2008/01/21

『海を越えたはるかな交流展』の図録を見て新沢千塚古墳群に行きたくなった


『海を越えたはるかな交流展図録』を何度となく開いているうちに、新沢千塚は126号墳の豪華な副葬品だけでなくたくさんの古墳から様々なものが出土する、かなり大きな古墳群であることがわかってきた。
同図録の古墳分布図で、円墳・方墳・前方後円墳・前方後方墳と、形も大きさも異なる、文字通り千個の塚がありそうだった。 東上空からの写真にもポコポコ古墳があるのを見ていると、山西省で通り過ぎる車中より一瞬見えた広武漢墓群を思い出し、中国の古墓群ほど大きな物ではなくても、古墳群の中を歩いてみたいものだと思うようになった。地図で調べると橿原神宮前駅より2㎞ほど西にあるらしい。昨秋橿原考古学研究所付属博物館で藤ノ木古墳の全貌展に行ってガラス碗に出くわした時、すぐ近くにいたのだった。
実際に見た126号墳は、これが方墳かと思うような塚だった。周りの円墳と比べると平たいかな。
前にある説明版のおかげで126号墳だということがわかった。出土物の一覧と内部写真が示されていた。『海を越えたはるかな交流展図録』には、126号墳は、新沢千塚古墳群のなかに含まれる古墳で、県道の北側の支群のなかでは丘陵の中央部に位置し、目立った古墳の一つといえる。墳丘は、東西22m、南北16m、現状での高さ1.5mほどの、低平な長方形墳である。墳丘の中央で、比較的幅広の刳抜式木棺(長さ310㎝、幅63~52㎝)を直葬した埋葬施設が検出されたと解説されているのだが、現地で読んでもいまいち大きさが実感できなかった。
126号墳の上から歩いてきた方を振り返ると、周りの円墳よりは大きいかな、あるいは広いかなと思う程度だった。

※参考文献
「海を越えたはるかな交流-橿原の古墳と渡来人-展図録」(2006年 奈良県立橿原考古学研究所付属博物館・橿原市教育委員会)