2012/08/21

中国の有翼獣を遡る1



西晋画像磚墓の四神のうち、青龍と白虎は有翼だったが、前漢の陽陵(前2世紀後半)羅経石遺跡出土のそれらには翼はなかった。中国で有翼獣はいつ頃出現するのだろう。

辟邪 玉 高5.4㎝長7.0㎝ 前漢後期(前1世紀) 陝西省咸陽市新荘漢元帝渭陵(前33年頃)付近出土 咸陽博物館蔵
『世界美術大全集東洋編2』は、頭に二つの角、体には大きな翼をもった想像上の動物、麒麟あるいは桃抜をかたどった玉像である。高さ8cmの鍍金鼎の中に入った状態で発見された。古代中国では、二角のものを「辟邪」、一角のものを「天禄」と呼んだという見方もあり、  ・・略・・  ここにあげた玉像は二角の例だが、二角のものとしては、今のところこれが中国最古の例である。付近からはこれと一対になる一角のものも出土している。以後、後漢から六朝時代にかけて、帝陵や豪族墓の墓道に石獣を並べて置くことが流行し、「辟邪」「天禄」など麒麟形の造形が急速な広がりを見せていったという。

こめかみにある小さな突起が角かな。
前漢でも後期(前1世紀)には有翼獣が登場している。
加彩有翼獣 陶製 高20.0長35.5 前漢時代(前3-後1世紀) 陝西省西安市北郊紅庙坡出土 西安博物院蔵
『天馬展図録』は、犬のような顔つきの肉食獣の体に、上下に巻上がる大きな翼が付けられている。墓に納められた鎮墓獣の一つであり、前後の脚を矯めて飛びかかろうとする姿勢をとる。獅子を意識したとは思えない華奢な体つきは、鎮墓獣としては珍しく、ユーラシア大陸西方のグリフィンとも結びつかない奇妙な造形である。
近年、中国北朝の墓中壁画や石棺に描かれた有翼獣の一つを、ササン朝ペルシアの霊獣シームルグに関連付ける説が出されている(Matteo Compareti 2006年)。シームルグは犬の頭をもった怪鳥で王家の守護神的存在である。中国に移住したソグド人がこれをもたらし、犬ないし鹿のような頭をもつ有翼獣が登場したとする。本品の幅広で板状の尾をせり上げる姿や、たてがみ状のエラなどはシームルグの姿を意識している可能性もあるが、さらに検討を要するところであろうという。
シームルグについては、イラン、ターケ・ボスターン大洞内奧の浮彫(7世紀前半)やウズベキスタン、アフラシアブ出土の壁画(650年以降)、あるいは東トルコ、アニ遺跡聖ゲオルギウス教会壁画(1215年)に残っている。
北朝時代(439-589年)の有翼獣にシームルグの影響があったとしても、この前漢(前206-後8年)よりもずっと後の時代の話だ。
秦時代にも有翼の獣があった。

錞于(打楽器)の蓋 秦(前3世紀) 咸陽市塔児坡出土 高さ69.6㎝口径32-40㎝ 青銅 咸陽博物館蔵
『始皇帝と彩色兵馬俑展図録』は、鈕は龍である。背中を丸め頭を後方に振り返る。尾部は欠損するが、首と同様に上部に丸く形成されていたと思われ、腰部に尻尾の先の接合痕が見える。胴部には翼と鱗が表現されているという。 
前脚の付け根から出た羽根は、胴に沿って伸びている。龍で有翼のものはこれが最古かも。

銀象嵌有翼神獣 銅 戦国中期(前4世紀) 河北省平山県中山王さく(前313年頃)墓出土 高24.4㎝長40.1㎝重11.0㎏ 河北省文物研究所蔵 
『図説中国文明史3春秋戦国』は、獣は頭を上げて咆哮しており、4本の足は弓状に湾曲し、胸の両脇から翼が生えている。造型は力強く勇猛である。これは歴史書の記録に見える「龍雀」で、北方民族が崇拝する神鳥であるという。
獣に翼があるのではなく、龍雀という鳥なのに足が4本ある。
『世界美術大全集東洋編1先史・殷・周』は、現在中国で知られているもっとも早い有翼獣の例といってよいであろう。後代の天禄、辟邪の先駆である。
グリフォン、あるいは有翼獣は西アジアでは前2千年紀から知られており、その後ギリシア世界やスキタイなどにも広まった。南シベリア、山地アルタイのパジリク古墳群の出土品にはグリフォンが表されている。中山国の例はこのような西方からの影響が、中国にまで到達したことを示すものかも知れないという。
この神獣は鎮墓獣としてかなり前に採り上げたことがあった。それについてはこちら
結局というか、やっぱりというか、有翼獣は中国古来のものではなく、西方からの伝播だったようだ。
現在までのところ、この戦国時代中期(前4世紀)のものが中国最古の有翼獣ということになる。

※参考文献
「世界美術大全集東洋編1 先史・殷・周」 2000年 小学館
「世界美術大全集東洋編2 秦・漢」 1998年 小学館
「始皇帝と彩色兵馬俑展図録」 2006年 TBSテレビ・博報堂
「図説中国文明史3 春秋戦国 争覇する文明」 劉煒編著 2007年 創元社
「天馬 シルクロードを翔ける夢の馬展図録」 2008年 奈良国立博物館