2014/12/26

定窯の白磁で蓮華文を探す



昔々、京都国立博物館は昔は新館が平常陳列となっていて、陶磁器のコーナーでは、絵画や彫刻ほどには入れ替えがなく、定窯の白磁の浅鉢が数点展示されていた。その牙白色の器体と、浅く刻まれた文様の優雅な磁器を見るのが楽しみだった。
平成知新館のオープン記念展「京へのいざない」(2015年3月8日まで)なので、3階の陶磁器の展示室には野々村仁清・乾山、青木木米や後の時代の京焼が並んでおり、中国の陶磁器はなかった。今後に期待したい。
2014年3月23日まで大阪市立東洋陶磁美術館で開催されていた「定窯・優雅なる白の世界-窯址発掘成果展」は、学術調査による出土品の展観だったので、美しいというよりも、割れたり欠けたりしたものが並んでいたので、どちらかというと、いたいたしさが先にたった。
もちろん、それによって得られた成果は大きく、私の疑問にも解決されるものだった。

定窯について『定窯展図録』は、河北省保定市曲陽県の管轄区域にあり、曲陽県は宋の時代、定州に属しており、州名を窯の名とすることから、定窯と称されるようになった。中国の歴史において貢御(皇帝、宮廷に献上)した期間が最も長く、またその文献記録の最も多い窯である。定窯の製品は、上は宮廷貴族から下は庶民兵卒に至るまで広く使用された。その最も重要な製品は白化粧を施さない精緻な白瓷で、宋元時代の士大夫層の清雅な芸術趣向の典型的な代表となっている。
定窯はまさしく白胎、白釉の精緻な白瓷を代表する窯場である。
2009年から2010年にかけて、河北省文物研究所、北京大学考古文博学院、曲陽県定窯遺址文物保管所が共同で実施した本格的な大規模考古発掘した。これにより、定窯の分期・編年や焼造技術の変遷、各時代の宮廷用製品の焼造状況など、定窯に関する様々な問題を解明する上での重要な発見と成果をもたらした。
定窯は唐代中期に誕生し、晩唐・五代、宋代、金代と発展、展開し、元代に衰退したということが現在明らかにされており、「宋代五大名窯」の一つとして高く評価されているという。

白磁刻花蓮弁文長頸瓶 北宋(10世紀後半) 定窯 通高19.3口径6.0㎝ 河北省定州市浄衆院舎利塔塔基地宮出土 定州市博物館蔵
『世界美術大全集東洋編5』は、口は端反り(はぞり)に作り、胴は豊かな量感のある球体にし、肩には花文が大きく描かれている。その姿は花弁が大きく広がった形であり、型作りかと思わせるような柔らかな調子である。
浄衆院地宮から出土した定窯白磁は、北宋初期の定窯の作風を知る上できわめて重要な作品群である。それらは初期定窯白磁ならではの勢いにあふれた、独特の作風が認められて、初期の製作状況を知ることができるという。
胴部には稜のある細長い蓮弁が2段に浮彫りされ、開いたばかりの蓮華のようだ。肩部には何の花が表されているのだろう。上から見てみたい。

白磁酒器 北宋早期、10-11世紀 水注:定窯、高さ22.8㎝ 鉢:景徳鎮窯、口径19.6㎝ 盞:定窯、口径8.8 盞托:高さ3.8口径15.2 アオハン旗貝子府鎮出土 敖漢旗博物館蔵
『契丹展図録』は、白磁の酒器である。熱い水注を鉢でうける。
水注は高台を削り出して胴部下から半ばに、細い3連の蓮弁文をいれ、肩から頸部にかけて2連の蓮弁文をいれる。つまみをもつ水注の蓋にも蓮弁が施される。畳付以外は施釉されて底部に「官」字銘が施されている。河北省定窯産。
鉢には太い蓮弁文がややぎこちなく施され、底部のみ無釉で、丸い餅状の窯道具を置いた焼痕が残る。これは定窯というよりも定窯の蓮弁文を写した北宋早期の江西省景徳鎮窯のものであろう。
盞は日本で言えばぐいのみのようなもので、やはり3連の蓮弁文がきっちりと入れられ、定窯産と考えられるという。
久しぶりに契丹展でこの酒器などを見た時、定窯の白磁なのに、牙白色でないことがショックだった。

その後定窯展で、青みのある作品は牙白色になる以前のものであることを知った。
『定窯展図録』は、北宋の前中期は、定窯の製品の様相と製瓷技術によって非常に重要な転換期であった。
第二期は北宋中期、真宗の天禧元年(1017)から神宗の元豊8年(1085)までを指す。
この時期の細白瓷は種類が多く、出土数も大変多い。基本的に高台底が無釉となり、施釉が高台に及ばないものは非常に少ない。これは、この時期定窯の主流製品が、みな丁寧に作られていたことを示している。
細白瓷は胎が白く細膩で、胎も薄い。造型は柔らかく優美であり、釉色はわずかに青みがかった白色を呈し、上品な粉白色を現出させた。細い線による劃花の装飾は数が増加し、北宋前期に大量に宮中に貢納されていた越窯瓷器の影響を明らかに受けている。同時に浮彫による蓮弁文が流行を極めたという。
蓮弁の彫り方がぎこちない。

同書は、北宋中前期、北宋の東西2つの都であった開封と洛陽に近い河南中西部地区で、製瓷業が急速に発展する。そして定窯では生産量が減る一方、丁寧かつ精緻に製品を作るようになり、質の向上に力を入れた。同時に、定窯は工芸技術の革新を模作し、この頃から定窯の釉色に明確な変化が現れ始める。北宋早期かそれ以前からあった青みがかった白が、黄みがかった白へと変化し始め、北宋晩期にこの変化は完成する。このような釉色の変化と、燃料が薪から石炭へ変わったこととは大いに関係があるという。
燃料が変わって、還元焼成から酸化焼成になったので、釉薬に含まれる微量の金属成分の発色が変わった。逆に言うと、酸化焼成で牙白色に焼き上がった定窯の白磁を見ていて、それが当たり前に思っていたために、還元焼成で青みがかった白に焼き上がった定窯の白磁に違和感を覚えた訳である。
 
白磁刻花蓮花文洗 北宋時代、11世紀 定窯 覆焼 高さ12.1口径24.5㎝ 重文 大阪市立東洋陶磁美術館蔵
『蓮展図録』は、定窯は宋代五大名窯のひとつとして知られ、中国の白磁を代表する窯です。光が透けて見えるほど薄くつくられた器の内外には、片切彫りや櫛掻きによって繊細流麗に表された蓮花文が見られます。定窯特有の牙白色(アイボリー・ホワイト)の釉肌にほのかに浮かび上がった上品な蓮の姿は、「花の君子」たるイメージを見事に具現していますという。
これぞ定窯の白磁の典型。この柔らかい形、色、そして文様の彫りの見事さ。
東洋陶磁美術館で開催された定窯展では、発掘されたものばかり展観されていたので、この完璧な器は平常陳列の展示室で見た。
完璧な作品といいながら、口縁部には銀の輪っかが巡っている。これを覆輪というが、覆輪については次回。

白磁刻花虁龍文碗 北宋晩期(1086-1127年) 覆焼 高さ6.9口径16.3底径5.6㎝ 定窯窯址澗磁嶺A区出土 河北省文物研究所蔵
『定窯展図録』は、第三期は北宋晩期、哲宗の元祐元年から欽宗の靖康2年に当たる。
外側面は刻花により三重蓮弁文が表されています。蓮弁文の最上端部分にはヘラ彫りの跡がはっきりと見え、彫りの深さがうかがえます。見込みには円形の圏線内にとぐろを巻いた虁龍文が表されており、口縁内側にも唐草文帯がめぐらされています。釉薬は酸化焼成のため黄味がかった牙白色を呈しており、刻花部分の濃淡の発色が美しく、光沢と潤いがあります。高台内にも釉がかかった満釉で、一方口縁部は釉が拭き取られ露胎となった「芒口」(口禿)で、覆焼(伏せ焼き)されていたことがわかりますという。
覆焼についても次回。
蓮弁文の上部りヘラの跡が均一ではなく、荒削りな印象を受ける。片切彫りの優雅さとはまた異なった、定窯らしからぬ作品である。
写真は難しい。野の花を撮っても、そのものの色に写らない。この白磁も牙白色のはずなのに、くすんだ青白磁のような色に写っている。

白磁刻花蓮唐草文碗 北宋晩期 覆焼 高さ8.3口径11.6底径6.6㎝ 定窯窯址澗磁嶺B区出土 河北省文物研究所蔵
同書は、外側面には刻花により流麗な蓮唐草文が表されており、見込みは素文です。底部はやや高めの高台が付き、接地面となる畳付及び口縁部は優雅拭き取られて露胎となっています。釉薬は酸化焼成によりやや黄味がかった牙白色で、表面には光沢が見えますという。
葉や花弁の表現に躍動感が溢れている。

白磁蓮文盤 金時代、11-12世紀 覆焼 高さ2.7口径16.6底径5.4㎝ フフホト市ホリンゴル県城関公社三道溝出土 内蒙古博物院蔵
『契丹展図録』は、釉を全面にかけたのちに口縁部の釉のみ削り取るいわゆる口はげの盤である。見込みに一周沈線をいれて、その中に蓮を描いている。白磁口はげの作品は北宋末から金時代の河北省定窯で焼かれており、特徴の一つである。この種の作品はかつては北宋や契丹時代とされてきたが、現在は金代のものとされるという。
くすんだ色に焼き上がったのか、そのように写ってしまったのか、すでに記憶にない。見込みの蓮華は片切彫りされているが、シャープさが見られない。
口禿についても次回。

白磁刻花蓮弁文碟(せつ、平皿) 金(1115-1234)前期 覆焼 高さ2.0口径11.5底径7.7㎝ 定窯窯址澗磁嶺C区出土 河北省文物研究所蔵
同書は、見込みには刻花による折枝状の蓮花文が表されています。一花一葉とも呼ばれるこうした折枝花文は金代の定窯で好んで用いられたモチーフの一つですという。
上の北宋晩期の碗に施された蓮唐草文の表現と比べると、静的で平板な表現で、量産によって画一化されてしまったのか、伸びやかさがなくなったようだ。

白磁刻花蓮花文鉢 金(1115-1234)後期 覆焼 高さ16.8口径31.0底径15.0㎝ 定窯窯址、北鎮区出土 河北省文物研究所蔵
同書は、外側面には刻花により四重蓮花文がやや簡略なタッチで表されています。一方、内面には流麗な刻花技法により蓮唐草文が器面いっぱいに表されており、葉脈や花弁などの表現には櫛目が用いられていますという。
確かに蓮弁は片切彫りではなく細い線刻(劃花)で表されている。稜は口縁部から高台の縁まで続き、北宋時代の刻花虁龍文碗のような、蓮弁の段に合わせて稜を出すという丁寧さもなくなっている。

白磁印花蓮唐草文碗 金(1115-1234)後期 覆焼 高さ7.2口径16.6底径5.6㎝ 定窯窯址、澗磁嶺A区出土 河北省文物研究所蔵
同書は、器壁はゆるやかな曲線を描いたうすづくりの碗で、金代の典型的な器種の一つです。外側面は素文で、轆轤成形後のヘラ調整の痕跡がうかがえます。内面見込み中央には蓮の葉と交差する蓮の花2本を表し、それを中心に内壁は蓮唐草文でびっしりと埋めつくされており、口縁部下方には雷文がめぐらされています。これは一つの陶範を用いて施文されたもので、実際に窯址からは金代の陶範も出土しています。釉薬は酸化焼成によりやや黄味がかった牙白色で、「涙痕」と呼ばれる釉が流れてやや厚くなった部分が見られ、光沢と潤いのある質感を見せています。うすづくり、陶範による印花文、そして支圏による覆焼は金代定窯の主な特徴であり、これらは規格性のある製品を量産するために工夫された技術の成果といえますという。
印花には型による文様とは思えない緻密で微妙な立体感のある表現で、蓮の開きかけた蕾、満開の花、花が終わって花托だけになったもの、そして葉などが、葉脈も丁寧に表されている。中にはオモダカのような葉も見られ、水の豊かな地方の自然を描いた絵画のようだ。

金時代の定窯の作品は、劃花や刻花による表現は凡庸になってしまったが、印花という型押しによる細かな文様はみごと。


                              →定窯白磁の覆輪と覆焼

関連項目
唐三彩から青花へ

※参考文献
「定窯 優雅なる白の世界 窯址発掘成果展図録」 2013年 大阪市立東洋陶磁美術館
「蓮 清らかな東アジアのやきものX写真家六田知弘の眼 展図録」 大阪市立東洋陶磁美術館編 2014年 読売新聞大阪本社
「草原の王朝 契丹 美しき3人のプリンセス展図録」 九州国立博物館編 2011年 西日本新聞社
「世界美術大全集東洋編5 五代・北宋・遼・西夏」 1998年 小学館