➍聖遺物室の向かいに建てられたレワン・キョシュキュへ。
第4庭園平面図 『イスタンブール歴史散歩』より
➊レワン・キョシュキュ(レワンは現アルメニアの首都エレヴァン) ➋通廊 ➌レワン・キョシュキュ前の水槽(池) ➍聖遺物室 ➎バーダット・キョシュキュ(バグダ-ド) ❻イフタリエ(小さな東屋) ➐皇子たちの割礼の間
レワン・キョシュキュ Revan Köşkü 建設年:1636年 建設者: ムラト四世(在位1623-4) 建築家:ミマール・カスム・アー
『トルコ・イスラム建築紀行』は、1635年の戦役でレワン(現アルメニア共和国の首都エレバン)を獲得した記念として建てた瀟洒な小亭。外壁や内壁を飾った大理石や装飾タイルが美しい。壁は組積造だが、天井・ドームは木造という。
レワン・キョシュキュについてはトプカプ宮殿 第四の中庭まで
石段に蔓草文様の象嵌があるのはその後で気がついた。
平面図
① レワン・キョシュキュ入口 ② ソファー
その中で、アフメト一世(在位1603-17なので、日本では徳川時代の初期)の玉座がガラスのケースに入って置かれていたのを、何の気なしに写したのだが、ピントもよく合っていなかったので、この機会にじっくりと撮影した。
バイラム前夜のための玉座(スルタン・アハメッド1世の玉座) クルミの木、鼈甲、真珠の母貝、ペリドット(透明な緑)、トルコ石(トルコでは産出しない)、ルビー、金、銀、結晶化クォーツ(どの石か分からない)
説明パネルは、アリフェ (バイラムの前夜) 玉座としても知られるこの玉座は、バイラムの前夜に開催される宮殿の儀式中にオスマン帝国のスルタンが使用した。スルタンアフメトのモスクは、モスクの建築家であり螺鈿細工の巨匠であったオスマン帝国宮殿の主任建築家であるセデフカールメフメトアーによってこの螺鈿細工はつくられたという。
鼈甲の地に貝を形に切って嵌め込む螺鈿という技法に加えて、貴石が取り付けられた絢爛豪華な玉座。つくらせたのはスレイマン大帝の玄孫で、ブルーモスクと通称されるスルタンアフメトジャーミィを献納したアフメト一世。
バイラムについて『トルコで私も考えた①』は、トルコの大きな宗教上の祭日は年に2つある。ひとつはシェケル・バイラム(砂糖祭)、もうひとつはクルバン・バイラム(犠牲祭)である。
シェケル・バイラム(砂糖祭)はラマザン(断食月)が明けたことを祝って甘い物を食べるお祭りで、クルバン・バイラム(犠牲祭)はその名の通り神様に犠牲の羊や牛を捧げるお祭りである。 何月何日に行われるかというのがイスラム暦によるので年に10日ずつ前にずれていきます。
クルバン(犠牲)の起こりはキリスト教やイスラム教の始まるよりずっと昔、最初の預言者イブラヒムが神様から信仰心を試されてその証しに自分の息子の首を切って神に捧げよと言われたそうである。
悩んだ末イブラヒムがまさに息子の首を切ろうとしたその時空から天使が1匹の雄の羊を連れて舞い降りてきて、イブラヒムは息子のかわりに羊の首を切って神様に捧げることができたとか。
現在クルバン・バイラムは神様への感謝を捧げる日でもあり、裕福な家庭が用意した(トルコ語では「切る」という)クルバンの肉を貧しい人々に分け与える日でもあるという。
高橋由佳利氏がトルコで暮らし始めた頃はクルバンバイラムの犠牲の牛や羊がイスタンブールの街中に連れてこられて屠殺されていたとか。後に禁止になったそう。
斜めから見た玉座
玉座の屋根
壺または花瓶から植物の茎が伸びて花を咲かせたり、実がなったりして、オスマン帝国の繁栄を表している。関連記事