2007/06/18

応県木塔と太原双塔寺の風鐸とツバメ


応県木塔に春行くと騒がしい。中門をくぐった時点でピイピイ、ツバメの声が聞こえてくる。そして無数のツバメが木塔の周りを飛んでいて、中には木塔の軒に入っていくものもいる。
ガイドの屈さんが言っていた通りだった。そしてその理由が木塔には風鐸がないからだという。 ところが何でもアップで撮る夫が木塔にも風鐸があるのを見つけた。風鐸は鳴っていないのは確かだが、 風鐸があるのもまた確かなことだった。
しかも、5つの屋根の8つの角それぞれについては全てみえるのではないのだが、見える範囲では1つの角に2つ風鐸がついているようだ。何故鳴らないのだろうか。付け方が悪いのか、風鐸が鳴らないくらい風の弱い地方なのか。
しかし、木塔の風鐸が鳴ったという文を見つけた。高見徹氏の「雲崗・鞏県・龍門石窟の旅道中記(2006年10月)」に、各階の屋根の先端には風鐸が吊り下げられており、吹く風にかすかに鳴り響いている。昨年奈良・大安寺の九重塔跡から総高55㎝の風鐸が出土したが、奈良時代にはこの木塔のような音色を奏でていたのであろうかという。かすかには鳴っていたらしい。

話は前後するが、応県木塔には風鐸がないので多数のツバメが巣を作るという話を屈さんがしたのは、前日の太原東郊にある双塔寺でだった。
日が少し傾いたころに双塔寺(永祚寺)に到着し、山門からはしぱらく歩いて階段を上ると軽い風鐸の音が心地よく響いてきた。(双塔の説明は応県木塔(仏宮寺釈迦塔)は監視塔でもあったの木塔と双塔の背比べの箇所です)ほぼ同じ高さらしいが、近い宣文塔の方が高く写る。 もちろん夫はアップで撮りまくったのだが、光線がやや弱いのと、風鐸はかなり高いところにあるのとで、なかなかピントが合わなかった。
宣文塔は各層屋根の軒瓦が青い瑠璃瓦になっている以外はどこも同じ色の磚(せん、焼成レンガ)で造られているということだったが、八角形の角にズームしている内に、夫は各角の1部品だけ磚でないものを発見してしまった。それは風鐸を吊り下げる部分で、なるほどそこだけ板が嵌め込まれていることがわかる。 
きっと昔から山西省では「双塔は宣文塔の瑠璃瓦以外は全部磚でできている」「木塔には風鐸がないからツバメが巣を作る」などと言い伝えられてきたのだろう。
屈さんは「木塔に風鐸はありますが、鳴りません」と少し負け惜しみっぽく最後に言った。

中国黄土高原の史跡を訪ねての「3日目 大同から太原へ」に、塔の前に隕石が展示されている。ここに隕石が落ちたので吉兆だとして塔を建てたのであるという文があった。
我々もこの隕石の写真を撮ってきたので、おまけです。隕石のガラスケースに半分隠れている白い石の八卦は、ここにお寺が建てられるまでは道教寺院だったからですと屈さんに聞いた。