2017/08/11

サーサーン朝の王たちの浮彫


『古代イラン世界2』は、サーサーン朝の帝王たちにとって最も重要なことは、王位の正統性であった。それは具体的にはゾロアスター教の神々、特にアフラ・マズダ神やアナーヒーター女神による王権の裏付けであり、このような事柄を臣民に容易に理解せしめて自己の威光を高揚すべく摩崖に浮彫を刻んだのである。そして、その場所は多くの人々が訪れる神聖な場所であった。
なお、各浮彫には原則として、制作を命じた国王に関する銘文はないので、国王の比定は文献的には殆どできないが、王冠の形式を、歴代の国王が発行したコインの表に刻印された王冠のそれと比較して決定している。
この時代は前代のパルティア美術の影響を示す二次元的、シルエット的な浮彫から出発し、徐々に写実性、立体感が存在する高浮彫へと発展し、最終的にはバフラーム1世の騎馬王権神授図のような写実性、立体感、装飾性が見事に調和した帝王のモニュメントに相応しい彫刻へと到達した。この変化発展にはサーサーン朝と戦争を繰り返したローマ帝国のグレコ・ローマ美術の理想的写実主義の影響が大きい。サーサーン朝はローマ帝国の美術様式や図像を積極的に採り入れている点を見逃してはならない。4世紀後半以後は徐々に形式化が始まり、写実性が交替していったという。
サーサーン朝の王たちの残した浮彫を年代順にみていくと、

アルダシール1世(初代、在位224-241年)
王権神授図(騎馬叙任式図) 縦4.28横6.75m ナクシェ・ロスタム
『世界美術大全集東洋編16西アジア』は、画面構成は左右対称的で、向かって左に騎馬のアルダシール1世、右に同じく騎馬のアフラ・マズダー神を描写している。帝王は王位の標章たるディアデム(リボンのついた環)を頭につけ、頭上には大きな球体(宇宙の象徴)を戴いている。神は城壁冠をかぶり、左手でバルソム(ゾロアスター教の聖枝)を持ち、右手には正当・正統な王位の標識たるディアデムを持ち、帝王に授けようとしている。帝王と神の服装はほぼ同一で、長袖の上着を着、眺めのパンタロンをはいている。その襞は自然らしさに欠け、装飾的である。帝王の背後には払子を持つ小姓が立っているという。
神の城壁冠からもリボンが付いていて、肩掛けの端がアケメネス朝の王の襞とはまた違うが、ギザギザの折り目が風に靡いている。その下には風を受けて膨らんだ布に見えるものもある。
ディアデムについたリボンは、横縞を表現しているのだろうか。
同書は、帝王と神の乗る馬の足下には、両者に敵対する存在の死骸が横たわっているという。
アルダシール1世の敵はアルサケス朝のアルタバヌス5世ということで、やはり王位の象徴ディアデムを付けていたことが、リボンからわかる。
馬の胸繋は円形のメダイヨンで装飾されているが、帝王の馬のメダイヨンには王位の標識たる獅子頭が見られる。また、両者の腰の部分にはローマの鞍と同じく、突起が見えるし、鞍敷からは大きなドングリ形房飾り(諸王の王の標識)が鎖で吊り下げられているという。
このドングリほど大きくはないが、中国の石造の馬(則天武后の母の順陵のもの)や騎馬俑の馬(隋時代)にもこんな房飾りがみられる。
同書は、悪魔のアーリマンの頭部には悪魔を象徴する蛇の頭部がつけられているという。
耳のようなものが蛇だろうか。

シャープール1世(第2代、在位241-272年)
戦勝図 縦6横12.95m ナクシェ・ロスタム
『世界美術大全集東洋編16』は、シャープール1世はローマ帝国の3人の皇帝とユーフラテス河を境に戦ったことが知られている。その3人の皇帝はゴルディアヌス3世(在位238-244)、フィリップス1世(アラブ、在位244-249)。ウァレリアヌス1世(在位253-260)である。戦いはいずれもシャープール1世に有利に展開したようである。この作品では、画面中央にシャープール1世の雄々しい姿が、その前方に、両手を差し伸べ、ひざまずいて恭順の意を表明しているローマ皇帝が描写されている。これはシャープール1世と和睦したフィリップス1世であろうという。 
その背後に立つ人物は、シャープール1世に対して両手を高く差し伸べ、それを帝王がつかんでいるので、帝王に降伏し捕虜となったウァレリアヌス1世であろう。
ーマ皇帝の像はコインの肖像などを参照して制作されたのであろう。マントやスカートの襞は規則的で、シャープール1世の行縢の風になびく襞とは対照的であるという。 
同書は、浮彫りは全体的に立体感に富みねとくに馬の筋肉表現は優れている。一段と大きく表された帝王は城壁冠をかぶり、球体を戴き、左手で剣の柄を握っている。衣服は長袖の上着、行縢(むかばき)をつけ、さらにローマ皇帝と同じく小型のマントを肩につけているという。
アケメネス朝の王は襞が多いがすっきりとした服装なのに、サーサーン朝になると、繁雑な皴のできる衣装になるのだと思っていたが、これは行縢というズボンの上に付ける保護具のようなものらしい。布というよりも、羊の毛皮かも。
画面の向かって右には帽子をかぶった男子の胸像が浅浮彫りされている。その下方に刻まれたパフラヴィー文字銘から、のちにバフラム2世(在位276-293)に仕えた高僧カルディールであることが判明している(戦勝図とは無関係)という。
ナクシェ・ラジャブのアルダシール1世の王権神授図の左に自分の胸像と碑文を付け足したカルティールは、ナクシェ・ロスタムにも付け足していた。
シャープール1世の三重の勝利 タンゲ・チョウガーン
『古代イラン世界2』は、国王と敗者のローマ皇帝たちを中心にサーサーン朝の騎馬軍団が描写されているが、多数の軍勢を描写する方法は上下遠近法、重層法といった西アジアの伝統的絵画様式が用いられているという。
一番下の段の浮彫が後世建造された灌漑用水路によって浸食を受けているが、5段に表され、その結果、シャープール1世がどこにいるのか、探さないとわからない。
大阪大学 イラン祭祀信仰プロジェクトビーシャープール タンゲ・チョーガーン浮彫群は、中央のシャープール一世のところには3人のローマ王が描かれているという。
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戦勝図 摩崖浮彫 縦5.43横9.18m イラン、ダーラーブギルド
『世界美術大全集東洋編16』は、イラン南部、ダーラーブ市の郊外にあるこの浮彫りは聖水の女神アナーヒターの胸像を浅浮彫りにした岩壁にあるが、その前方には泉と池がある。画面中央には、騎馬のシャープール1世が描写され、その馬の足下には、同帝王と戦って戦死したゴルディアヌス3世の死体が横たわっている。帝王の馬の面前には、和睦(降伏)したフィリップス1世が立ち、許しを請うためにひざまずこうとしている。その上方には、捕虜となったウァレリアヌス1世が右手を揚げて恭順の意を表し、帝王はその頭をなでて同皇帝の降伏を受け入れている。多数の人物を数列にわたって、重ね合わせて奥行(三次元的空間)を暗示する「上下遠近法」は古代西アジアに典型的な様式であるという。
神殿や宮殿、そして浮彫も当初は彩色されていたということなので、それが残った貴重な作品かと思っていたが、よく見ると色の配置が妙。馬の尾の下を見て合点!そんなに古いとは思えない落書きだ。

バフラーム1世(第4代、在位273-276)
騎馬叙任式(王権神授)図 縦5.35横9.4m ビーシャープール、タンゲ・チョウガーン渓谷右岸
『世界美術大全集東洋編16』は、この浮彫りは、国王の頭部の王冠がナルセー王(在位293-303)によって改変され、向かって右の帝王の馬の足下にササン朝の皇太子(バフラム2世の息子のバフラム3世)の横臥した死骸が付け加えられている。このような異常な点が存在するが、浮彫りそのものは、ササン朝摩崖浮彫りの最高傑作と評価されている。もっとも鮮明に示すのが、立体感に富んだ人物像と馬の写実的描写であり、とくに馬の筋肉表現が秀逸である。このような様式の特色は、この作品にシャープール1世が捕虜としたローマの彫刻家が関与していることを示唆していよう。
アフラ・マズダー神はディアデム(環)を握り、それをバフラム1世に授けようとしているのであるが、環に結ばれたリボン(鉢巻き)は風にたなびき、バフラム1世はその端をつかんでいるに過ぎないという。
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バフラーム2世(第5代、在位276-293)
戦闘図 ナクシェ・ロスタム
説明板は、2段の戦勝図がダリウス大王の墓の下に彫られている。王は鷲の翼の飾りのついた王冠(鷲はバフラーム2世の鳥、戦いの神)を被っている。上段は、馬に乗った敵に騎乗して向かい、長槍で馬から落としている。下段は、バフラーム2世が互いに騎乗して長槍を持って対峙し、別の倒した敵が馬の下にいるという。
鷲の翼王冠というのはどちらもわからない。
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王とその家臣 ナクシェ・ロスタム
曲面に彫られていて、しかも、両側の家臣たちは胸部のみで、その下はエラム時代の幽かな線刻が残されたままにされている。
王はシャープール1世同様、家来よりも大きく表されている。
鷲の翼の王冠は向かって左側だけ残っている。
右端から2人は帽子に標がついているので高官だとわかる。
左端は帽子を被っていない。次は標のある帽子かもわからないが、はっきり写っていない。その次はライオンの頭部を象った帽子を被っている。
騎馬謁見図 タンゲ・チョウガーン
ビーシャープール タンゲ・チョーガーン浮彫群は、バフラーム二世がアラブ族の使節を迎えている場を描いているという。
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ライオン狩り図 縦2.14横4.65m  サル・マシュハド
『世界美術大全集東洋編16』は、古代西アジアの宮廷美術の典型的テーマである「帝王のライオン狩り」を表したもので、ササン朝の摩崖浮彫りでは他に例が知られていない。帝王は身体を正面観、頭部を側面観で描写されているが、その背後に立つ王妃の手をとり、右端の皇太子(バフラム3世)を守ろうとしている。帝王と王妃のあいだにはカルディールが描写されているが、この高僧はバフラム2世の治下でゾロアスター教の最高指導者の地位につくほど力があったといわれる。
この2頭のライオンはササン朝において、王位継承者が即位式にて倒すべき2頭のライオンを意味しており、それゆえ、この図はバフラム2世が「正当・正統な帝王」であることを明示した一種の王権神授(叙任)図なのであるという。
サーサーン朝の王たちがライオン狩りや羊狩りをしている様子は、銀鍍金の皿に表されている。それぞれの王の冠と共に調べてみたい。 
画面の左端には2頭のライオンが描写されているが、1頭は横たわっているのですでに死んでいることがわかる。もう1頭はまさに帝王に飛び掛かろうとしているが、すでにその胸に帝王が突き出した剣が突き刺さっているという。

ナルセー王(第7代、在位293-303)
叙任式図 縦3.5横5.6m ナクシェ・ロスタム
『世界美術大全集東洋編16』は、帝王の背後には二人の男子が配され、右側の人物は右手をあげて帝王と女神に敬意を表明している。彼は馬(ミスラ神の象徴)の頭部を装飾した帽子をかぶっているが、あるいは皇太子のホルムズド(のちの2世)ないし他の王子であろう。その背後の男子像は未完成という。
同書は、画面の向かって右端には、城壁冠と「アーケード冠」を合成したような冠をかぶったアナーヒーター女神を配し、その女神から正当・正統な王位の標識たるリボンのついた環を右手で受理せんとするナルセー王を描写している。国王の王冠も「アーケード冠」である。「アーケード冠」とはアナーヒーター女神殿を取り囲む多数のアーチを連ねた形式の冠をいう。このように、アフラ・マズダー神からではなく、アナーヒーター女神かに王権を神授される帝王を表した叙任式図はササン朝初期ではきわめて異例であるという。
帝王と女神のあいだには、子どもが一人描写されているが、これはのちのホルムズド2世(在位303-309)ないし末子の王子であろうという。
王だけでなく、アナーヒーター女神も王子も行縢を着けている。
王子は顔面も腕も壊れているが、ひょっとすると、王位の象徴ディアデムに手を延ばしているのかも。

ホルムズド2世(第8代、在位303-309)
騎馬戦闘図 縦3.52横7.97m ナクシェ・ロスタム
『世界美術大全集東洋編16』は、ナクシェ・ルスタムの岩壁には、騎馬の王侯が1対1の決闘を行っている光景を描写した摩崖浮彫りが合計4点存在するが、この作品はそのもっとも古い例で、他の3点の騎馬戦闘図のモデルになっていたことが判明している。この戦闘図の主人公は向かって左の騎士であるが、その王冠は1対の鳥翼と真珠をくわえた猛禽の頭部よりなる。
帝王は、右腰に矢筒を吊り下げ、長い槍で右方の敵を突き倒している。この敵がローマの皇帝か、ホルムズド2世と王位を争ったライバルであるのか、あきらかではない。馬の脚は八の字のように開いているが、これは古代エジプト美術以来、近代まで疾走する馬の定型的表現形式となっていた、いわゆる「空中飛行型」の形式であるという。

シャープール2世(第10代、在位309-379)
戦闘図
右半分だけに浮彫がある。シャープール2世は騎乗で敵を長槍で刺している。
サーサーン朝期のナクシェ・ロスタムは、中央にシャープール二世と思われる王が敵を殺しているという。
シャープール2世の冠こそ鷲が翼を広げたもののように見える。
王の左に騎乗するする人物は、武器ではなく、旗のようなものを持っている。これがウルのスタンダードやアラジャフユック出土のスタンダードなどに繋がるものかも。
スタンダードについてはいつかまとめたい。
戦勝図 タンゲ・チョウガーン
ビーシャープール タンゲ・チョーガーン浮彫群は、シャープール二世によるクシャーン朝の制圧と併合を記念して造刻されたといわれている。上下二段からなり,王は中央上段で玉座に座っているという。
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  アケメネス朝の王墓←   →ビーシャープールの謁見の間にドームはあったのか?

関連項目
敵の死体を踏みつける戦勝図の起源
銀製皿に動物を狩る王の図
サーサーン朝の王たちの冠
タンゲ・チョウガーン サーサーン朝の浮彫
ナクシェ・ラジャブ サーサーン朝の浮彫
ナクシェ・ロスタム アケメネス朝の摩崖墓とサーサーン朝の浮彫

※参考サイト
大阪大学 イラン祭祀信仰プロジェクトサーサーン朝期のナクシェ・ロスタムビーシャープール タンゲ・チョーガーン浮彫群

※参考文献
SD選書169「ペルシア建築」 A.U.ポープ 石井昭訳 1981年 鹿島出版会
「季刊文化遺産13 古代イラン世界2」 長澤和俊監修 2002年 財団法人島根県並河萬里写真財団
「世界美術大全集東洋編16 西アジア」 2000年 小学館