2006/12/01

第五十八回正倉院展で時候のものは白石鎮子


「白石鎮子」という文字だけではわかりにくいが、大理石に浮彫されているのは、今年の干支の戌と、来年の干支の亥だ。正倉院展は10月下旬から11月にかけて開催されるので、一年がそろそろ終わりに近づき、次の年が気になりだすこの頃にちょうど良いモティーフである。
このように動物が向かい合ったり取っ組み合ったりして表されるのは、元を辿れば北方遊牧騎馬民族の動物闘争文になる。闘争文が中国に入ってきて、年月が過ぎて、中国的な干支が出てきたり、闘争を忘れたりしていったのだろう。

同展図録は、裏面が研磨されていないため鎮子(ちんす、おもし)であったとは考え難く、建築用の飾板、調度品の側面部材などであった可能性がある。・略・
亥は両前脚を戌の背に乗り上げており、躍動的な画面構成が目を引く。二獣の両脚付け根には半パルメット風の意匠がみえるが、戌の前脚においては明確に翼の表現を認めることができる。唐代の十二支図像には午を有翼とする作例がしばしばみられるが、本品の場合、瑞獣としての属性を与えようとしてのことか、この形式が広く他の獣種にも及んでいる点が注目される
という。

思ったよりも複雑だった。
金粒を探しながら中国の金工品をふらふら2に内モンゴル自治区の墓より出土した戦国から前漢時代(前3から前2世紀)の「金動物闘争文牌飾」をあげた。匈奴の動物闘争文といわれていて、イノシシとトラが闘っている。動物闘争文は弱肉強食図とも言われるが、これは強食同士が互いに噛みついている場面だ。
もう1つ、中国に近いところのものに、金製「鳥獣闘争文帯飾板」がある。前2から前1世紀、トルファンの交河溝北台地1号墓、車師前国の墓地から出土したものだ。解説には、
猛鳥が上から虎の頸に噛み付き、顔面に爪を立てようとしている。虎は猛禽の脚に噛み付く気配である。猛禽の両翼と尾羽が、右側に渦を巻くように表されている。・略・
ほぼ同じデザインの帯飾板のうち最もよく知られているのは、ロシアのピョートル大帝収集のシベリアコレクションに含まれる金製帯飾板であろう。この溝北1号台地出土の帯飾板は南シベリアのトゥバやバイカル湖の南などでも出土しており、匈奴のものと考えられることが多い。

とある。車師前国はイラン系遊牧民の建てた国らしいが、彼らと匈奴がどのような関係にあったのか、また、この作品が匈奴のものなのか、車師前国で作られたものなのか、興味の惹かれるところである。

しかし、中国には単独の動物を表した帯飾もあったようだ。玉製「透彫龍馬(りゅうば)文帯飾」は湖南省の墓より出土した前漢中期(前2世紀)のものだ。 このような中国の伝統的な文様と、遊牧民族から将来された動物闘争文が、中国で干支を表すものとなり、その中にいつの間にか半パルメットや有翼などというヘレニズム的なものも採り入れられて、この「白石鎮子」が日本へにもたらされたということになる。

※参考文献
「世界美術大全集東洋編2秦・漢」 1998年 小学館
「シルクロード 絹と黄金の道展図録」 2002年 NHK
「第五十八回正倉院展図録」 2006年 奈良国立博物館