2009/01/07

西山古墳は前方後方墳の上に前方後円墳というので

 
前方後方墳で最大のものは天理市の西山古墳という。しかも前方後方墳の上に前方後円墳があるらしい。きっと後の時代に、以前からあった前方後方墳の上に前方後円墳を築いたのだろう。

西山古墳は天理大学の敷地内にあった。遠くから見ると、後方部の上に大きな後円部がのっているが、別の古墳を載せたような違和感はなかった。
説明板は、杣之内古墳群の内にあって盟主的な前方後方墳である。古墳時代前期に築造されたと推定できる。全長183m、前方部幅約72m、後方部幅約94mの規模があり、全国の前方後方墳の中では最大規模を誇るという。 古墳は後方部を東に向け、主軸を東西方向に置く。墳丘は第1段目が前方後方形であるが、第2段目は前方後円形となる特異な形態を呈しているという。
あれま、前方後方墳の上に後世に前方後円墳が築造されたと勝手に思っていたら、全く違っていた。確かに後方部の角があった。 外部施設は葺石と埴輪が見られる。内部施設は竪穴式石室があったと思われ、鏡・鉄剣・勾玉・管玉の出土を伝えている。また古墳の周囲は濠がめぐっていたと思われるという。 
後方部の側面を歩くとほぼ直線になっている。どこかから後円部に登りたいのだが、狭い溝があって取り付きがわからへんやん。  後方部と前方部の継ぎ目まで来てしまった。さすがに角張っている。ここにも登り口はないなあ。  前方部に沿って進み続けるつもりだったが、少し先は池になっていた。 遠回りして池越に見ると、やっぱり前方後円墳やなあ。
こちらにも天理市教育委員会作成のより詳しい説明板があった。
全長183m・高さ16m、
古墳時代前期(4世紀) 
出土品・・・鏡破片・碧玉製石鏃破片・碧玉製車輪石破片・鉄製刀剣類破片・管玉・埴輪(円筒・鰭付円筒・朝顔形・家形)
西山古墳は、前方後方墳としては全国で最も大きいもので、前方部を西に向けています。ほとんどが後期(6~7世紀)古墳である杣之内古墳群の中で、本古墳はすでに消滅した小半塚古墳とともに古い時期の古墳として知られています
という。 墳丘は3段に築かれ、1段目のみ前方後方形、2段目から上が前方後円形というきわめて珍しいものです。古墳の周囲にめぐっていた周濠は、手前に見える池(古池)になごりを残しています。という。後方部の上2段が円形になっているのを上から見てみたい! 丘陵上に築かれた古墳であるため、墳丘上からの見晴らしはよく、第二次世界大戦中はアメリカ軍の空襲に備えて対空射撃陣地がおかれました。このとき掘り出されたとみられる竪穴式石室の石材が墳丘上に散乱しており、大阪府柏原市芝山産の石材が使用されていますという。 
墳丘に上がって散乱している石材を見たかったが、こちら側にも溝があり、笹や立ち枯れたススキが並んでいて、踏み跡がわからなかった。西山古墳は前方後方墳とみて良いのだろうか。前方後方墳としたら、養久山18号墳権現山51・50号墳よりも先に造られたのだろうか?前方後方墳にも相似形というのはあるのだろうか。

※参考文献
天理市教育委員会作成の説明板