2014/08/26

蓮華座3 伝橘夫人念持仏とその厨子



伝橘夫人念持仏は阿弥陀三尊像で、阿弥陀如来は蓮華座に結跏扶坐し、両脇侍は蓮華座に立っている。

『国宝法隆寺展図録』は、厨子は台脚付宣字形須弥座に、天蓋をもつ箱形龕(本尊を安置)を重ねる形式で、蓮弁のみを樟とするほかはすべて檜製。
現状の須弥座上框には八角柱を切り落としたとみられる木口面が残っており、当初は4本の八角柱で天蓋を支えていたと考えられるという。

阿弥陀三尊像 飛鳥時代(7-8世紀) 銅造鍍金 中尊高さ34.0㎝
『国宝法隆寺展図録』は、華やかな意匠を施す金銅製の後屛と台盤を備えている。白鳳期金銅仏の代表的な作例の一つで、阿弥陀浄土の光景を、当時の洗練された金属技法の粋を集めて表現している。
台座の蓮池から3本の蓮茎が立ち上がり、三尊はこの蓮華座上に表される。やや角張った面相、円筒形で抑揚のない頸部、右肩に立ち上がりを表す中尊の大衣表現などは7世紀後半に入る頃の法輪寺薬師如来像等に見られる古様を踏襲するが、肉身は丸みがあって柔らかく、蓮弁も薄く繊細に表すなど、随所に初唐様を踏まえた自然らしさを追求しているという。
波うつ蓮池の中から捻れた蓮茎が出て優美な蓮華を咲かせてる。初唐期の蓮華座というのはこういうものだったのか。
中尊の蓮華座は半球形で、4段にわたって複弁の蓮弁が蓮台を取り巻く。脇侍の蓮華座は満開前の形で、4段の単弁が花托を囲んでいる。
『日本の美術359蓮華紋』は、子葉にパルメットを置く単弁蓮華紋という。
確かに中尊蓮華座の子葉にはないパルメット文が、脇侍の蓮華座の子葉には見られる。当時はこの文様を何と呼んでいたのだろう。

後屛
同書は、中尊の光背頭光心には、花弁の先端に稜をもつ素弁八葉蓮華紋を置く。さらに、その後屛に居並ぶ天人の蓮華座は、狭長な単弁をもつ側視形蓮華紋であるという。
なかなか頭光の蓮華文までまとめられないのだが、この頭光の蓮弁は中程から稜が現れている。稜を鎬(しのぎ)と表現する研究者もいる。八重咲きの蓮華でも八葉でよいのかな。
天人たちも蓮台に乗るが、このような蓮華座を側視形蓮華紋というのか。
頭光の周囲の透彫も、傾きのある曲線とその重なった箇所の格子文が蓮弁の葉脈を表しているのだろうか、なんとも優美。その外周を、同じく透彫だが、全く異なった曲線を駆使した唐草文が巡る。
天人たちの蓮華座を支えるのは、やはり捻れた茎で、そこには数本の蛸足のような草が巻きついている。

蓮池
同書は、蓮池と後屛に浮彫で表現される波、蓮、菩薩、化仏なども流麗でのびのびとしており、古様と初唐様を兼ね備えた7世紀末から8世紀初めの白鳳彫像の完成された一境地を示しているという。
池なのに、波がたち、渦が巻いている。波もあちこちで向きを変えていて、画一的な波文とはなっていない。
そこから伸びた蓮茎はいずれも曲がっていて、葉の裏を見せるもの、横向きのもの。上から見下ろした葉を表したものには開いたものや内側に巻いたものなど、その表現はパターン化していない。
蓮葉には黒っぽい葉脈と白っぽい波線のようなものが見える。

厨子の天井内面
天井の格間の一つ一つには、蓮華文が描かれている。大きな子葉の輪郭が見えるので単弁、花弁の数はというと・・・、どう見ても5弁だ。
『日本の美術359蓮華紋』は単弁五葉蓮華紋とし、茨城下総結城廃寺塔心礎舎利穴石蓋(7世紀末-8世紀)に描かれた単弁五葉蓮華紋の絵画があるという。
五葉蓮華紋というのは、新来の初唐様なのかも。
また、支輪の縦長の区画には蓮が伸びていく様子を表しているようだ。 

宣字形須弥座の上下にも素弁の蓮弁が巡り、橘夫人念持仏は、蓮の様々な意匠が鏤められた厨子に安置されていた。

    蓮華座2 法隆寺献納金銅仏←     →蓮華座4 韓半島三国時代

関連項目
天井の蓮華
蓮華座1 飛鳥時代
蓮華座5 龍と蓮華
蓮華座6 中国篇
蓮華座7 中国石窟篇
蓮華座8 古式金銅仏篇
蓮華座9 クシャーン朝
蓮華座10 蓮華はインダス文明期から?
蓮華座11 蓮華座は西方世界との接触から

※参考文献
「日本の美術455 飛鳥白鳳の仏像 古代仏教のかたち」 松浦正昭 2004年 至文堂
「日本の美術359 蓮華文」上原真人 1996年 至文堂
「国宝法隆寺金堂展図録」 2008年 奈良国立博物館
「国宝法隆寺展図録」 1994年 奈良国立博物館