2006/11/13

第58回正倉院展 暈繝と夾纈




正倉院展は「今年はこれが見たい」と期待して行く。去年はキジル石窟で五弦琵琶などの楽器や楽人を見てきたので、五弦琵琶はさておき、何でもいいから楽器が見たいと期待して行ったら1品も出陳されていなかった。今年は秋に唐草文や暈繝などを見てきたので、暈繝の美しいものが出ていればよいなと思って出かけた。

「孔雀文刺繍幡」(下図)は孔雀や草花・樹木を暈繝調に刺繍した幡の部分である。古い物を見ると、古色の着いたものに美を見いだしがちだが、この作品は時代を経て変色してしまったのが残念なくらい素晴らしい。制作当初はどんなに美しい暈繝だったのだろうか。紫の綾地は傷みが激しいが、それが気にならないくらいに素晴らしい。解説文は、空地を広くとっているので図柄にゆとりがあり、刺繍文様もどれも穏やかで、全面に唐式の豪華さとは違った爽涼感が漂っている。宝庫の刺繍中、第一に挙げられる優品である という。刺繍したのが日本人か渡来系の技術の優れた人かはわからないが、舶来物一辺倒でなく、すでに日本人の好みが形成されていたということだろう。
画像からはわかりにくいが、紫の綾地はじっくり見ると変化があり、見方によっては継ぎ接ぎだらけに見えるのは、異向綾文綾というらしい。 そして、夾纈の美しい作品が2点並んでいた。「白地花葉文夾纈絁(あしぎぬ)」と、「茶地花葉文夾纈羅」である。解説文は、夾纈染技法は、2枚1組の版木の外側から内面の文様の各部分に通じるように穿っておいた穴から染料を注入して染めるというのがほぼ定説になっている。染料の数は比較的自由であり、また左右・四方同形の文様なら裂を折り畳んで染めることができる。・略・
このように夾纈染は、奈良時代中期流行の唐花文を模様染であらわすのに最も適した技法として流行した
という。
褪せているからか、私はこの柔らかい色目が気に入った。そして、夾纈染のにじんだような輪郭が、中国では暈繝という彩色へと応用されたのではないかと想像した。暈繝調の染織と書いたのは暈繝は織物で表したか、刺繍で表したものだと思いこんでいたからだ。
ところが「孔雀文刺繍幡」の縁取りは絁(あしぎぬ)に暈繝染をしたものであることが解説文からわかり、どうも私が想像したような過程で暈繝調の染織ができたわけではないことがわかった。暈繝染というものがどういうものか気になっている今日このごろである。

元・宮内庁正倉院事務所保存課長 松本包夫氏が「正倉院の模様染め―その技法と文様」で暈繝染(うんげんぞめ)について「技法上、文様が単純なぼかし縞に限定されるため、主役にはなれませんでした」と記している。
 

下図は『日本の古典装飾』という本に記載されている天平から弘仁時代(724-823年)の「観心寺本尊台座蓮弁文様」の描画による再現である。おそらく元はこのような色目の暈繝だったのだろう。
関連項目
敦煌莫高窟5 暈繝の変遷2
敦煌莫高窟4 暈繝の変遷1
奈良時代の匠たち展1 繧繝彩色とその復元
日本でいう暈繝とは
暈繝はどっちが先?中国?パルミラ?
隈取りの起源は?
トユク石窟とキジル石窟の暈繝?

※参考文献
「第五十八回正倉院展図録」2006年 奈良国立博物館
「日本の古典装飾 天平から江戸の時代様式にみる」2006年 青幻社