2007/08/06

山西省でアーチやヴォールトと言えば窰洞



喬家大院の四合院には出入口や窓もアーチ形になっているところがあったが、室内は平天井だった。その後行った平遥は明代の城壁に囲まれた町だった。それまでは版築の城壁だったのが、焼成レンガ(磚、せん)で表面を覆い、補強したのだそうだ。 その城門もアーチ形だったのは、版築という土を突き固めたものに開口部を造る場合、四角いものよりも円に近い頂上にする方が上からの荷重を両側に逃がして丈夫だったからだろうか。平遥の名産が漆器というのは知らなかった。ガイドの屈さんは、仕上げにゴマ油を塗るので光沢がありますと言ったが、漆器と言えばジャパンでしょう。
渾漆齋大院という有名な漆芸家の工房は、その昔日昇昌の支配人・冀玉崗氏の祖先の住宅だったのだそうだ。塀の高い立派な邸で、その入口もアーチ形だった。 ここも四合院が複数あった。奥の四合院は、それぞれの建物ににアーチ形が複数並んでいた。中の一室に入ると両側の白い壁が円筒形(トンネル状、ヴォールト、穹窿)の天井へと続いていた。4月にしては暑かったその日は、部屋に入るとひんやりと心地よかった。上の階や隣室の間には土が詰まっていることを思わせた。複数の四合院を繋ぐ通路のひとつが、やはりヴォールト天井だった。このアーチ形の入口や窓、あるいはトンネル状の天井というのは、黄土高原の住居として知られている窰洞(やおとん、窰の異体字は窯)と同じつくりではないか。
黄土高原で、窰洞という形態の住居がいつ頃から造られていたのかわからないが、四合院にも入り込んでくるほど、窰洞は夏暑く冬寒い山西省の気候に合った住居なのだろう。