2007/07/06

大同、上華厳寺の屋根に鴟尾ではなく龍生九子




大同市内の東西に走るメインストリート大西街から南へ古い街並みの唐市角という通りがのびている。しかし、ガイドの窟さんは、この通りは古い家をまねて3年前に建てられました。大同市は骨董街にするつもりでしたが、賃貸料が高いので、骨董屋は1軒も入りませんでした、と言った。グレーの磚で建てた家は古いと思ってしまう。 一つ目の通りを西に曲がると上華厳寺が遠くに見える。両側に商店の看板が並んでいるものの、車の進入禁止の立て札が真ん中にあり、静寂な空気が漂っている。奥に上華厳寺の屋根が見える。鴟尾がのったお寺の屋根を見て、懐かしい気がした。  近づくと共に両側の土産物屋の派手さが目立ってくる。
上華厳寺は遼の時代(916-1125年)に建てられました。約千年の歴史があります。遼の時代、大同は遼の都でした。大同はみんな平等にという意味ですと屈さんが言った。大同は北魏時代前半の都平城(386-493年)だったくらいに思っていたのだが、今回の旅行が決まって一夜漬けの勉強で、共に遊牧民族の遼(契丹族)と西夏(タングート族、982-1227年)の西京・大同府だったことを知った。
上華厳寺は山門から進んでいくと、先ほどから屋根が見えていた大雄宝殿が、高いところにあるのだった。巨大な建物の上に何故か1階分くらいの段があるので建物全体が見えない。 鴟尾がありますねと屈さんに言うと、鴟尾ではありません。龍には9匹の子供がいて、これは9番目の子供です。高いところが好きなので、屋根の上に登っています。瑠璃瓦でできていますという答えが返ってきた。
そう言われてじっくり見上げると、確かに日本でみかける鴟尾と違っていた。 お寺の屋根に鴟尾ではなく龍の子供?どうも腑に落ちない。前日見学した雲崗石窟でも、複数の窟で壁面に屋根の上に一対の鴟尾がのっていた(下図は第10窟前室東壁)。敦煌莫高窟第257窟西壁中層(北魏、439-535年)にもあちこちに鴟尾がついた屋根が描かれていたし、昔の建物風に造られた西安の陝西省歴史博物館の屋根にも鴟尾があるので、鴟尾が龍の9番目の子供と入れ替わったのは、 後世のことだろう。この上華厳寺の創建時に龍の9番目の子供だったかどうかは不明だ。

後日訪れた北京の故宮にも龍の9番目の子供は屋根に登っていた。ガイドの高さんは瑠璃瓦は山西省で焼いて運んだんです。屋根の上の龍の9番目の子供は、高いところが好きじゃなくて、暴れん坊なので、動かないように屋根の上で棒で口が固定されてるんですと説明してくれた。
『中国建築の歴史』によると剣把で固定されているようだ。 しかし、これが龍の9番目の子供かどうかは明記していない。 龍の9匹の子供ということで調べてみると、「龍生九子」というらしい。Wikipediaによると、
一説
贔屭(ひいき) 形状は亀に似ている。 重きを負うことを好む。
螭吻(ちふん) 形状は獣に似ている。 遠きを望むことを好む。
蒲牢(ほろう) 形状は龍に似ている。 吼えることを好む。
狴犴(へいかん) 形状は虎に似ている。 力を好む。
饕餮(とうてつ) 形状は獣に似ている。 飲食を好む。
蚣蝮(こうふく) 形状は魚に似ている。 水を好む。
睚眦(がいし) 形状は龍に似ている。 殺すことを好む。
狻猊(さんげい) 形状は獅子に似ている。煙や火を好む。
椒圖(しょうず) 形状は貝にも蛙にも似ている。 閉じることを好む。

異説以下は李東陽の『懐麓堂集』での説による。
囚牛(しゅうぎゅう) 音楽を好む。
睚眦(がいし)
嘲風(ちょうほう) 遠きを望むを好む。
蒲牢(ほろう)
狻猊(さんげい)
贔屓(ひいき)
覇下(はか)
狴犴(へいかん) 悪人を裁くを好む。
負屓(ふき) 文章の読み書きを好む。
螭吻(りふん)
鴟吻(しふん)
 
ということだ。この龍生九子は諸説あるらしく、中には饕餮が含まれているものもある。飲食を好むことから大喰らいになったのだろう。

前日、雲崗石窟第5窟の前で屈さんは、5窟6窟は双窟になっています。中の石窟を守るために前の建物を清の1651年前後、順治皇帝の時に建てられました。柱の龍は、龍の3番目の子供で、火を消せたそうです。木造建築の火事を防ぐために付けてあります、と言っていた。獅子には似ていないが、煙や火を好む狻猊しか当てはまらない。
龍生九子はずっと後の時代にできたものだと思う。屋根の上の龍の9番目の子供も、たぶん明清時代に造られたのだろう。屋根が葺き替えられるうちに、鴟尾から瑠璃瓦の龍の子供になっていったのだろうが、当てはまる名前がわからない。

※参考ウェブサイト
龍生九子はWikipedia、または龍の種類、龍の9匹の息子達

※参考文献
『中国建築の歴史』 田中淡訳編 1981年 平凡社