トルコイスラム美術館には大セルジューク朝(11-12世紀)の陶器や八点星のタイルなどが展示されていたが、後のアナドル・セルジューク朝(1177-1318)のタイルは、見落としたか、あるいは展示されていなかったので、『TURKISH TILES』に記載されているタイルは私にとって貴重なものとなった。
現イランを統治した大セルジューク朝からアナトリアまで拡大したアナドル・セルジューク朝(日本ではルームセルジューク朝)について同書は、大セルジューク朝は11世紀半ばに現在のイラン北東部のホラーサーン地方にテュルク系民族によって建国された。イランからアナトリア地方まで領土を広げたセルジューク朝は、大帝国へと成長し、1071年にビザンチン帝国との戦いでアナトリア地方を領土に加えた。モンゴルの侵攻と1243年のキョセダー Köse Dağ の戦いで大きく衰退した大セルジューク朝は1308年にイルハン朝の属州となった。
大セルジューク朝に次いで、歴史上政治的、文化的に影響力のある役割を果たしたのは次のアナドル・セルジューク朝で、スルタンアラエッディン・ケイクバード(1220-37)の時代が最盛期だった。
文化と芸術の観点から見たアラエッディーン・ケイクバード時代は、セルジューク朝の黄金時代とされている。その思想(イスラーム神秘主義)で影響を与えたメヴラーナ・ジェラレッディーン・ルーミーは、ケイクバード時代の人物だったという。
アナドル・セルジューク朝のタイルについて同書は、アナドル・セルジューク朝期にはトルコ・イスラムのタイル芸術の発展における画期的なことがあった。トルコ建築では、ビザンチン建築でさかんに用いられたモザイクやフレスコ画に代わるタイルが使われた。
13世紀以降急速に発展したタイル芸術は、イランや他のイスラム諸国の大セルジューク朝で使用されていたタイル技術とともに発展し、新しい技術でアナトリアで素晴らしい作品が生まれた。
アナドル・セルジューク朝はモスク、霊廟、宮殿、メドレセ、キャラバンサライなどの建築物とその作品を頻繁に使用し、タイルを使った装飾様式は何世紀にもわたって発展した。タイルはイスラム建築の最も重要な装飾要素の一つとなった。
セルジューク朝時代の首都コンヤ、シヴァス、トカット、ベイシェヒル、カイセリ、マラティヤなどの都市では、タイルで装飾された印象的な建物が建てられた。宗教建築や民間建築に属するこれらの作品に使用されたタイルには、釉下彩、ラスター、ミナイ、モザイクタイル、金箔タイル、浮き彫り技法など、さまざまな技法が使用されたという。
ベイシェヒル Beyşehirはコンヤ konya の西方にあり、ベイシェヒル湖に面した街 Google Earth より
ただし、『TURKISH TILES』に記載されているタイルは一つの図版を除いて、全てアラエッディーン・ケイクバードがベイシェヒル湖西岸に建てたクバダバド宮殿跡から出土したものだった。
ベイシェヒル湖はコンヤから直線距離で96㎞西にある。
ベイシェヒル湖近辺の街、遺跡 Google Earth より |
壁面を飾ったタイルパネル コンヤ カラタイ博物館蔵 アナドル・セルジューク朝期
同書は、アナトリアのセルジューク朝時代に宮殿の建物を飾るために使われたタイルは、宗教建築で使われたタイルとは技法、構成、色彩、形状が大きく異なる。
星や十字の形や比喩的な装飾が使われていた。比喩的な装飾の中の人物描写は、宮殿、キオスク、ハマムなどの民間建築で使われていたが、宗教建築では好まれなかったという。
アナドル・セルジューク朝期のタイルパネル イスタンブール タイル博物館蔵
左は二羽の小鳥、右上はクジャクとその中の十字形タイル。
イェルダ・エルターク博士のクバダバド宮殿のタイルによると、アラーディン・ケイクバードは自らクバード・アバード宮殿の設計図を作成し、主任建築家で細密画家でもあった宰相サディン・ドッグに宮殿を任せた。これまでイブン・ビビの著作でのみ言及されていた謎の宮殿遺跡は、1949 年に初めて発見された。1960年にドイツの考古学者カタリーナ オットー ドルンによって初めて発掘された。現在、アンカラ大学のチームがリュチャン・アリク氏の指導の下で発掘調査を続けている。クバダバード宮殿で発見されたものは、非常に華麗な模様のあるタイルや陶器で装飾されており、カラタイ博物館に展示されているという。
先ほど紹介したように、イスタンブールのタイル博物館にも少し所蔵されている。
白地の八点星タイルと十字(角を数えると十二点星)のタイルの組み合わせパネル
人物は斜めを向いて庭園あるいて野原で寛いでいる。そこでは小鳥が実を啄んでいたり、カモが水辺に浮かんでいる。
コンヤ カラタイ博物館蔵タイルパネル アナドル・セルジューク朝期 『TURKISH TILES』より |
同書は、12 -13 世紀のセルジューク朝時代のアナトリアでは、アニ、ヴァン、ディヤルバクル、シヴァス、ハルプト、カイセリ、アクシェヒル、コンヤ、ベイシュエヒル、アンタルヤ、アランヤなど、数多くの都市で宮殿やキョシュキュ(四阿)などの建物が建てられた。セルジューク朝がアナトリアにやって来たとき、非常に高度な建築の伝統と文化と芸術の蓄積を持っていたことが知られている。中世の統治者にとって、建築物を建てることは何よりもまず力と威信を示すことだった。この観点から見ると、この時代に建てられた宮殿がなぜそれほど壮麗で、それほど印象的な装飾が施されていたのかがよくわかる。廃墟となってはいるものの、今も残っているセルジューク朝の宮殿の内部を飾ったタイルパネルは、当時の芸術と宮殿建築の素晴らしさを物語っているという。
あぐらをかいて座るスルタン 星形タイル アナドル・セルジューク朝期 コンヤ カラタイ博物館蔵
十字形タイルは蔓草文様が描かれている。
二羽の小鳥 星形タイル アナドル・セルジューク朝期 コンヤ カラタイ博物館蔵
飛び立とうとする水鳥 長方形タイル アナドル・セルジューク朝期 コンヤ カラタイ博物館蔵
水鳥が飛び立とうとしている瞬間を捉えているよう。水鳥のまわりには蔓草文様がぎっしりと描き込まれている。
疾駆する馬 星形タイル アナドル・セルジューク朝期 コンヤ カラタイ博物館蔵
コンヤ カラタイ博物館蔵タイルパネル アナドル・セルジューク朝期 『TURKISH TILES』より |
疾駆する馬 星形タイル アナドル・セルジューク朝期 コンヤ カラタイ博物館蔵
テュルク系民族は騎馬遊牧民なので、走る馬を見事に描いている。轡をはめているので野生の馬ではないが、鞍はない。騎馬遊牧民は鞍がなくても乗れたのだろう。
コンヤ カラタイ博物館蔵タイルパネル アナドル・セルジューク朝期 『TURKISH TILES』より |
果実を摘む女性 星形タイル アナドル・セルジューク朝期 コンヤ カラタイ博物館蔵
猛禽 星形タイル アナドル・セルジューク朝期 コンヤ カラタイ博物館蔵
後ろ向きの猛禽類を描いたのか、曲線で描かれた肢よりも尻尾の方が前にあるみたい。
コンヤ カラタイ博物館蔵タイルパネル アナドル・セルジューク朝期 『TURKISH TILES』より |
『TURKISH TILES』は、アナトリアのセルジューク・タイルで最も広く使われた技法はモザイクタイル技法で、最も頻繁に使用された色はトルコブルーだった。実際、トルコブルーのタイルはセルジューク・タイルアートのシンボルとなった。
セルジューク建築に属する建物の外側には、一般的に施釉レンガが使用されている。施釉レンガはタイルよりも耐久性が高く、モスク、メドレセなどの建物のミナレットの装飾に使用されていた。これらのレンガの主な色はトルコブルーで、13世紀前半以降はトルコブルーに加えてコバルトブルーや紫色が使用されるようになった。
モザイクタイルはセルジューク朝で最も使用された技法の一つ。この技法は、宗教建築で特に広く使用された。モザイクタイル技法は、ミフラープ、ドームとドーム移行部、イーワーン、アーチに使用されていた。セルジューク朝時代のタイルモザイクのミフラープは、アナトリアがイスラム建築にもたらした大きな革新として注目される。
アナドル・セルジューク朝時代の典型的な技法であるタイルモザイク技法は、ベイリク朝および初期オスマン帝国時代にはあまり使用されなくなり、その後完全に消滅したという。
アナドル・セルジューク朝期のモザイクタイルについてはこちら
モザイクタイル アナドル・セルジューク朝期 コンヤ スルチャル・メドレセ
小区画の黒い文様は、黒い彩釉レンガを文様に削り残したみたい。トルコブルーの方は文様に切ったものを嵌め込んだモザイクタイル。
コンヤ スルチャル・メドレセ モザイクタイル アナドル・セルジューク朝期 『TURKISH TILES』より |
コンヤには他にもモザイクタイルの残るメドレセなどが残っていて、ゆっくりと訪れたい街である。その時には是非ベイシェヒル湖近辺にも足を伸ばして、街中のエシュレフォル・モスクやクバダバド宮殿跡、そしてヒッタイトの遺跡も見学した~い!
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参考文献
『TURKISH TILES』 Özlem İnay ERTEN,Oğuz ERTEN SILK ROAD PUBLICATIONS