2015/02/17

日本の瓦1 点珠のある軒丸瓦




現在ならまちと呼ばれているところに位置する元興寺は奈良時代の瓦が現在でも屋根に乗っていることで知られているが、中には飛鳥時代の瓦もあるという。
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『わかる!元興寺』は、法興寺から運ばれてきた瓦は赤みを帯びた色調のものが多く、軒瓦については、法興寺からはほとんど運ばれていない。法興寺の軒丸瓦は素弁蓮華紋であるが、これは元興寺境内における発掘調査により出土した2点以外は確認されていないという。

日本最初期の軒丸瓦は素弁蓮華文だった。

『飛鳥の寺院』は飛鳥寺について、明日香村大字飛鳥に所在する、我が国最初の本格的な寺院。発願は蘇我馬子とされる。法興寺、元興寺とも称する。588年、仏舎利・僧侶・寺工などが百済から献上され、605年(推古13)、鞍作鳥によって仏像が作られるという。
発掘調査によって軒丸瓦が出土した。
『日本の美術358唐草紋』(以下『唐草紋』)は、軒先に葺かれる軒瓦としては軒丸瓦だけがあって、対になるべき軒平瓦を欠くところも百済のばあいと一致するという。
飛鳥寺の軒先には軒丸瓦と平瓦が並んでいたのだった。

同書は、飛鳥寺軒丸瓦の文様は、百済の影響をうけた素弁の蓮華文で、花弁状に表現するものと、角端にして、その先端に珠点を表現するものがある。前者を「花組」、後者を「星組」と呼ぶ研究者もいるという。
『日本の美術66古代の瓦』(以下『古代の瓦』)は、瓦博士の指導によって製作された飛鳥寺のり創建瓦は2形式あるが、それは百済様式とはいえ、祖型は中国の南朝にあり、南朝の造瓦技術が百済に伝わるとほとんど同時にわが国へも伝えられたものであったという。

飛鳥寺第一様式 花組 飛鳥時代 素弁十葉蓮華文 径16.0㎝ 奈良文化財研究所蔵
同書は、周縁は細くなんらの飾りもなく、全体に簡潔な文様であるという。
中房の蓮子は中央に1つ周囲に5つ(1+5と表現するらしいので、以下これに従う)あり、蓮子の延長線上に花弁の境界線がある。そして、蓮子と蓮子の間に2枚の花弁が表されているのだが、その大きさは均一ではない。
飛鳥寺第二様式 星組 飛鳥時代 素弁十一葉蓮華文 径15.6㎝ 奈良文化財研究所蔵
『古代の瓦』は、弁端が角張り、反転した先端をあらわすのに点珠をもってするなど、多少の形式化を認めざるを得ないという。
点珠というのは花弁が反り返った様子を表すものだっのか。
小さな中房に大きすぎる蓮子が1+5、花弁が11枚なので、当然蓮子と花弁の境界線は一致しない。

これらの瓦は百済から送られた瓦博士の指導の下作られたという。

軒丸瓦 百済時代(6-7世紀) 素弁八葉蓮華文 径13.9㎝ 忠清南道扶余邑旧衙里遺跡出土 国立扶余博物館蔵
『法隆寺日本仏教美術の黎明展図録』(以下『法隆寺展図録』)は、百済式瓦の源流は、都を泗沘(現在の忠清南道扶余邑)に遷された百済時代後期の遺跡出土品に求められる。
花弁の先端が反転して桜花状に切り込みが入り、日本で花組と通称されている瓦であるという。
飛鳥寺の花組瓦と比べると、八葉であるために、花弁がふっくらとしている。また、中房が大きく、小さな蓮子のは1+9で、不規則に並んでいる。
このような8弁のものが一番作り易いと思うのだが、日本に来ると10弁や11弁になるのは何故だろう。
軒丸瓦 百済時代(6-7世紀) 素弁八葉蓮華文・点珠 径16.5㎝ 同遺跡出土 国立扶余博物館蔵
同書は、弁端が角張る傾向にあり、先端に珠点を付す角端点珠式で、星組と通称される瓦である。若草伽藍では星組の軒丸瓦が用いられているという。
やはり花弁が8枚なので、花びららしい。中房は上の花組と比べると小さく、蓮子は1+6で、ほぼ等間隔に並んでいる。

点珠のあるものについて、他の寺院より出土した瓦をみていくと、

法隆寺若草伽藍金堂の軒丸瓦1 飛鳥時代(7世紀第Ⅰ四半期) 素弁九葉蓮華文・点珠 径15.7㎝  法隆寺若草伽藍(斑鳩寺)跡出土 法隆寺蔵
『法隆寺展図録』は、法隆寺は、初めは斑鳩寺とよばれ、聖徳太子が住まいとした斑鳩宮に隣接して建立した寺で、創建年代は推古14、5年(606、7)ごろと考えられる。その伽藍跡は法隆寺の西院伽藍の南東に位置し、若草伽藍とよばれ、現在は塔跡の上に巨大な心礎が残されているという。
『唐草紋』は、7世紀初めに造営に取りかかった斑鳩寺、坂田寺や四天王寺において初めて軒平瓦が導入されたという。
『仏法の初め、茲より作れり展図録』は、若草伽藍の出土瓦は、すべて7世紀第Ⅰ四半期と第Ⅱ四半期のもので、その中で最も古い瓦は、金堂に使用された素弁九弁蓮華文軒丸瓦で、飛鳥寺と同じ笵であり、それを転用したことが明らかとなった。ここから斑鳩寺の造営に、蘇我氏の関与・援助があったことは間違いないであろうという。
飛鳥寺には素弁九葉蓮華文の軒丸瓦も使用されていたのだった。
中房の蓮子は1+6で、花弁は9枚ある。点珠と蓮子の大きさが同じくらいだ。
なお、軒丸瓦の忍冬唐草文は手彫りで、下図及び同書の図版2点共に異なった作行きとなっている。

このタイプで八葉のものも作られている。

奥山久米寺の軒丸瓦1 飛鳥時代 素弁八葉蓮華文・点珠 明日香村
やっと8弁になったのに、最も蓮華から遠い表現となってしまった。瓦工は、開花した花であることも知らずに作っていたのだろうか。
蓮子は1+4で、十字に配置される。

平吉遺跡の蓮華文鬼瓦 7世紀中頃 素弁八葉蓮華文・点珠 厚2cm内外 奈良県明日香村平吉(ひきち)遺跡出土 奈良文化財研究所蔵
『日本の美術391鬼瓦』は、高さ37cm、幅35cmのやや縦長な方形に復原でき、下辺中央に半円形の抉り(えぐり)がある。弁端が天地を向くよう配置、まわりに連珠紋を28個めぐらせるという。

実は、この剣尖形の花弁を持つ蓮華文の鬼瓦を見て、蓮華らしい花弁になる以前はこんな形だったのかと思っていたが、どうやら素弁蓮華文の変化していく一つの流れだったようだ。
外区の大きな連珠文に対して、中房の蓮子は消えてしまいそうなほど薄いが、1+8つある。
同じような角端点珠式素弁蓮華文鬼瓦が奥山廃寺(奥山久米寺)でも出土している。

法隆寺若草伽藍金堂の軒丸瓦2 飛鳥時代 素弁八葉蓮華文・点珠 径17.0㎝ 若草伽藍跡出土 法隆寺蔵
『法隆寺展図録』は、九葉の割付が不揃いなのに対して、八葉の花弁は整然としているという。 
蓮弁は8枚のため、幅広で、ふっくらしながらも先だけ尖り、そのすぐ内側に点珠がある。これはもう花弁の反転を表すための点珠ではなくなっている。
中房には1+6の蓮子がある。

四天王寺の軒丸瓦 飛鳥時代 八葉素弁蓮華文・点珠
『古代の瓦』は、その創建の鐙瓦は法隆寺の瓦と同じ型を使用して造られ、これは相当型崩れの生ずるまで長く使用されているという。 
『仏法の初め玆より作れり展図録』は、四天王寺の場合も、若草伽藍と同じ伽藍配置を取ること、金堂に使用された素弁八弁蓮華文軒丸瓦と同じ笵のものを使用するなど、飛鳥寺→若草伽藍→四天王寺という推移が推定され、ここでも蘇我氏の関与が判明するという。
8枚の蓮弁や中房が小さい点は法隆寺の瓦と似ているが、中房の蓮子は大きくなって1+6ある。

奥山廃寺(奥山久米寺)の軒丸瓦2 飛鳥時代 六葉素弁蓮華文・点珠 明日香村大字奥山 奈良文化財研究所蔵
『飛鳥の寺院』は、伽藍配置は塔・・金堂・講堂が南から直線上に並ぶ、四天王寺式もしくは山田寺式が想定されるという。瓦は、角端点珠の素弁蓮華文軒丸瓦が創建期のものと考えられている。金堂が7世紀前半から、塔が7世紀後半に造営されたと考えられているという。
飛鳥寺第二様式の「星組」の花弁の数をほぼ半分に減らしたタイプにも見えるが、花弁はかなり盛り上がってつくられ、間にはオシベのようなものがある。
蓮子は1+4が十字形に並ぶ。

蓮弁に稜のあるものがつくられるようになった。

片岡王寺の軒丸瓦 白鳳時代(645-710) 素弁八葉蓮華文・点珠・稜 奈良王寺町
『古代の瓦』は、百済直伝の一形式であるが、花弁が八葉なること、弁端に点珠を配することを特徴とする。類型は大阪・新堂廃寺など帰化系氏族の造立寺院にもみられるが、中房に周溝を設け、弁央に軽い稜をたてるなどの変化があるという。
法隆寺の軒丸瓦では点珠は花弁先端の内側にあったが、ここでは文字通り弁端につくられ、瓦の外区に接している。
中房の蓮子1+8で中房の輪郭に沿って配置されている。

西安寺の軒丸瓦 飛鳥時代末期 忍冬・蓮華交飾・点珠 
同書は、忍冬文と蓮花文を十字に交差した形は飛鳥時代末期の奈良・西安寺にはじまるという。
忍冬文(パルメット文)と呼ばれるものが、こんな早い時期に瓦に表されていたとは。
蓮子は1+8、中央のものは円の中にあり、実際の蓮に近い表現となっている。

そして花弁らしい表現のものも出現する。
 
檜隈寺の軒丸瓦 686年以前 複弁?八葉蓮華文 金堂跡出土 明日香村 奈良文化財研究所蔵
『飛鳥の寺院』は、文献では、686年「檜隈寺・軽寺・大窪寺に各百戸を封ず。三十年を限る」との記事がみられることから、このころには建立されていたことが推定される。
調査の結果、塔・金堂・講堂・中門・回廊などが検出された。金堂は身舎に四面庇をつけた礎石建物であることがわかり、基壇の四周に川原石を敷き詰めていたことも明らかとなった。瓦は金堂の調査で複弁蓮華文軒丸瓦と三重弧文平瓦が多く出土しているという。
弁端は点珠というよりも、先が尖って内傾した花弁を自然に表現したような印象を与えるもので、花弁の中心部には2つに分かれた意匠がある。複弁というものが、日本で表された最初期のものかも。
蓮子は1+4で、十字に並んでいる。
これまで見てきた軒丸瓦の蓮弁の。には楔形の突起状のものがあるが、これは後に作られる瓦のように、下重の花弁が見える、覗花弁と呼ばれるものではないようだ。


                       →日本の瓦2 法隆寺出土の軒丸瓦と軒平瓦

関連項目
日本の瓦3 パルメット文のある瓦
日本の瓦4 パルメット唐草文軒平瓦
日本の瓦5 点珠のない素弁蓮華文
日本の瓦6 単弁蓮華文
日本の瓦7 複弁蓮華文、そして連珠文
日本の瓦8 蓮華文の垂木先瓦
日本の瓦9 蓮華文の鬼瓦
韓半島の瓦および塼
鬼瓦と鬼面

※参考文献
「わかる!元興寺」 2014年 ナカニシヤ出版
「飛鳥の考古学図録⑤-古代寺院の興隆-飛鳥の寺院」 2009年 財団法人明日香村観光開発公社
「日本の美術66 古代の瓦」 稲垣晋也編 1971年 至文堂
「日本の美術391 鬼瓦」 1998年 至文堂
「仏法の初め、玆(これ)より作(おこ)れり-古墳から古代寺院へ-展図録」 2008年 滋賀県安土城考古博物館
「法隆寺 日本仏教の黎明展図録」 2004年 奈良国立博物館
「日本の美術358 唐草紋」 山本忠尚 1996年 至文堂