トプカプ宮殿平面図
①
中門(儀礼の門) ② 第二の中庭 ③ 厨房 ④ スルタンの馬屋 ⑤ ハーレム入口 ⑥ 御前会議の間 ⑦ 元宝物庫 ⑧ 幸福の門
(白人宦官の門) ⑨ 謁見室 ⑩ アフメット三世の図書館 ⑪ ハーレム出口 ⑫ アーラル・ジャーミイ(Ağalar Camii) ⑬
元小姓の学校 ⑭ メフメット二世の建造物 ⑮ 第三の中庭 ⑯ 聖遺物室 ⑰ レワン・キョシュキュ(現アルメニアの首都エレヴァン) ⑱
バーダット・キョシュキュ(バグダ-ド) ⑲ イフタリエ(小さい東屋) ⑳ ソファ・キョシュキュ ㉑ 第四の中庭 ㉒ メジディエ・キョシュキュ ㉓
ハーレム
②第2の中庭の㉓ハーレム側に⑥御前会議の間がある。
説明パネルは、最初の評議会ホールは、征服王メフメト(1451-81)の治世中に建設された木造の建物だった。現在の柱廊付きの議会ホールは、スレイマン大帝の治世中の1527-29年に主任建築家アラエディンによって再建されたという。
まだミマールスィナンは活躍していなかった。
この向こうは正義の塔(ディワン)になるのか。
スルタンが会議を眺めていた格子窓は、会議に出席していた政治家に自らの権限を委譲したにもかかわらず、国民に対して不正が行われないよう個人的に確認するためにそこにいたことを示しているという。
「オスマン帝国外伝」では、スレイマン大帝が、最初は自分が会議に出ていたが、ある時大宰相イブラヒムパシャに会議をまかせ、格子の向こうで聞くというシーンがあった。
⑧至福の門 Bâbüssaâde(第3の中庭側)
『図説イスタンブール歴史散歩』は、トプカプ宮殿の第2の中庭と第3の中庭をへだてる屋根つきの門は、「至福の門」と呼ばれた。「至福の門」は、スルタンの私生活の場への正式の門口であり、この門を出入できる者は、ごく少数に限られていたという。
門の中では白人宦官が監視していた。
説明パネルは、白人の宦官はバビュッサデ門の警備や宮殿でのその他の重要な役割を担っており、白人の宦官長は宮殿の階級の最高位の役人だったという。
門を出て⑮第3庭園より
説明パネルは、新しいスルタンの即位を祝う式典、宗教上の祝日、遠征開始時の軍最高司令官への聖旗の授与式などはすべてこの門の前で行われたという。
至福の門(説明パネルより)
『図説イスタンブール歴史散歩』は、第2の中庭で、スルタン臨席の下に儀式の行なわれるときには、スルタンの玉座は、この門のまん前におかれたという。
⑨謁見の間
説明パネルは、謁見の間は 15世紀に公式の披露宴会場として建てられ、16 世紀に現在の形になった。これは謁見評議会ホールとしても知られ、勅令には「主権者の執務室」を意味する「makam-ı mualla」と記載されているという。
意外と質素
巨大なベッドのようなソファ、いや玉座
ここでスルタンは玉座に座り、外国大使や帝国議会での決定をスルタンに提示する宰相らを迎えたという。
トプカプ宮殿の暖炉は金属製。こんな風に部屋に突き出ている方が、部屋が暖まり易かっただろう。
トプカプ宮殿の説明パネル
参考文献
「世界美術大全集東洋編17 イスラーム」 1999年 小学館
「図説イスタンブール歴史散歩」 鈴木董・大村次郷 1993年 河出書房新社