2014/03/28

イラクリオン考古博物館5 ミノア時代の建物の手がかり


ミノア時代の神殿がどのようなものだったかは、山上の祠堂のリュトンなどからある程度知ることができる。

山上の祠堂のリュトン 前1450年頃 ザクロ宮殿出土
切石積みだったこと、牡牛の角が軒の上に飾られていたことなどが明らかだ。
その想像復元図
円柱があるのかどうかはわからない。槍のように突き出たものが4本ある。


しかし、ミノア時代には宮殿や神殿だけでなく、家屋を知る出土品がある。

ハトの乗る三円柱の祠堂 古宮殿時代、前1900-1700年頃 テラコッタ イラクリオン考古博物館蔵
円柱の上に四角形の柱頭、更に2本の丸太状のもの、そして鳥が乗っている。
長い首を背中にのせているのはガンカモ科のような水鳥に見える。
牡牛の角が載せられるのは新宮殿時代からで、それ以前は鳥という、強さの感じられない生き物を載せていた。
空を飛ぶことに憧れていたのだろうか。

もっと不思議なものが展示されていた。

家屋の正面の装飾板 新宮殿時代、前1600-1500年頃 ファイアンス クノッソス宮殿出土 イラクリオン考古博物館蔵
同博物館の説明板は、ミノアの町の二階建てまたは三階建ての家の正面を表した「タウン・モザイク」。ドア、窓、階段、屋根を表している。木製のタンスの象嵌に使われた可能性があるという。
当時民家でも二階建てや三階建ての家があったこと自体驚きだが、それを装飾のモティーフとしたこと、そしてファイアンスで作ったことなど、一体どんな人々が暮らしていたのだろう。
どれ一つ同じものはない。
そして色も鮮やか。ファイアンスの板に着彩していたのだろうが。

立体的なものもあった。

家の模型 新宮殿時代、前1600年頃 粘土 アルカネス出土
『HERAKLEION ARCHAEOLOGICAL MUSEUM』は、二階建てのレンガの家の模型。建物の詳細がわかるという。
確かに壁面にはレンガを積んだような線が刻まれている。日干レンガかな、それとも焼成レンガかな。
2階にはバルコニーまであって、くつろぐ場所と時間のある優雅な生活が想像できる。
丸太4本がバルコニーを支えている。総レンガ造りでは、平天井は架けることが不可能で、ヴォールト天井となるのだが、木の梁ならば平天井をつくることができる。
レンガ造りなら、小さな窓もあけられるだろう。
1階の右端が出入り口だったようだ。左手の腰壁になっている開口部には円柱がありそうだ。
考古博物館の説明板は、1階に中央に円柱のある居間、その右壁には両開きの扉があるというが、この3つずつの穴が縦に並んだもののことかな。
その裏側。
円柱はクノッソス宮殿のように下が細くなっていたかどうかまでは、この模型では確認できない。
柱はおおむね建物の枠に沿って立てられ、屋根(後補らしい)の形に沿って、床部分にも立てられている。

イラクリオン考古博物館4 水晶製のリュトン
     →イラクリオン考古博物館6 ミノア時代のファイアンスはすごい

関連項目
イラクリオン考古博物館1 壁画の縁の文様
イラクリオン考古博物館2 女性像
イラクリオン考古博物館3 粒金細工
イラクリオン考古博物館7 クレタの陶器にはびっくり
イラクリオン考古博物館8 双斧って何?

※参考文献
「世界美術大全集3 エーゲ海とギリシア・アルカイック」 1997年 小学館
「HERAKLEION ARCHAEOLOGICAL MUSEUM」 ANDONIS VASILAKIS EΚΛΟΣEΙΣ ADAM EDITIONS