慶州には大きな円墳があることは知っていたが、旅行前に調べていると、3泊4日の滞在では見切れないほどたくさんあることが判明した。その中から古いものを選んで見学しようと思ったが、現地に行ってみると、調べたよりもずっとたくさんの古墳があったのだった。
慶州見学の最初の日に、ヘジャンクッを食べようとバスを降りたら、八友亭ロータリーの西南の角に円墳を見つけた。
それについては慶州で見学した古墳第1号は皇吾洞325の円墳をどうぞ。325というのは325号墳ではなく、325番地だろうとは思ったが、何号墳かわからなかった。
ところが、後日『韓国の古代遺跡1新羅篇』で、それが皇吾洞3号墳で、しかも円墳ではなく瓢形墳であることがわかった。


同書は、1949年ごろから、市街化・道路建設にともない、計画区域の調査がおこなわれ、皇吾洞の「八友亭」ロータリー一帯でも10余基が発掘された。4号墳はロータリーの中央部にあったが、拡張工事のため除去されることになり、やむなく事前に調査されることとなった。深さ約2.8m、上面で東西7m、南北約4.5m、下底で東西5.8m、南北5.15mの墓坑を掘り、底面には偏平な河原石を敷きつめ、外側に人頭大の河原石を積み上げて槨底の輪郭として、その外側に積石する。槨壁と積石の間には小礫をつめ、槨内には木棺を納める。木槨は東西約3.8m、南北約1.15m、高さ約1.5mであった。積石部は東西7.5m、南北6.0mをはかる。副葬品として、金製耳飾り・銀釧・銀製袴帯・嵌珠金製飾玉付き垂飾・飾履、銀製環頭太刀、馬具、 ・・略・・ 腰偑・銅製容器の副葬はきわだっているという。
6世紀前半の積石木槨墳だったらしいが、調査当時すでに、写真のようにかなり崩れていたのだ。これだけ崩れていても、潰してしまわないで残されていたともいえる。
また、金冠などが出土していないので王墓ではないとしても、4号墳の主は、豪華な副葬品とともに埋葬された、位の高いあるいは有力な人物だったのだろう。


北西から見た八友亭ロータリーです。

※参考文献
「韓国の古代遺跡1 新羅篇(慶州)」(森浩一監修 1988年 中央公論社)