2007/11/14

弥勒菩薩は半跏像ではなかった




野中寺の菩薩半跏像に刻まれた銘文にある丙寅年(666)という制作年代に疑問の目を向けられているが、『カラー版日本仏像史』で石松日奈子氏は、大正7年に大阪・野中寺で発見された銅造菩薩半跏思惟像の台座に「弥勒御像」の文字が刻まれていることから、「半跏思惟像=弥勒菩薩」説が有力となり、こんにち日本や朝鮮半島にとどまらず中国や欧米所在の作品にまで及んで定説化しつつある。  ・・略・・  この銘文を根拠として他の半跏思惟像すべてを弥勒菩薩と断定するわけにはいかない。とくに、朝鮮半島や日本の作例は、造形的にも中国6世紀代の河北や山東で隆盛した半跏思惟像との共通性が強く、こんにち安易に弥勒菩薩と称している半跏思惟像のなかには、多くの太子像や尊格不詳の思惟菩薩像が含まれていると思われると、菩薩半跏像が弥勒であることが通説となっていることの発端もまた、野中寺の菩薩半跏像の銘文だとしている。
私はといえば、「菩薩半跏像」または「菩薩半跏思惟像」と書いてあるものを疑問を感じることもなく「弥勒」として見ていたように思う。疑問に思ったとしても、何故弥勒を省略するのだろうくらいだった。
そういえば、最近は書籍や展覧会の図録などで、「弥勒半跏像」と明記されることは少なくなったように思う。ひょっとすると「菩薩半跏像は弥勒ではない」というのがすでに定説になっているのかも知れない。

では、たしかにこれは弥勒菩薩像であるというのはどのような像だろうか。
『仏教美術のイコノロジー』で宮治昭氏は、インドでは過去七仏と菩薩像1体を並べた作例が多く、その菩薩像は釈迦を嗣ぐ弥勒菩薩に相違ない。
インドの弥勒菩薩の図像は、歴史的に、頭髪を結う行者的タイプと、冠飾をつける王者的タイプとに分かれ、しかもこの2つのタイプは、釈迦菩薩や観音菩薩のタイプと対応しつつ、展開を見せるのである。 
行者的イメージと王者的イメージという二項対立は、実は菩薩像だけでなく仏像の造形とも関係し、仏教美術の展開を考える上で大きな視点となる問題でもある。 
インドでは釈迦菩薩のほかに、弥勒菩薩と観音菩薩の造形がクシャーン朝時代以来行われ、この両菩薩の造像がとりわけ盛んであった。  ・・略・・  弥勒菩薩と観音菩薩の占める比重は大きく、仏三尊像の両脇侍にこの2菩薩を配することがガンダーラ美術以来見られる。
弥勒菩薩像が最初に造形されたのは、クシャーン朝時代(1~3世紀頃)のガンダーラ美術においてであった。現在のパキスタンにおいてであった。現在のパキスタンのガンダーラでは単独の仏陀像と並んで、菩薩像も数多く造られている。それらの菩薩像はいずれも首飾り・腕飾りなどの装身具をつけるが、  ・・略・・  束髪・髻型、持水甁の菩薩像  ・・略・・  が弥勒菩薩像であることは、カニシカ1世の銅貨に表された在銘弥勒像(但し銘ではマイトレーヤ・ブッダ、弥勒仏とある)、および過去七仏と並置された弥勒菩薩像が、束髪型もしくは髻型に髪を結い、手に水甁を持っていることから証明される
という。

過去七仏と弥勒菩薩 パキスタン、ガンダーラ出土 2-3世紀 ペシャワール博物館蔵
『パキスタン・ガンダーラ彫刻展』図録の解説は、ガンダーラでは過去七仏に加え、将来この世に降下して衆生を救うとされる弥勒菩薩を組み合わせて並置する作例がいくつか知られている。弥勒は七仏の右あるいは左端に置かれるのが普通である。この作品の場合、向かって左端に束髪で水甁を執る弥勒菩薩像が立つという。

確かに弥勒菩薩であるが、立像として表されている。ガンダーラとは遠く離れて、中国で五胡十六国時代の北涼の領土で発見された、いわゆる北涼塔と呼ばれるものの胴部の八面に過去七仏と弥勒菩薩像が1体ずつ表されている。それは仏7体が坐像で弥勒菩薩が交脚像として表されている。弥勒菩薩立像 インド、マトゥラー、アヒチャトラー出土 ニューデリー国立博物館蔵
一方、マトゥラーで表された弥勒もまた立像である。

『仏教美術のイコノロジー』は、マトゥラーの弥勒菩薩は、ガンダーラの弥勒菩薩と同様に、耳飾りや首飾りなどの装身具をつけ、左手に水甁を執っている  ・・略・・  仏陀に準ずる者としての求道性・超世俗性を反映し、肉髻をつけないことによって仏陀と区別しているという。
インドでは仏像は結跏趺坐像か立像であらわされている。『インド・マトゥラー彫刻展』図録に、頭部・両腕は欠損しているが、本像と非常に似たマホーリー出土の菩薩立像(ニューデリー国立博物館蔵)が2世紀ということなので、本像も2世紀としておく。 仏三尊像 ガンダーラ、サハリ・バハロール出土 3-4世紀 ペシャワール博物館蔵
『パキスタン・ガンダーラ彫刻展図録』は、・・略・・ 左脇侍菩薩は、束髪で、右手を肩の高さにあげ、手の甲を正面にむける。右脇侍菩薩は、ターバン冠飾をつけ、左手に花綱を持つ。左脇侍は左手を失うが、水甁を執る弥勒菩薩であったろう。また、右脇侍は観音菩薩とみてよいという。

宮治昭氏が先述した仏三尊像の組み合わせである。 弥勒菩薩交脚像 アフガニスタン、ハッダ出土 ストゥッコ 3-4世紀 フロランス・マルローコレクション
『アフガニスタン 悠久の歴史展』は、二重の首飾りと上腕に豪華な飾りをつけ、左手に水甁をもつ姿は、弥勒菩薩である。人差し指と中指で水甁の首を挟む持ち方はガンダーラの弥勒菩薩と同じである。足先は失われているが、両足首を交える交脚に坐しているという。

やっとここで交脚像の弥勒菩薩が現れた。このように、インドやパキスタンという仏像の源流から弥勒菩薩像をたどってみたが、立像と交脚像はあったが、半跏像はなかった。半跏像はどこから出てきたのだろうか。

※参考文献
「カラー版日本仏像史」 水野敬三郎監修 2001年 美術出版社
「仏教美術のイコノロジー」 宮治昭 1999年 吉川弘文館
「アフガニスタン 悠久の歴史展図録」 2002年 NHK
「パキスタン・ガンダーラ彫刻展図録」 2002年 NHK
「インド・マトゥラー彫刻展図録」 2002年 NHK