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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2014/12/23

興福寺4 五重塔と三重塔



興福寺を歴史的に振り返ると(『もっと知りたい興福寺の仏たち』の年表参照)、創建時の諸堂に加え、さまざまな時代にお堂が建てられていったことがわかる。
天智8年(669) 鎌足の妻が山階寺建立
天武元年(672) 飛鳥浄御原宮に遷る。この頃、山階寺を厩坂に移し、厩坂寺と称す
和銅3年(710) 平城京遷都。藤原不比等、厩坂寺を平城京に移し、興福寺と号す
和銅7年(714) 金堂を供養
養老4年(720) 造興福寺仏殿司を置く
養老5年(721) 元明・元正天皇、北円堂を建立
神亀3年(726) 聖武天皇、東金堂を建立
天平2年(730) 光明皇后、五重塔を建立
天平6年(734) 光明皇后、西金堂を建立。十大弟子・八部衆像を造立
延暦10年(791) 北円堂四天王像を造立
弘仁4年(813) 藤原冬嗣、南円堂を建立
各堂、焼失・再建を繰り返す
康治2年(1143) 皇嘉門院、三重塔を建立
治承4年(1180) 平重衡の兵火により全焼
承元4年(1210) 北円堂再建
三重塔は間もなく再建されたというが、確実な年は不明。北円堂とならび興福寺現存最古の堂とされる。
その後火災や戦火で焼失・再建を繰り返す。
応永33年(1426) 五重塔を再建、現在に伝わる
             
興福寺には五重塔だけでなく三重塔もあったのだった。
『興福寺』は、塔は仏教の祖釈迦の舎利(遺骨)をおさめる墓標。寺の権威の象徴であり、権力の誇示でもある。塔を建てることは仏法の護持であり、大きな功徳とされるという。

五重塔は高いこともあって、様々な方角から見える。

南方から
あの給水タンクがなかったらもっとよく見えたのに・・・
もう少し東よりから
素屋根は再建中の西金堂。

五重塔 室町時代 三間 本瓦葺 高50.1m 国宝
『興福寺』は、天平2年(730)興福寺の創建者藤原不比等の娘光明皇后が建立した。その後5回の焼失・再建をへて、応永33年(1426)頃再建された日本で二番目に高い塔。創建当初の位置に再建され、三手先斗栱を用いるなど古様によるが、中世的で豪快な手法も大胆に取り入れる。創建当初の高さは約45mで、当時日本で最も高い塔であった。各層には水晶の小塔と垢浄光陀羅尼経が、また初層には四天柱の各方、つまり東に薬師浄土変、南に釈迦浄土変、西に阿弥陀浄土変、北に弥勒浄土変が安置されていた。現在でもその伝統を受け継ぐ薬師三尊像、釈迦三尊像、阿弥陀三尊像、弥勒三尊像が安置されるという。

東金堂の基壇南端より
塔は初層から最上層へと徐々に小さくなっていくが、法隆寺五重塔ほどには顕著ではない。
東金堂前の広場より
南大門跡と中金堂の回廊との間の通路から
五層目の組物
三手先斗栱の一つ一つが大柄。

どんどん南円堂方向に進み、振り返る。徐々に樹木が塔を遮るようになる。

南円堂前、左の階段を下りて行くと、
 猿沢池が現れるが、
下りてしまわずに、右手の道に入る。
赤い布を掛けた延命地蔵及び石仏群があったりする。
振り返ると五重塔の相輪だけが見えていた。

突き当たりに、三重塔が三方塀に囲まれ、ひっそりと建っていた。

三重塔 鎌倉時代 三間 本瓦葺 高さ19m
『興福寺』は、康治2年(1143)崇徳天皇の中宮皇嘉門院聖子が建て、治承4年(1180)に焼失し、間もなく再建された。北円堂とともに興福寺で最古の建物。木割が細く軽やかで優美な線をかもし出し、平安時代の建築様式を伝える。初層内部の四天柱をX状に結ぶ板には東方に薬師如来像、南に釈迦如来像、西に阿弥陀如来像、北に弥勒如来像を各千体描き、さらに四天柱や長押、外陣の柱や扉、板壁には宝相華文や楼閣、仏や菩薩など浄土の景色、あるいは人物などを描くという。
たまには内部を公開しているらしいので、何時かは拝観して、どんな風になっているのか確かめてみたい。

南側より
これ以上後ろに下がれなかったので、初層の屋根が両側とも切れてしまった。

『日本建築史図集』は、この塔の二重と三重の組物は三手先であるが、初重は出組である。これは初重内部を広くとるための工夫であろう。全体に木割が細く、細部に平安時代の様式を残している。また心柱を二重で止め、初重は四天柱に対角線状に板を張り、その両面に千体仏を描いているという。

二層目の組物
三手先斗栱で、間斗束が中央に一本あるが、三層目にはない。
言われてみると、五重塔の力強い組物と比べると華奢で、垂木も細い。
初層の組物
出組とは一手先の組物のこと。組物がすっきりとしている。間斗束が3つある。
初層の連子窓
細い部材を密に並べてある。

南西より
西側には柵があるので、ここからは東側から回り込んで北側へ。
北西より
このように見ていて気付いたのだが、お寺の建物や塔などの屋根の四隅には風鐸があることが多い。東金堂や五重塔にもそれぞれの屋根の先に付けてあるが、この三重塔にはないのだった。

三重塔の東側に坂道があり、上り詰めると北円堂に行き着く。
しかし、今年の特別公開はすでに終了していて、回廊の修復作業を行っていたので、これ以上近づくと、その柵が入ってしまう。

ここまで坂を登れば、もう先ほどの優美な三重塔は見えない。

        興福寺3 国宝館の板彫十二神将立像

関連項目
興福寺1 東金堂の仏像群
興福寺2 四天王像は入れ替わる

※参考文献
「興福寺」 興福寺発行
「もっと知りたい興福寺の仏たち」 金子啓明 2009年 株式会社東京美術
「日本建築史図集」 日本建築学会編 1980年 彰国社