2010/09/24

エジプトの王像9 王が敵を打ち付ける



カイロのエジプト博物館で是非とも見たかったものは、サッカラの階段ピラミッド地下より発見されたファイアンス・タイルの壁面とナルメル王のパレットだった。
ナルメル王のパレットは入口近くにあったが、進路方向に平行して展示されていたために目立たず、その前で足を止める人はまれだった。ナルメル王のパレットは色が地味で浅浮彫のため、巨大な博物館にあっては存在感のないものだった。


ナルメル王のパレット 初期王朝第1王朝、前3000年頃 ヒエラコンポリス出土緑色片岩 浮彫 長64.0㎝ カイロ、エジプト博物館蔵
『世界美術大全集2エジプト美術』は、王を中心とする国家理念の普及にとって図像による権威の表現は最も有効な手段となった。
王を中心とする世界観と王の威信をよりよく表現するために、図像表現のなかにもさまざまな規範が生まれた。例えば、図像表現のなかにおいてだれよりも王の姿を大きく描く手法は端的に王の権威を表すことができるという。  
ナルメル王のパレットは両面に浮彫がある。片面には長い首を交差させた動物が表されているが、もう一方の面にはナルメル王が中央に大きく表されている。王は左手で敵の髪を掴み、右手で棍棒を振り上げて、今にも打ちつけようとしている。
王が兵士に敵を倒させる権力を表すのではなく、王の力強さを誇示するというのは、セド祭で走り体力があることを示す場面と共に、エジプトらしい表現だ。
王はひときわ大きく描かれ、その他の人物は小さく描かれている。王の姿は、頭部は側面から、目と肩は正面から、腰から下は側面から見た図を合成するという、本来ありえない姿勢で描かれている。
こうした描写のスタイルは、王がひざまずく敵を棍棒で殴るポーズや、雄牛を自らの化身として力強さを表す表現方法とともに、長く後世に引き継がれることとなったという。
上段の正面向きに表された一対の牡牛は人間の顔をしている。王の顔をした強い動物の表現はスフィンクスへと繋がっていくのだろうか。
デン王のラベル 初期王朝第1王朝、前2900年頃 アビュドス、デン王の墓出土 象牙 左右5.4㎝ 大英博物館蔵
『世界美術大全集2エジプト美術』は、墓に納められた副葬品には、しばしば主にその副葬品の内容と質を示すためのラベルが取りつけられた。限られた空間を仕切り、絵と文字とを巧みに組み合わせて複雑な内容を表す古代エジプト人たちの才能は、この小さなラベルのなかに遺憾なく発揮されている。ヒエログリフは文字一つ一つが絵でもある。文字の使用が始まって間もないこの頃、両者を組み合わせて表現することが不可欠であったと同時に、絵としても機能するヒエログリフの性質を生かして、文字を図像の一部として組み込むことが試みられた。柔らかい粘土の上を転がして封印するための円筒印章も、小さいながら当時の重要な表現媒体の一つであったという。
荷札に過ぎないようなものにも象牙が使われている。中央上のセレク(四角い枠の上に隼が留まった形)にデン王のホルス王名が表されているのだろう。同じ時期にやはりアビュドスの墓より出土したジェト王の石碑とよく似ている。
そしてその下に大きく表されているのは敵を棍棒で打ち付けるデン王である。すでに初期王朝時代にはこのような図像が成立していたのだ。
また、円筒印章を調べていた頃。エジプトからは見つからなかったので、エジプトには円筒印章はないものと思っていたが、初期にはすでにあったことも判明した。
円筒印章を調べるきっかけとなったものはこちら
だいぶ時代が下がって第19王朝のラムセスⅡ期(前1304-1237年)。アブシンベル大神殿(前1250年頃)の外側には4体の巨大なラムセスⅡ倚像がある。
巨大な神殿を南の地に造ったのは、エジプトの王はこれほどの神殿を造ることができる力があることをヌビア人に示し、侵入してくるなということを示すためだったとガイドさんの説明があった。王自身が登場するという伝統が続いていたのだ。
中に入ると先ほどのラムセスⅡの裏側にあたる神殿東壁北側に、多くの敵の髪を掴み、棍棒で打とうとする王が浮彫されている。ずいぶんと敵の数が増えたものだ。
ガイドさんは、輪郭を深く彫って、その中に浮彫するのを沈浮彫(しずみうきぼり)といいます。像を浮彫にするには地の部分の壁面を全て削る必要があり、時間がかかるので、ラムセスⅡは早く完成するようにこのような方法で浮彫させましたと言った。この沈浮彫という技法はアクエンアテン王期にすでにみられるものだ。テル・エル・アマルナ出土の沈浮彫の作品はこちら
ルクソール西岸には葬祭殿が並んだ場所がある。「ナイルの賜物」である緑地帯と河岸段丘の岩山との境目にそれらは建造された。現在はアスワンハイダムのおかげで緑地帯が広がり、葬祭殿ぎりぎりにまで農地が広がっているので、王たちは耕作地にまでこのような広大な面積を占めるものを造ったのかと思うほどだった。
その一番南にメディネト・ハブと呼ばれる第20王朝(前12世紀)のラムセスⅢの葬祭殿がある。第1塔門の両側の2対の凹みは旗を立てるためのもの。その外側に大勢の敵を跪かせ、髪を掴んで棍棒で殴ろうとする王がやはり沈浮彫で表されていた。右(北)側の浮彫はヤシに隠れて見えなかった。
近づいて見ると、棍棒というよりも細い杖といった程度のものだった。王の前にはそれを賛美する神が描かれている
ガイドさんは、王が敵を打ち付ける図は時代が下がると建物の魔除けになってしまいますと言った。なるほど、王の強さを示すものでなくなってしまったので、棍棒である必要性もなくなってしまったのか。

※参考文献
「世界美術大全集2 エジプト美術」(1994年 小学館)
アブシンベル神殿の絵葉書