『トルコ・イスラム建築』は、特筆すべきは、絵付けタイル板による装飾である。半ドームの内側と側廊のヴォールト天井を除き、中央ドームの裾に至るまで、すべての壁とピアの面がタイル板で覆われている。イズニキ産のタイルが主で、キュタフヤ産のタイルも含まれているという。イズニキ産だけでは必要量のタイルがそろえられないので、リュステム・パシャはキュタフヤに私的な工房を作ったとクバンは述べている。色彩もデザインも最高の作品を産出した時代のものである。タイル装飾の美しさでは、トプカプ宮殿以外では、このモスクが突出しているという。
花の縦断を表した文様と、葦の葉サズ、花を上から見たロゼット文、そしてチューリップが茎で繋がる。トルコブルーのロゼットは茎では繋がっていないが、二つのチューリップの花の先と接している。
礼拝室まミフラーブはつか付くことができない場合が多いが、外にあるのでじっくりと観察できる。凹みには人一人が立てるほどの奥行きがあることも分かった。
このタイルパネルにも、花の断面とサズ、ペンチが配されている。サズが花を囲むような動きが表される分、先ほどのタイルパネルよりも凝っている。
花の断面やサズ、ロゼットが細い蔓で繋がっているパネルの中に、一枚だけ違うものが嵌め込まれていた。
そして左側の一番目立つタイルパネル
カーネーションは裏返り、草本の五弁花はニワゼキショウ? 白い葦の葉には青いヒヤシンス。白いチューリップにはチンテマニ。
向きが変になってしまった。サズ(葦の葉)緩やかに渦巻いている。緑色の半円の中にはルーミが。
このスパンドレルは中央に丸い文様がある。
それはオリーブグリーンの地に中国の雲で描いた文様。
右側のタイルパネル
入口イーワーン内
ペンチを中心に蔓が四方八方に出ていて、まわりのハタイなどとそれぞれ繋がっている。中国の雲は茎となり、ハタイにもなっている。
その上の細長いタイルパネルは主文様がハタイとペンチが交互に配され、トルコブルーの枠の外側は、屋根の飾りのような紺色のものの中に、チューリップとカーネーションが交互に並ぶ。
しかし、ペンチとハタイが交互に並んでいた。今までみてきたタイルパネルは、タイルとタイルを貼り合わせても、こんなに乱雑ではなかった。急いで造らせたのだろうか。
側面のタイルパネル
これもピンボケ
白い花が並んだサズは豆のようでもある。
五つの白い花のある紺色のサズ(少し引いて見るとマメ科の実のよう)と紺色の五弁花を蔓草で繋いだもの、そして中国の雲はそれらを避けながら蔓のように伸びていく。
これは文様帯の一つで、白く小さな五弁花を囲む青く太い線は何を表しているのだろう。
つづく文様帯のパネル
平面図 『トルコ・イスラム建築』より
①テラス ②柱廊 ③礼拝室正面入口 ④ ソン・ジェマアト・イェリ(遅れて来た人が礼拝するところ) ⑤主ドーム ⑥ミフラーブ ⑦ミンバル ⑧半ドーム ⑨マッフィル ⑩側廊 ⑪現在の入口 ⑫ソンジェマアトイェリのミフラーブ
柱廊(ソンジェマアトイェリ)のタイル
南端のタイルパネルには赤い色は見られない。
しかしながら、『図説イスタンブール歴史散歩』(1993年刊)にはこのような壁面ではなかった。火災や盗難でなくなってしまった箇所に、その時にあったタイルを貼り付け、そしてそれがまた損壊していたようだ。
現在のタイルパネルは、この下1/3のデザインのタイルを焼き直して嵌め込まれたのだった。こんな風に、現在のものが修復タイルだと分かる図版は貴重である。
続きの窓の上にはコーランの章句が能筆家によって書かれたカリグラフィー。周囲の文様帯も凝っている。
一つ目のミフラーブ
タイルパネルには赤い色が見える。
続くタイルパネルは③入口の両側
『TURKISH TILES』は、入口右側のパネルは左側のパネルに比べて損傷が大きい。1660年にエミノニュ地域で発生した大火の影響は非常に深刻たった。外壁の損傷のもう一つの理由は、長年にわたる盗難だという。
右側のタイルパネル
主パネルには赤い釉薬はない。ここが火災でひどく傷んだため、その後別のタイルが貼られたのだろう。ひょっとすると、左壁の花の咲いた樹木がここにもあったのかも。それは、ムスリムが一生に一度は巡礼したいメッカの街を表している。
トプカプ宮殿のハーレムのミフラーブに大きく表されていたが、ここではほかのタイルと同じ大きさ。
カアバ神殿を描いたタイルについて『TURKISH TILES』は、カアバ神殿はイスラム教において最も神聖な場所とされ、イスラム教徒が顔を向けて祈りを捧げる場所。
カアバ神殿への訪問(ハッジ)はイスラム教の五つの条件の一つであるため、カアバ神殿を描いたタイルは、常に聖地の近くにいたいと願う信者や、この旅に出られない信者の精神的な旅を象徴するものでもある。
16世紀末に最初の例が登場し始めたカアバ神殿を描いたパネルは、17世紀以降、オスマン帝国のタイル製作において重要だったという。
リュステムパシャは1561年に病死し、妻でスレイマン大帝の娘ミフリマーが1562年に完成させたとされているので、このタイルは後の時代に嵌め込まれたもの。
カアバ神殿は鍵穴の形をしたフレーム内に描かれている。カアバ神殿の側面は、1列または2列の柱廊で囲まれている。四つの宗教学校を象徴する建物、ゼムゼムの井戸、ミナレットは、これらの描写に見られる建築要素であるという。
このタイルパネルと左のタイルパネルの文様帯で入口を囲んでいる。
『TURKISH TILES』は、左側の大きなパネルは、イズニクタイルの粋であり、16世紀の最高作品の一つ。このパネルには、イズニクのタイル職人が使用したすべてのモチーフが見られる。青い地の上に、2本の大きな木とチューリップに囲まれたザクロの花、ヒヤシンス、春の花、中国の雲、チンテマニが息を呑むような構図で描かれている。
モスクの隅々まで内部を飾るタイルは、イスラームの内面美の概念と融合し、空虚な建築物に感じる冷たさを消し去った。タイルは建築物を飾る永遠の美の庭園を提供し、その壮麗さを損なわない美観で信者に楽園を約束するという。
天上の楽園を表しているのだった。
また、神谷武夫氏のイスラームの庭園は、イスラーム庭園の起源は 中東、特にペルシアにあるとされる。乾燥した砂漠的風土においては、自然は人を守るよりも敵対する要素としてはたらいた。酷暑や熱風、砂嵐や炎天といった厳しい自然から身を守り、また快適な環境を得るためには、外界の自然から隔離された避難所(サンクチュアリー)を作らねばならなかった。
こうして塀や建物で囲まれ、涼しい木陰と水とを配した庭が求められ、これを「パイリダエーザ」と呼んだのである。それは7世紀にイスラーム教が生まれるよりも 以前からの伝統であって、イスラーム教はこれを受け継いだのであるから、この形式はむしろ「中東庭園」と呼ぶべきだったかもしれない。
イスラーム教を創始したムハンマドは『コーラン』の中で敬謙な信者に約束された来世の庭園、すなわち天上の楽園について繰り返し語っているが、それはこうした中東庭園をモデルにしたものだった。この「パイリダエーザ」がヨーロッパに伝わって、楽園を意味する英語の「パラダイス」の語源となったのであるという。
イスラームでは人物や動物を表すことが禁じられていたので、植物文様や幾何学文様が発達したのだとばかり思っていた。
トプカプ宮殿割礼の間のタイルパネルよりも凝っている。
スパンドレル(上部両側の面)はトルコブルー、中は紺色を背景にしてさまざまな植物文様が溢れている。
スパンドレルには細い蔓草が優雅に渦巻いて花や葉を繋いでいる。
主パネルの白い花は、五弁花もあれば六弁花もある。六弁花の中に六弁花が描かれていたりもする。中国の雲は赤く、チューリップの花は細長い。白と赤の粒々は何の実だろう。
トルコのタイルパネルを見ていて面白いのは、花や葉に茎が通したりしていること。ここにもそれが二つある。
ぐるりと回って⑪現在の礼拝室への入口上のリュネット
礼拝室へ
入口を入ったところがマッフィルの下だった。その壁面にも
その左の壁面には、白色の中に控えめに赤色を挿したチューリップやヒヤシンスという細い文様帯の間に大きな八弁花と小さな五弁花が蔓で繋がれている。紺地の八弁花の中にトルコブルーの八弁花、その中に赤い七弁花が描かれている。
これまではトマトの赤としていたが、近頃は珊瑚の赤と表現されているようなので、今後は珊瑚の赤と呼ぶことにしよう。
入ったところのマッフィル下部のスパンドレルにもタイル装飾はある。
そこから90度回るとスパンドレルが続いている。
南側廊
上部のペンデンティブ、2本のピア、そして二階のマッフィルの壁面もがタイルで覆われている。
ミフラーブ(メッカの方向)上のペンデンティブ
ギュンドアンさんはミフラーブ壁左右に「アッラー」と「ムハンマド」、そして誰々と名前を熱心に教えてくれたのだが、他は忘れてしまった。礼拝室のどの箇所には誰の名前というのが決まっているという。
右円内はアッラーというアラビア文字
そしてその下のミフラーブ
旅編にも記したが『トルコ・イスラム建築』は、特筆すべきは、絵付けタイル板による装飾である。半ドームの内側と側廊のヴォールト天井を除き、中央ドームの裾に至るまで、すべての壁とピアの面がタイル板で覆われている。イズニキ産のタイルが主で、キュタフヤ産のタイルも含まれているという。イズニキ産だけでは必要量のタイルがそろえられないので、リュステム・パシャはキュタフヤに私的な工房を作ったとクバンは述べている。
⑥ミフラーブもやっぱりタイルで覆われていた。
色彩もデザインも最高の作品を産出した時代のものである。タイル装飾の美しさでは、トプカプ宮殿以外では、このモスクが突出しているという。
スレイマニエジャーミイでさえタイルはそう多く使われていない。まして、ミフラーブ内をタイルで埋め尽くしたモスクは他にあっただろうか。
カドゥルガのソコルルメフメトパシャジャーミイではミフラーブのある壁面はほぼタイルで覆われているが、ミフラーブは大理石だった。
このミフラーブのタイルパネルは5面で構成されている。
下部拡大
花瓶から出た生命の木
『 TURKISH TILES』は、花瓶、水差し、ボウル、植木鉢、水差しなどの形状は、オスマン美術で頻繁に見られる。これらの器体はルーミや雲などのモチーフで装飾され、時には花束がその中に描かれている。生命の源であり清潔さを象徴する水は、古代から神聖なものと考えられてきた。水差しや花瓶は、水を入れる器であるがゆえに形が似ており、さまざまな象徴的意味をもってきた。
モスクの照明となる花瓶ランプは、タイルアートでも他の芸術分野と同様に宗教的シンボルとしてミフラープを示すイメージとなった。花瓶に花を生ける伝統は、特に東洋に深く根付いている。あらゆる生き物を神聖視する仏教では、根から切り離された花やその他の植物を蘇らせるために、僧侶が水を満たした器に花を生ける。そのため、花は花瓶とともに、時を経て装飾芸術にもモチーフとして定着した。花瓶の花のモチーフの現実を模倣することには意味があったと考えられる。なぜなら、モスクへの贈り物として花瓶や植木鉢に花を添えるという古い伝統があったからである。祈る人々の間に置かれ、空間に楽園のような庭園を創り出し、ヒヤシンスなどの花の美しい香りを周囲に広げたという。
そんな習慣があったのだ。
ミフラーブを囲む文様帯
その拡大
トルコブルー(ターコイズという言葉をよく目にするが、どういう意味だろうと疑問だったが、そのスペル turquoise を見て納得。これはトルコのという女性形容詞テュルコワーズの英語読みだった)、紺色の他にやや青っぽいのは青紫色。
⑦ミンバル(説教壇)の上にも天上の楽園を表すタイルパネル
そしてミンバル右の壁
中国の雲を内包した葉が回転するように描かれてる。その中心と離れた位置には四弁花のペンチ、その中には手裏剣のような赤い四弁花。
振り向いて入口側のタイルパネル
『望遠郷』は、リュステム・パシャは何千ものタイルを買い集め、それらをスィナンの手に委ねた。彼は、建物の壁を覆うタイルの物質的な価値にとりわけ敏感だったようだ。この装飾は、確かに素晴らしいが、美的な一貫性より財力の誇示が目につく。
リュステム・パシャはイズニックの最良のタイルを自分のものにする制度をつくっていた。宰相は、花柄の装飾で有名な陶芸家からタイルを買い込み、緑の茎の上に傾いている赤いチューリップの花で壁の半分を埋めつくしたのだ・・・・・・
偉大なスィナンの誤ることのない美的センスを示しているのは、ミフラーブの枠と、アーチに囲まれた壁の部分だけである(ジョン・ストラトン 『スィナン』より)という。
リュステムパシャがこのモスクを建てていたのは、まだスレイマン大帝が健在な頃で、スレイマニエジャーミイが落成した後に建て始めたとしても、それをスレイマンは許したのだろうか。
左側のタイルパネル
曲線が多いが幾何学的な配置。
入口上部
スパンドレルは左右の丸文が出っ張っていてタイルではないが、他のスパンドレル同様、ハタイやペンチなどを細い蔓で繋いだもの。
拡大するとちょっとピンボケだが、ハタイの中は中国の雲だった。
スパンドレル右側のタイルパネル
スパンドレル上の縁飾りと同じパターンに囲まれて、ペンチだけが斜めの線で繋いで一面に並んでいる。
ここでも縁飾りに同じパターンが繰り返される。
その上(西側)のペンデンティブ
北側のペンデンティブ
北側廊
ペンデンティブ、ピア、二階のマッフィルの壁面がタイル貼り
二階のマッフィル東より
右からハタイとサズの大きな文様、左端はサズ(葦の葉)がトプカプ宮殿割礼の間のパネルのようにうねっていて、もっと力強い。
そのつづき
二階であまり見えないタイルパネルのせいか、補修タイルが元のものと異なっているものが目立つ。
右上はおそらく入口上部から北へと続くところのパネルと同じく中国の雲を幾何学的にアレンジしたものだが、その下のパネルはものすごく大きな図柄のよう。
あとはどこか分からなくなってしまったタイルパネル。おそらくマッフィル下の壁面を飾っていたのだと思う。
中国の雲を内包したサズ(葦の葉)とペンチ(ロゼット、花を上から見た図)
この中国の雲はかなり変化していた。
主パネルよりも文様帯の方の花が大きいこともある。つづく文様帯のパネル
中央にはサズと小さな赤い花穂の間を揺らめきながら伸びる2本の茎
細長いサズ(葦の葉)の上に小さな花が並ぶモティーフはたくさんあったが、それは平面的なものだった。ところがこのタイルでは、揺らめくサズの葉からこぼれるように赤い小花が描かれている。文様というよりは自然の描写に近い。
『トルコ・イスラム建築』は、スイナンの建築では、装飾としてタイルを多用しないのが普通である。使用しても、強調点にわずか使用するのみである。それゆえ、このモスクのタイル装飾は、スィナンの考えではなく、依頼主の要望によるものにちがいない。モザイク・タイルではなく絵付けタイルであるが、これだけの量のタイルを集めるのは並大抵ではない。長年宰相であったリュステム・パシャの財力がうかがえるという。
また、『TURKISH TILES』は、タイル芸術の絶頂期であったオスマン帝国の古典時代を最もよく反映しているミマール・シナンの建物を見ると、一般的に建築は建物の外部にいかなる装飾も施す余地を与えず、その代わりに内部をタイルで装飾していることがわかる。シナンが内部空間の装飾に使用したこれらのタイルは、建築を消滅させることはなく、有名な建築家の天才を表現するために建築要素が強調された。モスクの隅々まで内部を飾るタイルは、イスラム教の内面美の概念と融合し、空虚な建築物に感じる冷たさを消し去った。タイルは建築物を飾る永遠の美の庭園を提供し、その壮麗さを損なわない美しさで信者に天上の楽園を約束するという。
そして、神谷武夫氏のイスラームの庭園は、イスラーム庭園の起源は 中東、特にペルシアにあるとされる。乾燥した砂漠的風土においては、自然は人を守るよりも敵対する要素としてはたらいた。酷暑や熱風、砂嵐や炎天といった厳しい自然から身を守り、また快適な環境を得るためには、外界の自然から隔離された避難所(サンクチュアリー)を作らねばならなかった。
こうして塀や建物で囲まれ、涼しい木陰と水とを配した庭が求められ、これを「パイリダエーザ」と呼んだのである。それは7世紀にイスラーム教が生まれるよりも 以前からの伝統であって、イスラーム教はこれを受け継いだのであるから、この形式はむしろ「中東庭園」と呼ぶべきだったかもしれない。
イスラーム教を創始したムハンマドは『コーラン』の中で敬謙な信者に約束された来世の庭園、すなわち天上の楽園について繰り返し語っているが、それはこうした中東庭園をモデルにしたものだった。この「パイリダエーザ」がヨーロッパに伝わって、楽園を意味する英語の「パラダイス」の語源となったのであるという。
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参考サイト
神谷武夫氏のイスラームの庭園
参考文献
「TURKISH TILES」 Özlem İnay ERTEN,Oğuz ERTEN SILK ROAD PUBLICATIONS