ヤズルカヤ ギャラリーAとギャラリーB 図は説明パネルより
『Gods Carved in Stone The Hittite Rock Sanctuary of Yazılıkaya』(以下『The Hittite Rock Sanctuary』)は、ハットゥシャの北東1㎞強のところにある天然の巨大岩、ヤズルカヤは、自然岩を使った最も野心的な彫像プロジェクトであった。この天然の構造物は12mの高さの壁に囲まれ、屋根のない二つの大きな部屋からなる。少なくとも前15世紀以降、ことによると「新年祭」の場として宗教上の聖所として使われていた。前13世紀になると精巧なレリーフ壁画が加えられるとともに、巨大岩の正面に通じる道を塞ぐように人工的な神殿が建設された。ここを訪れた者はまず、祭壇のある閉じられた中庭へと続く階段を進み、左に曲がって別の階段を登ってようやく聖所の主室に入ることができた。
訪問者はここで両側に行列をなす男神と女神のレリーフに迎えられる。神々の図像の横にあるカルトゥーシュによれば、この神々は、特に前13世紀半ばに国家宗教において重視されたフリの神々であったという。
フリはフルリ人 Hurrian とも呼ばれる。『古代オリエント事典』は、前2千年紀の北メソポタミアを中心に活動し、ミタンニ王国を築いた民族、フリ人の呼称はシリアやアナトリアで用いられた。、彼らの文化や宗教はシリアやアナトリアの諸民族に強い影響を与えたが、とりわけヒッタイト王国で顕著である。フリ語は膠着語タイプの言語で、これと近縁の言語としては前1千年紀のウラルトゥ語があるという。
同書は、図像の下には奉納物を置くための細い岩棚があるという。
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| ヤズルカヤギャラリーA主要部 Gods Carved in Stone The Hittite Rock Sanctuary of Yazılıkaya より |
⑩の右端No.41の天候神の浮彫は見えていたけれど、No.40は全く気づかなかった。
No.40 神クマルビ
『The Hittite Rock Sanctuary』は、高い尖った帽子(角は見えない)をかぶり、短いスカートと前開きのマントを身に着けた髭を生やした男性像。幅広の帯の後ろに、三日月形の剣の柄の先端が見える。二つの高い切り株状の台座の上に立っている。人物像の高さは台座を含めない場合1.37m、台座を含めると2.18mという。
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| ヤズルカヤギャラリーAのNo.40、41の神々 Gods Carved in Stone The Hittite Rock Sanctuary of Yazılıkaya より |
図解は『The Hittite Rock Sanctuary』より
同書は、おそらく神クマルビとヒッタイトの嵐の神で、どちらも二つの山頂の上に立っているという。
No.41 嵐の神
同書は、尖った帽子(角ははっきりと確認できない)をかぶり、短いスカートと前開きのマントを身に着けた髭を生やした男性像。帽子の上部には座った牛の形をした装飾がある。腰帯には三日月形の柄頭を持つ剣を差しており、鞘の湾曲した先端が左側の臀部の後ろに見える。右手には肩に担いだ大きな槌矛を持ち、左手には長い杖(あるいは槍?)を持っている。像の高さは山頂部分を含めない場合は1.51m、含めた場合は2.32mという。
帽子の上に牛? 上図のイラストには確かにとんがり帽子の上に牡牛がすわっているけれど、この写真では分からない。
⑩ ギャラリーA最奥部の最も重要な場面
『古代都市Ⅰ』は、ギャラリ-Aに神々の浮彫が施されたのはハットゥシリ三世(前1275-50)の時代だった。万神殿の建設には王妃プドゥヘパも強い熱意を示し、尽力したという。その王妃の自負心から、夫君ハットゥシリ三世をテブシュプに、自らをヘパト、息子のトゥドハリヤ四世をシャルマとして表したとも考えられようという。
No.42 天候神テシュブ
『The Hittite Rock Sanctuary』は、短いスカートと、半円形の角が4列に並んだ高い尖り帽子をかぶった、髭を生やした男性像。左腰のベルトからは三日月形の柄の剣が吊り下げられている。右手に持った槌矛は肩に担いでいる。足元には、同じく尖り帽子をかぶった跳ねる牡牛がいる。
この大きな像はフリ人の嵐の神テシュブで、水平に頭を下げた2体の髭を生やした人物の首筋の上に立っている。
これらの人物は、神性を表す角付きの帽子と、鱗状の突起のある円錐形の下半身から、山の神であることがわかる。彼らの曲がった背中には長い三つ編みが垂れている。
像の高さは、山の神を含めない場合は1.76m、含める場合は2.52mという。
No.43 アリンナの太陽の女神へパト
四つの山の頂きに足をのせたヒョウが左向きに描かれ、その背にすっくりと立った女神が夫である最高神テシュブと向かい合っている。両者は同じ大きさに表されている。女神の横から神の帽子を頭に載せた牡牛の神が半身をのぞかせている。
ヘバトの背後の神々はすべて左、つまり主神テシュブの方を向いているという。
天候神テシュブと太陽女神ヘパトの腹部前には神の帽子を被った牡牛の神の頭部と前肢が表されているらしいのだが・・・
同書は、テシュプおそらく山の神ナムニとハッジの上に立っていると考えられる。牡牛は、添えられた碑文の中で「テシュブの子牛」と記されているという。
前に倒れ気味の神の帽子と背中や腰の丸み辛うじて見える。
『鉄を生みだした帝国 ヒッタイト発掘』(1981年)で大村幸弘氏が撮影された図版と比較すると、大村氏の写真は全体にくっきりとしている。少し低い位置から撮影するとこのように写るのだろうか、それとも40年で風化が進んだのだろうか。スカートの襞や左の山の神の体の膨らみ、獣の丸みさえ感じられるほど。
No.44 神シャルマ
同書は、短いスカートと、前面に角の列がついた尖った帽子をかぶった男性像。長い三つ編みの髪が背中に垂れ下がっている。彼はベルトに三日月形の柄の剣を右側に下げ、左手には戦斧を持っている。シャルマは、尾をほぼ垂直に上げた獣の背中に立ち、獣は二つの山頂にまたがっている。シャルマは右手に持った鎖で獣を引いている。人物像の高さは、獣と山頂を除いて1.32m、獣と山頂を含めると2.24m。
ヘバトとテシュブの息子であるシャルマ神。その名は、短いスカートをまとった男性の下半身を描いた印象的なヒエログリフで表現されている。その下半身には、左右の上部に斜めの突起が2本ずつ突き出ている。彼が手に持つ武器はおそらく斧(斧頭に柄を差し込む穴が開いている)で、刃先は斧頭のまっすぐな先端で、反対側の丸い先端は、おそらく石突きの大きな鈍い突起を表していると考えられるという。
双頭の鷲の翼は、複数の縦帯によって節に分割されており、これはNo.34の太陽神の上の翼や、No.64と81に描かれた有翼日輪とよく似ている。
双頭の鷲のモティーフは青銅器時代中期からアナトリアでよく見られ、カルム時代(アッシュール商人の居住地時代、前19-18世紀)の印章に頻繁に見られる。ヒッタイトの文献にはこのモティーフの説明は見当たらないが、おそらく力と警戒心の象徴と考えられていたという。
双頭の鷲はアッシリアから? アナトリアだと思っていた。
⑭ No.64 偉大なる王トゥドハリヤ四世
カルトゥシュを右手で掲げ、左手には先の曲がった聖杖(リトゥウス)を握っている。
『ヒッタイトの歴史と文化』は、まるで遠くから行列を見つめるようなトゥドゥハリヤ四世のレリーフが保存の良い状態で残っている。トゥドゥハリヤ四世は、ヒッタイト王が祭典を催す際に着る衣装を身にまとい、半球状の縁なし帽子を被って羊飼いの杖(リチュウス)を持った姿で表され、山々の上に立っている。
トゥドゥハリヤ四世の像は独立した構成要素となっており、その大きさは行例をなす神々の像の倍もある。トゥドゥハリヤ四世はこの聖所の所有者であることを知らしめるために、ここに自らの像をおいたのだろうか、それとも死後に息子のシュッビルリウマ二世が設置したものなのだろうかという。
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| ヤズルカヤ ギャラリーA トゥドハリヤ四世像 Gods Carved in Stone The Hittite Rock Sanctuary of Yazılıkaya より |
有翼日輪の下に王の位と名を示す象形文字があるトゥドハリヤ四世のカルトゥシュ
遠くから見ると黒い唇に見えたものは風化で剥がれた跡で、真横を向いた王の若々しい顔貌の一部ではなかった。
⑮ギャラリーAの出口 No.65・66 向かい合って坐る男女の神
『The Hittite Rock Sanctuary』は、ギャラリーAの彫刻の主題は神々の列であるが、訪問者は入口の建物群から出ると、まず異なる種類の図に直面する。図は右側の突出した岩塊に彫られており、風化が激しい。
左側には、長いローブをまとい、前面に角のある高い尖った帽子をかぶった男性像が座っている。その向かい側には、高い頭飾りから女性像と判別できる女性像が座っている。二人の間には、テーブル、あるいは犠牲の祭壇がある。その上にある二つのヒエログリフの碑文は、神を表す記号で始まるが判読できない。高さは0.70-0.82mという。
参考文献
「古代都市Ⅰ ヒッタイトの都ハットゥシャ」 2013年 URANUS
「Gods Carved in Stone The Hittite Rock Sanctuary of Yazılıkaya」 Jürgen Seeher 2011年 YAYINLARI
参考にしたもの
現地説明パネル



















