した大阪・太田廃寺例もある。ともに白鳳前期様式であるという。
写真のない時代に、奥山久米寺や斑鳩寺の幾何学的な蓮華文を見てきて、記憶を辿りながら鬼瓦を作ったらこうなってしまったというような文様だ。

幾何学的な素弁蓮華文に続いて、単弁蓮華文

山田寺の鬼瓦(山田寺Ⅰ式) 641年前後 高36.5幅40.3・厚5㎝ 単弁八葉蓮華文・覗花弁 中門・回廊・南門に使用
『日本の美術391鬼瓦』(以下『』鬼瓦)は、上端はごく緩い弧線を描き、左右下端に半円形の刳り込みをもつ。蓮弁は重弁。中房には、まず十字に割り付け線を入れた後、竹管(径1.2㎝)を突き刺して蓮子の位置を決め、それぞれの穴に粘土の円棒をはめて蓮子をつくり出している。蓮弁は笵で起こした後、ヘラで弁の輪郭や反りを整え、弁央の縞を強調してあるという。
両端に刳りがあるので降棟用。
奥山久米寺の鬼瓦と同じく両端に刳りがある。花弁が平面的な瓦から立ち上がったような、立体的な作りのものが、平面的な鬼瓦の後すぐに登場している。

奥山久米寺の鬼瓦(奥山Ⅱ式) 白鳳時代(7世紀後半) 高28.5幅28.7厚4.8㎝ 単弁八葉蓮華文・連珠 東京国立博物館蔵
『古代の瓦』は、方形重廓文の鬼板の中央に蓮花文をおき、大粒な連珠文をめぐらしている。蓮花文は山村廃寺式の単弁八葉蓮花文と同形であるから、同じ工房で造られたのであろう。下部に三連弧形の刳りをつけているのは、隅棟用であることを意味しているという。
隅棟用なのに3つも刳りがある。中央は隅棟の刳りで、両側は屋根の丸瓦に当たる位置に鬼瓦が置かれたために刳りをつけたのだろう。

山村廃寺の鬼瓦 白鳳時代(7世紀後半) 高28.1幅28.3厚3.8㎝ 単弁八葉蓮華文・鋸歯文
『鬼瓦』は、周りが線鋸歯紋帯となっており、軒丸瓦に対応している。奥山Ⅱ式と大きさがほぼ等しく、模様も近似しているため、同笵の可能性が高いと考えられてきたが、石松好雄の詳細な観察によって鋸歯紋帯に元の連珠紋の一部が残っていることが確認され、同笵であると決した。奥山の連珠紋帯を彫り直して線鋸歯紋帯に変えたのであるという。
やはり三連の刳り 
連珠文から新来の鋸歯文へ好みが変わった時期のものということになるのかな。
軒丸瓦はこちら 

吉備寺の鬼瓦 白鳳時代(7世紀後半) 重弁八葉蓮華文・覗花弁・連珠・鋸歯文・半円文帯 岡山吉備寺出土 吉備寺蔵
同書は、円頭方形の鬼板の中央に重弁蓮花文を配し、周囲には大粒な連珠文をめぐらしている。さらに周縁には二重鋸歯文・二重半円文帯をめぐらすなど、素朴ながら豊かな装飾性は、白鳳時代後期に吉備地方に流行をみた鐙瓦の文様に対応したものであるという。
細い八葉蓮華文は三重に表される単弁の重弁で弁端はやや凹んでサクラ花弁風、その間に二重の輪郭線で、やはり浅い切れ込みでサクラ花弁風に覗花弁が表現されている。

八島廃寺の鬼瓦 白鳳時代(7世紀後半) 滋賀・八島廃寺出土 単弁八葉蓮華文 井内古文化研究所蔵 
『古代の瓦』は、瓦当面に単弁蓮花文を表し、四隅に人面を配した特種な文様からなるが、下面には丸瓦をまたぐ半円形の切り込みを打ち欠いているので、鬼瓦に用いられたものであろうが、両面には断面コ字形の方形丸瓦の一部が残存しているという。
中央に刳りのある隅棟用の鬼瓦。
細身の花弁に小さな子葉がついた独特の単弁蓮華文が肉厚に表され、しかもその周囲に人面が表されるという独特の鬼瓦である。
しかし、これは果たして人面だろうか。よく見ると頭の上に三角形が2つある。ひょっとして人ではなく、鬼ではないだろうか。右上の角が欠けた鬼は顔の両側に手がある(ただし左手は後補)。
これは鬼瓦に鬼面が登場した最初期のものかも。そうなると、蓮華文鬼瓦の後は鬼面鬼瓦をまとめないと。

多賀城廃寺の鬼瓦1 8世紀前半 高36.8幅33.0㎝ 単弁八葉蓮華文 宮城県多賀城廃寺出土 東北歴史資料館蔵
『鬼瓦』は、7世紀後半(白鳳時代)になると、地方でも寺院の建立が盛んになり、鬼瓦の生産もはじまった。7世紀末ないし8世紀はじめには、律令体制の整備が本格化し、各地の国郡に官衙が置かれ、それらを統括するため九州には太宰府、東北には多賀城が設置された。
多賀城廃寺からは2種の鬼瓦が出土している。1は縦長の方形、大型の単弁蓮華紋を中心に据え、周囲に連珠紋をめぐらし、両脚部に蓮の蕾を配するという。
中央に深い刳りのある隅棟用の鬼瓦。
肉厚の蓮華で中房が小さい点は八島寺の鬼瓦と共通する。中房に蓮子が表されないのも同じ。
小さな連珠文は大きさも不揃いで、弧線で繋がっている。
四隅の蓮華の蕾あるいは側面観の蓮華は下向きで、上側が小さく下側が大きい。

多賀城廃寺の鬼瓦2 白鳳時代(7世紀後半) 単弁八葉蓮華文 宮城県多賀城廃寺出土 東北歴史資料館蔵
同書は、2は両肩に丸みを持たせた方形で、1と同種の蓮華紋を2個2列配置するという。
隅棟用の鬼瓦。
1の鬼瓦よりも花弁の稜線がはっきりしているし、小さな中房には5個の蓮子が十字に配置されている。
尚、百済でも蓮華文が並ぶ石製鬼瓦が出土している。それについては後日


おまけ

南滋賀廃寺の鬼瓦 白鳳時代(7世紀後半) 素弁蓮華文方形 滋賀県大津市南滋賀町廃寺出土 近江神宮蔵
『古代の瓦』は、蓮花文を側面観にあらわす特種例であるが、花弁を厚肉にあらわし、周縁を幅広く高く造るのは百済末期様式の特徴であり、これに組み合う丸瓦はやはり断面コ字形の方形丸瓦である。この特種な大形の鐙瓦が、鳥取・大寺廃寺の発掘では他の軒瓦に混ざって1点のみ出土したのは、鬼瓦に用いられたのではないかと推察されるところである。滋賀・八島廃寺からは同形同大の鬼瓦が出土しているという。
刳りがないので鐙瓦とされているが、このような四角いものが軒に並んでいるのは想像しにくい。
こんな形の瓦が、南滋賀廃寺では軒瓦として使われ、鳥取の大寺廃寺では鬼瓦として使用された。大きさがわからないのが残念。
その八島寺の鬼瓦は、上方の四隅に人面のある単弁八葉蓮華文である。
この側面観の蓮華は、多賀城廃寺の鬼瓦1の下向きの蓮華に似ているような。


平城京の鬼瓦 奈良時代(8世紀中頃) 平城京出土 奈良文化財研究所蔵
『鬼瓦』は、平城宮・京において鬼面紋が主流となった8世紀中頃以降、わずかではあるが、平城宮では鳳凰紋鬼瓦が、また平城京では周囲に唐草紋をあしらった蓮華紋鬼瓦が用いられた点に注目しておきたい。
蓮華紋鬼瓦は平城京右京八条一坊十一坪と同左京八条二坊四坪から出土し、破片であるが互いに同笵とみられる。中央の蓮華紋は小さく、いわゆる宝相華すなわち対葉花紋を組み合わせた唐花紋の系統に属し、天平以降の特徴を濃く示す。
上端緩いアーチ、両側はまっすぐに下がる。中央に唐花紋系の小さな蓮華紋をおき、両側から上縁にかけて上向きの唐草文を配する。蓮華の四方に雲気紋があるようだという。
この対葉形宝相華文の成立についてはこちら

上の解説にあるように、奈良時代ともなると、蓮華文の鬼瓦は例外的な存在だったようで、鬼面鬼瓦、いわゆる鬼瓦が主流となってしまったようだ。

      日本の瓦8 蓮華文の垂木先瓦←      →鬼面文鬼瓦1 白鳳時代

関連項目
鬼面文鬼瓦2 平城宮式
鬼瓦と鬼面
日本の瓦1 点珠のある軒丸瓦
日本の瓦6 単弁蓮華文
日本の瓦7 複弁蓮華文、そして連珠文
韓半島の瓦および塼

※参考文献
「法隆寺 日本仏教の黎明展図録」 2004年 奈良国立博物館
「日本の美術358 唐草紋」 山本忠尚 1996年 至文堂
「日本の美術66 古代の瓦」 稲垣晋也 1971年 至文堂
「日本の美術391 鬼瓦」 山本忠尚 1998年 至文堂
「日本の美術532 山田寺 その遺構と遺物」 島田敏男・次山淳 2010年 至文堂