釈迦如来倚像 銅造鍍金 像高(坐高)60.6㎝ 飛鳥時代(7世紀) 東京・深大寺
『超 国宝展-祈りのかがやきー展図録』(以下『超 国宝展図録』)は、関東伝来の古代金銅仏中の白眉と称すべき像で、7世紀後半に盛行をみた台座に腰かけて両足を垂下する如来倚像の一遺品。着衣を通した体軀のみずみずしい肉付けにも、洗練された造形感覚が発揮されるという。
大衣は涼州式偏袒右肩に着ていて、内着の僧祇支は見えないけれど、お腹の膨らみに違和感が。
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東京・深大寺蔵釈迦如来倚像 超 国宝展-祈りのかがやきー展図録より |
台座の覆いまたは大衣の衣端は両端から内側に襞が折られていて、中央のギザギザのところで箱襞になっているが、品字形襞ではない。
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東京・深大寺蔵釈迦如来倚像 超 国宝展-祈りのかがやきー展図録より |
日本の仏像で同時代の如来倚像を探してみると、
伝薬師如来倚像 銅造鍍金 像高28.0㎝ 白鳳時代、7世紀 奈良・正暦寺蔵
『白鳳-祈りのかがやきー展図録』(以下『白鳳展図録』)は、螺髪を表さず、右掌を前に向け第一、二指を捻じ、左手は膝前に置き、左右の足下に蓮台を踏み分ける如来倚像である。
また、肩幅が広く、胸や腹の括れを表さないが、柔らかい肉身の表現もなされている。階段状の鎬だった衣褶を刻む衣文表現も単調化しない見事なものであるという。
大衣は涼州式ではない偏袒右肩に着ていてやはり僧祇支は見えない。大衣はギザギザがあって、その下の短い椅子覆いの箱襞は一つだけ。
『法隆寺宝物館』は、白鳳文化の中心をなす天武・持統朝(672-696)には、本格的な律令国家としての体制が整えられ、仏教も全国的な規模で広まった。この時期には、7世紀前半の飛鳥文化期に流行した古い仏像の形を踏襲したり、北周・北斉・隋から唐時代初期(6世紀半ば-7世紀半ば)の中国の像や、朝鮮半島の新しいスタイルの仏像の影響を強く受けながら、それらを取捨選択して、時代の感性にあわせた仏像が次々に作られた。その形はさまざまであるが、みずみずしく伸びやかな表現を示すものが多いのが特色である。
法隆寺献納宝物の小金銅仏はこの時期のものがもっとも多く、多様性に富んだ仏像表現のありかたを知ることができるという。
法隆寺献納宝物N148 如来倚像 銅製鋳造鍍金 像高23.6㎝ 飛鳥時代、7世紀 東京国立博物館蔵
鼻筋は通るが丸顔。この時代のものと同じく耳朶が長い。
着衣は双領下垂式で胸をはだけているが、内側の僧祇支は見えない。丸い腹部が少し見えている。椅子覆いと裙の境目が見分けられないほど襞が煩雑だ。
法隆寺献納宝物N144 阿弥陀如来倚像(三尊像うち) 飛鳥時代白鳳期 7世紀後半 像高28.4㎝
2本の紐が右肩から下がる大衣を締めているようだが、左肩から脚部にかけて襞が多いが、膝に展開する流れが広がるような衣文線は倚像でこその表現である。
三尊塼仏 白鳳時代、7-8世紀 土製 高23.1㎝幅18.5㎝ 川原寺裏山遺跡出土 明日香村蔵
白鳳展図録は、塼仏はすべて同型で起こされた方形三尊塼仏で、倚坐して定印を結ぶ中尊と、左右の脇侍、上方には天蓋と飛天が表されているという。
白鳳展図録は、塼仏はすべて同型で起こされた方形三尊塼仏で、倚坐して定印を結ぶ中尊と、左右の脇侍、上方には天蓋と飛天が表されているという。
背もたれのある椅子は、敦煌莫高窟275窟の主尊、菩薩交脚像(北涼、397-439)にも見られるが、後者は三角形のような背もたれだった。腰掛け覆いがないので着衣が分かり易い。ギザギザも品字形襞もない。
身に張り付いたような大衣を偏袒右肩に着ているが、やはり僧祇支は見えない。顔に比べ肩幅が広く、腰は引き締まっている。
押出如来三尊像 銅板押出 縦26.3㎝横18.1㎝ 白鳳時代、7世紀 奈良當麻寺奥院蔵
同展図録は、三本に枝分かれする反花蓮華座上に三尊があらわされ、中央に偏袒右肩で禅定印をとる倚像、右脇侍に通肩で袖内で拱手するような形をとる如来形、左脇侍に合掌する菩薩形をあらわす。
中尊の丸みのある顔立ちや素朴で明解な衣文表現は、白鳳期の押出仏に共通し、方形三尊博仏のようなめりはりの付いた顔立ちやプロポーションとは異なった趣を見せる。
また、飛鳥時代(7世紀前半)風の菩薩や如来形を脇侍に配するなど、中国伝来の博仏には見られない特異な尊像構成となる点で、日本化した図像による押出仏と位置づけられるという。
涼州式ではない偏袒右肩の倚像で僧祇支は見えない。頭光と身光に分かれた光背と共に倚坐し、定印を結ぶ。顔や体躯に丸みはあるが、腹部は引き締まっている。 川原寺の塼仏の方が造形がシャープ。
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奈良・當麻寺蔵押出如来三尊像 白鳳-祈りのかがやきー展図録より |
如来倚像は敦煌莫高窟の北涼時代(397-439)の窟にもあった。
敦煌莫高窟272窟(北涼)西壁の本尊
涼州式偏袒右肩の如来倚像。通肩に着ていた大衣をぐっとゆるめて胸をはだけ、右腕を出しているとも解釈できる。僧祇支は色彩を変えて描かれている。
正暦寺像の頭部
『白鳳展図録』は、上瞼が美しい弧を描く見開かれた目と、鋭い鼻筋、きつく結んだ口元を表す顔立ちには、小像とは思えない堂々たる風格が感じられる。二重瞼の表現は、多武峰伝来十一面観音菩薩立像のような請来仏に倣ったとみられ、初唐様式の影響もうかがえるという。
その若やいだ容貌は、法隆寺観音菩薩像(夢違観音)を典型とする、中国・初唐様式の影響を受けた飛鳥時代後期の作品に通ずるという。
観音菩薩立像(夢違観音)銅造鍍金 像高86.9 白鳳時代(7-8世紀) 奈良 法隆寺
『白鳳展図録』は、上腹部に刻まれた肉のくびれを表す単純な刻線や、着衣に表される交互に対向する左右対称の衣文形式、また正面の裙折り返し部に見える品字形の衣文などは、前代の残滓ともいうべき古様な表現で、概して新旧両様の混在が認められる。その意味においては、白鳳時代も終わりに近づいた頃、7世紀末から8世紀初頭にかけての造立とみなすべきであろうという。
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奈良・法隆寺蔵夢違観音像 白鳳-祈りのかがやきー展図録より |
『白鳳展図録』は、大きな単髪を結い上げ、白鳳期の菩薩像に多い三面頭飾を戴く。三面のうち正面の飾りには化仏坐像が表され、本像が観音菩薩像であることを示している。
眼の上瞼の表現が左右で異なっている点も注意されよう。左眼のそれは直線に近く、右眼ではこれが弧を描くように見える。前者は奈良時代、後者は白鳳時代に多い形式であり、意図的なものではないかもしれないが、このようなところにも過渡的性格が読み取れそうに思える。
表面に施された鍍金と、頭髪に塗られた群青彩を、部分的ながら今も見ることができるという。
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奈良・法隆寺蔵夢違観音像 白鳳-祈りのかがやきー展図録より |
『白鳳展図録』のコラム「法隆寺夢違観音像・深大寺釈迦如来像の頭部仕上げについて」は、非常に興味深いものだった。
夢違観音像後頭部について同展図録は、その後頭部全面に細かな刻み目状のものが見える。鋳放ちの状態ではなく、鋳造後に人為的につけられた刻み目である。ヤスリ(鑢)目であろう。地髪及び宝髻、つまり頭髪部のみに限って見え、他の部位にはない。これは何を意図した仕様であろうか。
想像の域を出ないのだが、鍍金せず彩色(群青)を施す部位であることを考慮すれば、その剥落を防ぐための所為ではあるまいか。滑らかな面であればあるほど顔料が剥落しやすいことは容易に推測しうる。効果が如何ほどのものであったかの評価はむずかしいが、ともかくも群青の残存を今日なお肉眼で確認しうるのであるという。
この文を読まなければ緑青が出ているとしか思わなかっただろう。
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奈良・法隆寺蔵夢違観音像 白鳳-祈りのかがやきー展図録より |
深大寺像前頭部
同展図録は、全面にタガネ(鏨)目があることがわかるが、さらに目を凝らすと、夢違観音像ほど密ではないものの、やはり表面にヤスリによると思われる細かな刻み目が認められる。
同像は現在、螺髪をともなわない。この点については既往の見解には二説ある。ひとつは、頭部の全面に認めうるタガネ目を、螺髪接着のための仕様とみる。もうひとつは、タガネ目を螺髪に代わる頭髪の表現とみる。
いずれの説においても、タガネ目については言及しながらヤスリ目についてはふれていない。しかし、別製の螺髪を貼り付けた可能性はやはり検討すべきかと思われ、その場合、螺髪の脱落を防ぐためには、接着面の摩擦係数を高める必要があるだろう。ヤスリ目の凹凸は、螺髪接着のためのひとつの工程だったかもしれない。ただし、もしそうだとしても現状は螺髪をひとつとしてともなわないので効果のほどは定かでないし、また接着の痕跡も皆無である。
あるいはそれとも、本像の場合も夢違観音像と同様、ここにかつて群青が塗られており、その剥落を防ぐ意識で施されたヤスリ目であっただろうか。が、現状は顔料の痕跡も認められない。よって今のところ、いずれとも解釈を定めがたいといわざるをえない。とはいえ、タガネ目のみならずヤスリ目までの人為的な処置がある以上、螺髪も顔料もともなわない現状をもって最終の完成形とはみなしがたいのではないだろうかという。
新薬師寺薬師如来像について同展図録は、盗難によって今所在不明となっている新薬師寺薬師如来像は、模造233の作品解説にもふれたように、法隆寺夢違観音像にも深大寺釈迦如来像にも似たところのある像だが、残されている写真を見ると、その頭部には深大寺像と同様のタガネ目が施されていることがわかる。微細な部分を確認することは困難なのだが、あるいはこの像の頭部にもヤスリ目が施されていなかったか、というのが筆者の想像である。これら三像の作風の共通は、制作工房を同じくする可能性を考えさせるレベルである。この点に関する結論を導くに際し、ヤスリ目という特徴ある細部の仕様の有無は重要なポイントとなるのではないか。いつの日かこの像が再び世に現れ、様々な学術的調査が実施できることを願ってやまないという。
この特別展には行くことが叶わず図録を取り寄せたので、「模造233の作品解説」は知ることができないが、幸い奈良国立博物館の収蔵品データベースに、小さな画像だが薬師如来立像(香薬師像模造)があった。首回りの大きな通肩の大衣は薄く、体型が浮かび上がるほど。大衣の襞は上方では繋がっているが、やがて左右から出た衣文線は途中でなくなる茶杓形になっていく。
ヤスリ目によって深大寺釈迦如来倚像、法隆寺夢違観音像、新薬師寺薬師如来立像の三点の制作工房が同じではないかという岩田茂樹の推察が学術的調査によって認められる日を待っています。
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参考文献
「超 国宝-祈りのかがやきー展図録」 奈良国立博物館編集 2025年 奈良国立博物館・朝日新聞社・NHK奈良放送局・NHKエンタープライズ近畿図録
「敦煌への道上 西域道編」 石嘉福・東山健吾 1995年 日本放送出版協会
「開館120年記念特別展 白鳳-花ひらく仏教美術-展図録」 2015年 奈良国立博物館
「法隆寺宝物館」 1999年 東京国立博物館