2009/05/08

ケルトの粒金細工


『世界美術大全集東洋編15』で、独特な金属工芸美術をもつ文化の1つとされたケルトは、中央ヨーロッパの広大な地域に広がって住んでいた。  ケルト人の粒金細工はどんなものがあったのだろうか。

人面玉 径3.3㎝重さ11.2g 前2世紀末-1世紀初め ハンガリー国立博物館蔵
『ケルト美術展図録』は、人面玉は金の薄板による半球形を合わせ、合わせ目にねじり細線と太い玉縁細線をめぐらしている。装飾には3つのモチーフが見分けられる。4ヵ所に配された人面は額にディアデーマのようなねじり細線を着ける。同じく4回現れる円錐形には金粒・ねじり細線・無装飾細線を施す。中心に数個の金粒を溶着した同心円モチーフをその間にちりばめている。イリュリアの影響を受けたケルト人、またはケルトの注文を受けたイリュリア人によって制作されたと考えられるという。
『ラルース世界歴史地図』では、イリリアとされているアドリア海東岸の土地に住んでいたイリュリア人からの影響か、イリュリア人の制作というが、後世までケルトの特徴とされる人頭があるので、最もケルト的な作品だと思っていた。 金製トルク 径14㎝重さ79.18g 前3-2世紀 出土地不詳、ハンガリー ハンガリー国立博物館蔵
金の板による3つの部分からなる。球形の端末には細線細工、繋ぎ部分には金粒細工が施されている。これらの技術をギリシアからハンガリーのケルト人に伝えたのは、バルカン半島北西のイリュリア人であったと推定されるという。
こちらもイリュリア人が登場する。ケルト人は粒金細工を作れなかったのだろうか。 黄金製ペンダント イェーゲンシュトルフの墳丘(ベルン地方)出土 ベルン自然史博物館蔵
『知の再発見双書35ケルト人』は、エトルリア製品と驚くほど似ているという。
時代不明で参考にするには難があるが、ケルトでは思いの外粒金細工が少ないのであげた。球体に金の粒が蛇行しながら線を描いているところから、こなれていない技術の時代のものにみえる。
飾り玉と鎖 インスの墳丘(ベルン州)出土 ベルン自然史博物館蔵
こちらも時代不明だが、粒金でジグザグ文や渦文を構成するなど、上の作品よりは完成度の高い作品なので、時代は下がるものと思われる。
ケルトの地から出土する粒金細工には、ギリシアからイリュリア人を経由して伝わった技術か、あるいはイリュリアの工人がつくった系統のものと、エトルリアから伝わったか、エトルリアの工人がつくった系統のものがあるようだ。

※参考文献
「ケルト美術展図録」(1998年 朝日新聞社)
「知の再発見双書35 ケルト人」(クリスチアーヌ・エリュエール著鶴岡真弓監修 1994年 創元社)
「ラルース 世界歴史地図」(ジョルジュ・デュルビー監修 1991年 株式会社ぎょうせい) 
「世界美術大全集東洋編15 中央アジア」(1999年 小学館)