2011/09/20

イスタンブール考古学博物館で思い出した1 アナトリアの青銅器時代の鹿

イスタンブール考古学博物館のオリエント館にあったヒッタイト帝国時代のオルトスタット(前14世紀頃か)には、立ち上がった有翼のライオンの後ろに牝鹿と牡鹿が続く。上の小さな説明パネルには、このオルトスタットが門の片側にあったことを示している。
これを見て、青銅器時代にはアナトリアでは多く表されていたこの枝の多い角のある鹿が、後にやってきたヒッタイト人の守護神の配下となってしまったのかと思った。
鹿の像はアンカラのアナトリア文明博物館にたくさん展示されていた。


儀式用スタンダード 青銅 24㎝ アラジャフユック出土 前3千年紀後半
同館図録は、祭式に用いられたこれらの品々の多くは牛の角で囲んだ形が多い。すべて墓から出土したものという。
角のある鹿は、これまで北方ユーラシアを初め、各地で見てきたが、青銅器時代までさかのぼるものはなかった。
鹿の角は毎年春に抜けて生え替わるので、輪廻転生や豊穣を表すと何かで読んだような気がする。 
それなら牛の角はずっと生え替わらないではないかと思うが、巨大な牛に大きな角があるというのは、力強さの象徴だろう。同館にはチャタルフユックの前6千年紀の部屋が再現されていたが、部屋の壁面にはたくさんの牛の頭が掛けられていた。
もっと古い時代の守護神だった牛が、青銅器時代には別の部族の守護神である鹿の眷属になったとも見える。
牡鹿の小像 青銅 高52.5㎝ アラジャフユック出土 前3千年紀後半
同館には他にも青銅の鹿はたくさんあった。こんな小像も見かけた。枝の多い鹿で、ヒッタイト時代の鹿に似ている。
頸部に2本のジグザグ文、胴部に同心円文の象嵌がある。
図録には、アラジャフユックの王家の墓の想像復元図がある。王の遺体が安置された木製の寝台の四隅に、このような鹿の小像が飾られている。そして、埋葬場所には平屋根がかけられ、屋根の縁に上のスタンダードが幾つも置かれている。
※参考文献
「アナトリア文明博物館図録」(アンカラ、アナトリア文明博物館)