2011/09/30

イスタンブール考古学博物館オリエント館で思い出した4 ラガシュの王グデア2

ラガシュの王グデア(前2125-2110年)の像は、この時代としてはたくさん残っていて、それがルーヴル美術館に多く所蔵されている。
『四大文明メソポタミア文明展図録』は、侵略者グティ人の襲撃を受けアッカド帝国は崩壊し、政治的・文化的な空白が生じたが、この空白を最初に埋めたのが前2150年頃に勢力をもったラガシュ国である。
後継者グデアは、都市の再建と公共建造物の修復を進めた。
国の主要な神々を祀る神殿を少なくとも15棟も建てるなど、政治的な大事業を行った。
グデアは、自分の建てた各神殿に安置した像を通して神々と対話をした。それらを彫るのにアッカド王朝の王の石だったマガン産の閃緑岩を選んだグデアは、自分の祈る姿を彫らせたり、あるいは豊かな実りを約束する水を維持管理する王として、たま豊穣をもたらす者、民の繁栄の真の責任者として、王の職務を果たしている自分の姿を彫らせたりしたためらしい。
イスタンブール考古学博物館オリエント館にはグデアの像こそなかったが、ラガシュのコーナー右隅にレンガを積み重ねた下や横に小さなブロンズ像がたくさんあった。
『四大文明メソポタミア文明展』では、そのような釘が3種類出品されていた。
グデアの銘の入った礎石用の小像 
左:籠担ぎ 銅? 高27㎝幅7.5㎝ おそらくテロー起源 グデアの治世 
右:跪く神 銅? 高21㎝幅8.2㎝ テロー グデアの治世 
同展図録は、神殿建築の儀式は、王-建築家の活動として重要な位置を占めていた。儀式の一つは、テラコッタ製または金属製の礎石用の釘を設置することだった。釘の銘には、王の名と建造物を奉じられる神の名が刻まれる。グデアの時代に釘は、自ら釘を打ちこむ神の姿(右)や女神イナンナの象徴である雄牛、あるいは籠担ぎ(左)など、さまざまな小像の形に作られた。籠担ぎとは、古い形象の再現であるという。 
グデアの持ち物の内で印象に残ったのが、グデアの灌奠の杯だ。

新シュメール時代 前22世紀 ラガシュ(テロー)出土 凍石 高22.8㎝ ルーヴル美術館蔵
同展図録は、上に向かって開いたこの坏は、祭壇や墓に酒などを注ぐ際に用いるもので、注ぐための一種溝様の口をもつ。酒などの液体は胴に沿って、縦の帯文様を形成する2匹の絡み合った蛇の間を流れる。
蛇の帯文様の両側には、翼のある猛禽の胴体と蛇の鱗皮の頭をもつ架空の生物が立ち上がる。これは冥界の神の一人である「医者の主人」ニンナズの息子で「真実の木の主人」ニンギシュジッダの随獣(象徴)のムシュフシュであるという。
『世界美術大全集東洋編16西アジア』は、その足には猛禽類の爪をつけているという。
このムシュフシュはベレー帽を被ったようで、私は気に入っている。
※参考文献
「四大文明メソポタミア文明展図録」(2000年 NHK)
「世界美術大全集東洋編16 西アジア」(1996年 小学館)