2025/06/17

西安市安伽墓石棺床囲屏


「世界遺産 大シルクロード展」で中国に住み着いたソグド人の墓につくられた石堂(複製 北周 580年)をきっかけに、MIHO MUSEUM蔵棺床屏風や、太原虞弘墓出土の棺槨(隋 581-618)をみてきたので、今回は西安市未央区大明宮郷で発見された安伽墓出土の石棺牀について。

安伽墓平面図・断面図 西安市出土 北周、大象元年(579)
『ソグド人と東ユーラシアの文化交渉』は、西安で発見された墓に葬られていたのは、姑臧(現在の武威)で生まれ、北周大象元年(579)に62歳で没した安伽という人物である。安という姓は、ソグディアナのブハラ出身者が中国において名乗った姓であり、安伽はソグド系であることが知られる。
生前、同州(西安の北東約110㎞に位置する陝西省大荔県)薩保に就任している。薩保は「キャラヴァン・リーダー」を意味するソグド語のサールトパーウsārtpawを漢字で音写したものであるという。
西安市出土安伽墓平面図・断面図 579 ソグド人と東ユーラシアの文化交渉より

安伽墓出土石棺牀 北周大象元年(579)
同書は、墓室では、石製の台座と三点の石板が発見されている。石板の表面は、12枚の縦長のパネルに分割され、浅浮彫と彩色によって表されていた。
背面中央のパネルに表された男女は、安伽とその妻であると考えられる。
石棺床囲屏は、前に4本、後ろに3本の脚によって支えられた石板1枚の上に、正面奥と左右端に3枚の石板をのせて立て、石板は三方を「形に囲むように屏風を構成していた。画幅の数は、左右が各3幅、 正面が6幅、合計12幅から成り、各幅は画像を浮彫りしたうえに濃い彩色が施され、おのおの枠で囲んで互いに独立した画像を成していたという。
図版はこれしかないが、様々な行事の場面が描かれているらしいことは想像できる。そして墓室は塼(焼成レンガ)で築かれている。

左端より時計回りに石板浮彫に番号を付けた。
西安市安伽墓出土葬具石板浮彫 579年 ソグド人の美術と言語より


同書は、12幅の画像の内容は、他の石棺床囲屏の場合も考え合わせ、宴飲楽舞図、墓主夫婦図、狩猟図、出行図、隊商図、その他の図の六つに大きく分かれ、一幅に複数の図が描かれる場合もある。
石棺床囲屏を構成するうえで、❶牛車と⓬騎馬の出行図は特別な意味的役割を担っているものと考えられる。両図は、左右屏風の手前の端に位置して向き合い、牛車と騎馬はともに墓室入り口の方を向いているという。

❶女墓主の牛車出行図
上半 この画面の主役は幔幕のおりた豪華な牛車であり、女性は牛車に乗るという当時の慣例に従って中に女主人が乗っているものと考えられるという。
女墓主は姿を描かれない
下半 手前の騎馬の女性二人はこの女主人にかしづく侍女に違いないという。
馬上の侍女二人の衣装は中国風。2名の侍者は侍女とは違う型の帽子を被っている。
西安市安伽墓出土葬具石板浮彫 579年 ソグド人の美術と言語より


❷狩猟図
上半、下半ともに狩猟図だが、向きが反対。野原での狩猟のように見えるが、上端には塀が見えているのだろうか。それとも遠くの山々?
西安市安伽墓出土葬具石板浮彫 579年 ソグド人の美術と言語より


野外の宴飲楽舞図
やはり上端には二段のギザギザが描かれている。ユルタを設営するのは邸宅の庭ではないはずなので、囲壁ではなく山並みを表しているのだろう。
 上半 ユルタは縮絨したフェルトを張るが、ここでは虎の皮を張ったようなユルタに表されている。その中に墓主はいるのだろうか・・・奥で正面向きの人物だったりして。いやソグド帽を被っていない。
 下半 追われて逃げる草食獣に混じってトラもいる。
西安市安伽墓出土葬具石板浮彫 579年 ソグド人の美術と言語より


野外の宴飲楽舞図
上半 ユルタよりも大きなテントだろうか。奥には髪の長い人たち(突厥人)と安家の侍者と同じ型の帽子を被った人たち。手前には突厥人の楽士とソグドの帽子を被った箜篌を弾く楽士、いやこれが墓主の安伽かも。
下半 胡騰舞する人物と、饗応の酒や料理を運ぶ人たち。
西安市安伽墓出土葬具石板浮彫 579年 ソグド人の美術と言語より


上半 野外の宴飲楽舞図 青年期の墓主
墓主と思われる帽子の男性が野外の樹下に絨毯を敷いて楕円球状のものにもたれて坐し、三人の楽人の演奏に合わせて踊る小人(侏儒)二人の胡騰舞などをみながら、後ろに控えた四人の童僕による酒食の饗応を受けている。墓主は細面のスリムな青年に描かれているという。
下半 狩猟図
青年時代の墓主がライオンを仕留めている。
西安市安伽墓出土葬具石板浮彫 579年 ソグド人の美術と言語より

上半 青年期の墓主
西安市安伽墓出土葬具石板浮彫 579年 ソグド人の美術と言語より

下半 ライオンを狩る青年期の墓主
西安市安伽墓出土葬具石板浮彫 579年 ソグド人の美術と言語より


 墓主夫婦図 初老期の墓主夫妻 
正面屏風の中央に位置すべきものとして、他の宴飲楽舞図とははっきり区別される。
手前の小川に橋を架けて、その奥に構えた中国風の豪壮な建物内に、墓の男主人が女主人とともに牀の上に坐して互いに杯を手に語らい合い、建物の外には酒壷を抱えた童僕一人と団扇を持った侍女二人が控える光景が描かれている。
墓主は丸顔の腹も出て恰幅の良い初老風に描かれるという。
墓主夫婦が一緒に建物の中に描かれるのは、史君墓石堂にもあった。MIHO MUSEUM蔵棺床屏風(6世紀後半-7世紀前半)では婚礼の饗宴とされているが、高齢の男女が並んでいる。太原虞弘墓の棺槨にはひときわ広い画面が安伽墓同様正面に置かれて、夫妻が広いテントの中央に坐り、饗宴を楽しんでいる。
また、屋根には鴟尾があって、北周期の建物の特徴がよく描かれている。鴟尾や軒の三斗・人字形蟇股は、雲崗石窟第12窟東壁の仏殿にすでに現れ、法隆寺にも採り入れられた。法隆寺の鴟尾は断片しか残っていないが、玉虫厨子(飛鳥時代、7世紀)にも鴟尾がある。
西安市安伽墓出土葬具石板浮彫 579年 ソグド人の美術と言語より


ソグド帽を被った墓主と長い髪を結ぶことなく背中に垂らした突厥人との挨拶
 上半 馬上で墓主と突厥人が友好的に挨拶を交わし合うという異色の図
 下半 突厥人のテントに招かれた墓主。
西安市安伽墓出土葬具石板浮彫 579年 ソグド人の美術と言語より


荷を積む駱駝や馬を外に置き異民族のテント内でもてなされる光景という。
上半 ユルタの中で突厥人に饗応される墓主
だいぶふっくらしてきた。
下半 隊商する墓主が食事をしている間に休む侍者たちとラクダや馬。馬の背にはユルタと同じ虎の皮の鞍褥を掛けている。
西安市安伽墓出土葬具石板浮彫 579年 ソグド人の美術と言語より


❾ 宴飲舞楽図 壮年期の墓主
ひときわ大きく描かれた墓主は頑健な体躯の壮年に描かれているという。
上半 テントで突厥人にもてなされるソグド帽の墓主
下半 胡騰舞する人と取り囲む人たち。❹にも同じ場面があったが、饗応の三角形や料理を持っているのではなく、頭に乗せて踊る道具を持っているのかも。
西安市安伽墓出土葬具石板浮彫 579年 ソグド人の美術と言語より


➓ 狩猟図
大小の動物たちを追って同じ方向に馬を走らせる人たち。その中には長い髪の突厥人と、白い帽子を被る者や、鉢巻のリボンを風に靡かせる人物もいる。
このように安伽は、ことのほか突厥人との交流を多く描いた。
それについて『ソグド人の美術と言語』は、突厥はトルコ系の遊牧部族で、6世紀に勃興するや、アルタイ山脈の南西麓にいた阿史那氏の土門は、552年、それまでモンゴル高原を支配していた柔然を倒し、伊利可汗と称してモンゴリアの遊牧騎馬民族を統合した。一方、 弟の室点蜜は、567年、それまでヒンドゥークシュ山脈南北の中央アジアに大勢力を築いていたエフタルを滅ぼして、ソグドの本拠地ソグディアナを占領し、西面可汗と称して天山山脈中のユルドゥズ渓谷を本拠に中央アジアを掌握した。
ソグドはこの突厥に占領支配されたにもかかわらず、突厥との関係は友好的、かつ密接であった。突厥はソグド人の交易商人としての商才、経済力と、中国を含めたユーラシア全域をおおう植民聚落のネットワークを必要としたのに対し、ソグドは独自のネットワークを維持するために遊牧騎馬民族としての突厥の軍事力の庇護を必要とし、互いに持ちつ持たれつの共存共栄の関係にあったからであるという。
西安市安伽墓出土葬具石板浮彫 579年 ソグド人の美術と言語より


⓫野外の宴飲楽舞図
上半 黒帽の人物に歓待される墓主
下半 白帽の楽士と胡騰舞する人物。右端には仕切りの中で食べ物の準備をする人。
西安市安伽墓出土葬具石板浮彫 579年 ソグド人の美術と言語より


⓬上半 男墓主の騎馬出行図
上段手前に牛車一輌と牛牽きが配されているが、これは荷物を運搬する牛車に過ぎず、主役はその奥の馬に騎乗した墓主と思われる男性であり、従者二人が後ろに従い傘蓋を男性の頭上に差し掛けているという。
 下半 チンワト橋
更にこの図では手前に橋が架けられており、橋のたもとには、裸の幼児を中に、上段の騎馬出行図に登場した墓主と従者二人が右側に、女主人と侍女二人が左側に配されており、後者の侍女は❶牛車出行図に登場した騎馬の侍女と同じであるところから、この女主人も牛車に乗っていた女主人と同一と考えられるという。
子供の姿は審判が下されて天国に向かう墓主ではなかったかな。 裸の人間については次回
西安市安伽墓出土葬具石板浮彫 579年 ソグド人の美術と言語より

安伽墓の石板浮彫には墓主が何度も描かれている。それについて『ソグド人の美術と言語』は、これらの画面はさまざまの年代の墓主を表しており、あたかも墓主の生涯を綴ったような体裁をなしているという。


安伽墓の浮彫と伝安陽出土葬具石板浮彫に表されたソグド人に共通する帽子
『ソグド人の美術と言語』は、安伽の遺体を置くためのベッドの周りにめぐらされた屏風状の石板には、安伽の生前の暮らしぶりが、精緻な浮彫で表わされる。主人公である安伽は何度も登場するのだが、いつでも白い帽子をかぶっている。東方に移住したソグド人の集落について数々の研究論文を発表している栄新江は、この白い帽子が、「薩保」であることを象徴するものであるとみなしている。
男性は胡座し、台形の白い帽子をかぶっている。騎馬出行や狩猟、突厥の首領を迎える場面の中心人物も、 同じ形の白い帽子をかぶっているという。
薩保の帽子 ソグド人と東ユーラシアの文化交渉より


安伽墓の墓門上部
同書は、安伽墓には、ゾロアスター教と関連し、石門の上の門額に興味深い図が浮彫濃彩で描かれている。 
中央の大きな蓮華座の上に三頭の駱駝が乗り、背中にのせた円形の盤の上では火が炎をあげて燃えさかっており、上方には彩雲が舞って、左右から琵琶を奏でる天人と箜篌を演奏する天人とが舞い降りている。
また駱駝の乗る蓮華座の左右には、花を挿した瓶や壷、大小の杯などを置いた供案(テーブル)が配され、その左右外側には、下半身に大きな翼と鋭い爪の双脚をもった半人半島の祭司が一人ずつ配され、口をマスクで覆い、両手で火箸を持って案上に向けている。更に左右下端には帽子を被った人物と長髪の人物がおり、各々前に香炉を置き、右側の帽子の人物は冊子を左手に、右手で香炉の蓋に触れ、何かを唱えている。
これは一名拝火教ともいわれるゾロアスター教の祭祀の光景を描いたもので、蓮華座の拝火壇に向かって、左右の半人半島の祭司が供物をささげ祭祀を執行し、上では天人によって聖なる音楽が奏でられ、下では供養者が香を焚き簡便な『アヴェスター』の経文を読み上げているものと解される。ゾロアスター教では火は最も神聖なものであり、汚さぬために祭司は口をマスク(パダム)で覆うのであるという。
西安市安伽墓出土墓門上部石板浮彫 579年 ソグド人の美術と言語より



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参考文献
アジア遊学175「ソグド人と東ユーラシアの文化交渉より」森部豊編 2014年 勉誠出版
「ソグド人の美術と言語」 曽布川寛・古田豊 2011年 臨川書店