2014/04/01

イラクリオン考古博物館6 ミノア時代のファイアンスはすごい 



ミノア時代には、女神像や家屋のファサードを表した装飾板などがファイアンスで作成されていた。

蛇女神像 前1600年頃 ファイアンス 高さ29.5㎝ イラクリオン考古博物館蔵
『世界美術大全集3エーゲ海とギリシア・アルカイック』は、蛇女神は大地母神の信仰に属していた。本作品の蛇女神の頭部に付けられた野生の猫は牝獅子とも考えられており、女神と獅子の組み合わせはクレタの印章上にも登場する。
胸をあらわに見せる上着と、細く絞ったウェスト、エプロン風の前垂れ、その下に切り替えのあるスカートという出で立ちという。
ファイアンスでどんな風に作ったのだろう。

家屋の正面の装飾板 新宮殿時代、前1600-1500年頃 ファイアンス クノッソス宮殿出土 イラクリオン考古博物館蔵
同博物館の説明板は、ミノアの町の二階建てまたは三階建ての家の正面を表した「タウン・モザイク」。ドア、窓、階段、屋根を表している。木製のタンスの象嵌に使われた可能性があるという。
同じくタウン・モザイクと呼ばれているものには、樹木や山羊などが表されているものもある。

タウン・モザイクとは異なったシリーズの動物では、

仔牛に乳を与える母牛 新宮殿時代、前1700-1450年頃 ファイアンス
『HERAKLEION ARCHAEOLOGICAL MUSEUM』 (以下『HERAKLEION』)は、ファイアンスの浮彫り板という。
角が非常に細長く、先が大きく曲がっている。

ミノア時代のファイアンスで驚くのは、一つのものに様々な色が施されていることだ。

ファイアンスといえばエジプト。その最も古い例が、サッカラの階段ピラミッド地下に残っている。

ファイアンス・タイル エジプト出土 前27世紀 
『世界のタイル日本のタイル』は、建築装飾素材としてのタイルの、ごく初期の遺例は、エジプトに見られる。ここに挙げるファイアンス・タイルは、世界最古の施釉タイルとされ、古代エジプト第3王朝・ジェゼル王の階段ピラミッドから見出された。石英を粉末にして練り固めた素地に、天然ソーダと酸化剤を混ぜて施釉してある。裏面には紐通しの穴が開いた凸状の足がついている。紐で連結し、壁面の溝に嵌め込んで張ったと考えられるという。

しかし、これは単色のファイアンスを様々な形に作って組み合わせ、ジェド柱などを表したもので、一つの形の中に色の異なる部分があるミノアのものとは異なる。

同書は、前1400-1300年頃、エジプトで、さまざまな釉を用いたファイアンス、象眼タイル、多彩色タイルなどがつくられるという。
その中で色彩の最も華やかな遺例がラメセス2世期のものだ。

植物文ファイアンス装飾 カンティール出土 新王国第19王朝時代(前1279-1212年頃)    
『砂漠にもえたつ色彩展図録』は、ファイアンスタイルを多用した建築物としてはラメセス2世(前1279-1212年頃)がカンティールに築いた王宮址。植物文様の壁面装飾がある。多色タイルを帯状に連ねて恐らく王宮のボーダー飾りとして使われたもので、青ロータス(蓮)の花は緑と青、赤、黄で彩色され、隣には薄青色の葡萄や白い花弁の花が黄色地のタイルに埋め込まれている。これは古王国時代から続く手法を踏襲しているもので、部分的に貼りつけたり、地タイルの上に他の色のファイアンスを焼きつけて製作しているという。
エジプトでは、多彩色ファイアンスは古王国時代から製作されていたということでなので、ミノア時代のファイアンスは、やはりエジプトからの技術を採り入れたものかな。

イラクリオン考古博物館では、もっとびっくりするようなファイアンスのコーナーがあった。
技術がエジプトから請来されたものとしても、こんなに立体的なファイアンスはミノア独特ではないだろうか。

新神殿時代、前1600年頃
HERAKLEION』 は、蛇女神像の台座を飾っていたという。
色とりどりの貝殻
二枚貝や巻き貝など。一番下は不明。海底を表しているのかも。
トビウオとオウムガイ ファイアンスの象嵌
土台は明らかにされていないが、説明板から、ファイアンスで製作した部品をトビウオやオウムガイの形に象嵌したものらしい。
右隅には果物、クロッカスやパピルスの花なども。

8の字型楯など
そうなると、別のコーナーにあった、大小の8の字型楯や小さな円花文のもファイアンスだろう(説明板を撮影するのを忘れていた)。家具の装飾にでも使っていたのかな。
クノッソス宮殿東翼大階段の壁面に描かれていた8の字型楯と同じ形をしている。
8の字型楯は、ミケーネの護符や壁画などにも同じようなものがある。
それについてはこちら

一方、博物館には装身具も多数壁に掛けられていた。

首飾り 新宮殿時代(前2500-1600年頃) モキオス出土 金・水晶
やっぱりガラスはないかな~
首飾り 前宮殿-新宮殿時代(前2500-1500年頃) モキオス及びプラタノス出土 金・準貴石
ここにもガラス製の珠はないようだ。
首飾り 後宮殿時代(前1400-1350年頃) 金・紅玉髄・水晶・青の練りガラス(パート・ド・ヴェール) アルハネス(クノッソス宮殿郊外の墓地)出土
あった。この青い色がミノアのガラス。
しかし、『古代ギリシア遺跡事典』が、後期ミノアⅠB期の末(前1490年頃)には、北方のギリシア本土で興隆してきた戦闘的なミケーネ文明の人々がクレタ島に侵攻し、各地の宮殿を焼き払ってしまった。そのなかにあって、クノッソスはミケーネ文明の人々による支配の拠点として改装されたうえで、引き続き宮殿としての機能を果たすことになったらしいというように、このガラスの首飾りが作られた頃は、すでにミノア文明ではなく、ミケーネ時代に入っていたのだ。 
やっぱりガラス製作は、クレタ島でもミケーネ時代からということかな。

おまけ
おそらく水晶製と思われるもの。  

21の花弁のある花または光線の出ている太陽?


   イラクリオン考古博物館5 ミノア時代の建物の手がかり
         →イラクリオン考古博物館7 クレタの陶器にはびっくり

関連項目
サッカラの階段ピラミッドの地下には複数のタイルパネル
世界のタイル博物館8 エジプトのタイル
イラクリオン考古博物館1 壁画の縁の文様
イラクリオン考古博物館2 女性像
イラクリオン考古博物館3 粒金細工
イラクリオン考古博物館4 水晶製のリュトン
イラクリオン考古博物館8 双斧って何?
アテネ国立考古博物館 ミケーネ3 瓢箪形の楯は8の字型楯

※参考文献
「世界のタイル日本のタイル」(2000年 INAX出版)
「世界美術大全集2 エジプト美術」 1994年 小学館
「砂漠にもえたつ色彩 中近東5000年のタイル・デザイン展図録」 2001年 岡山市オリエント美術館
「HERAKLEION ARCHAEOLOGICAL MUSEUM」 ANDONIS VASILAKIS EΚΛΟΣEΙΣ ADAM EDITIONS