2014/06/24

ギザギザの衣文線は半島経由で日本にも



日本で制作された仏像で現存最古のものは飛鳥の大仏である。

丈六釈迦如来坐像 推古14年(606)または17年(609) 飛鳥寺
『法隆寺日本美術の黎明展図録』(以下『法隆寺』)は、わが国で最初の本格的寺院は蘇我馬子によって造営された飛鳥寺で、鞍作止利によって鋳造された丈六釈迦如来像が安置された。本像は現存するものの火災のため補修が多く原様を正しく留めているとは言い難いという。
しかし、新しいX線による調査で、仏身のほとんどが飛鳥時代当初のままである可能性が高いとされるようになった(2012年、早稲田大学大橋一章教授らによる。その記事はこちら)。

飛鳥寺安居院では、説明を聞いた後で写真撮影をすることができたが、大仏の前にはいろんなものが置かれていたので、着衣の裾までは見ることができなかった。
故に、下図のような図版があると非常に助かる。この大仏さんの着衣にギザギザの衣文はないと思っていたが、膝前に広がる裳裾にはしっかりとギザギザの衣文線が表されていた。
『飛鳥のほとけ』には伊東太作氏の復元図があった。この図によると、裳懸座はギザギザの衣文が2段にわたって埋め尽くされている。

『法隆寺』は、初期仏像の中で最も完存し、製作の事情も明確なのは法隆寺金堂の本尊である釈迦三尊像であるという。

釈迦三尊像うち主尊 推古31年(623) 法隆寺金堂
同書は、中尊釈迦如来像は台座に懸裳を垂す二等辺三角形の中に納まる姿で、衣の襞は左右相称形に近く畳み込まれる。その様式は北魏末から東西魏の仏像を基本としそれが朝鮮半島を経由してわが国に伝わったものであるが大陸・半島の直模ではなく、日本独自の審美感が加味されていることは注目すべきであろうという。
裳懸座の中央からは、ほぼ左右対称にギザギザの衣文が表されているが、折り重なった襞のひとまとまりは左右対称ではない。そんなところが日本人の感覚だろうか。

せっかくなので、北魏から東魏、西魏の裳懸座をみてみると、

仏三尊像うち二尊 北魏時代後半(494-534年) 石造 甘粛省天水県麦積山石窟第133窟第3号龕 
主尊の両手から下がる大衣の衣端は、ギザギザの線を描きながら台座にまで長く垂れている。縦に折り目の並んだ内側の衣の衣端がのぞいている。更にしの下に平行に縦線が並ぶものも、やはり如来の装束だろうか、それとも台座の敷物だろうか。

日本の裳懸座は、結跏扶坐した膝と台座がはっきりと分かれているのに対して、自然な表現となっている。ただし、実際に大衣を着て台の上に結跏扶坐すると、衣はこのような垂れ方をするかどうかはわからない。

如来三尊像うち主尊 西魏、大統8年(542) 高さ23.5幅14.4奥行9.5㎝ 黄花石 大阪市立美術館蔵
『大阪市立美術館山口コレクション中国彫刻』は、三尊共に微笑んでいるのが印象的である。宣字形台座に坐す如来像のやや装飾過多な懸裳や、四脚部左右正面に高浮彫された獅子像の見事に揃ったたてがみの表現など、きわめて精緻な彫刻技法をみせるという。
左右向き合った衣文は対称的に表現されているが、偏平になってしまった。
大衣と内側に着た衣2枚が、折り畳まれながら中央の合わせ目から左右に下がっていく。それとは別に右膝下からも襞が左右に広がって下がっている。

菩薩半跏像 東魏、武定2年(544) 高さ51.9幅22.9㎝ 石造 台東区立書道博物館蔵
『北魏石造仏教彫刻の展開展図録』は、円筒形の籐座にすわり右脚を左脚の上にのせ、右手の細い指を頬にそえる堂々としたすがたの半跏思惟像。身につけた裳(裙)の二重衣文線、右膝頭や籐座背面左右の渦巻き文などは、しばしば東魏~北斉の造像に散見される特徴である。また右脚から垂下する衣がやや扁平であり、全体として湾曲している点も、河北省曲陽附近から出土した東魏~北斉の菩薩半跏像と共通しているという。
ギザギザの衣文が扁平なのは東魏のものと共通している。
裙とその内側に着けた衣の2枚は、偏平というだけでなく、かなり装飾的に表されているが、それでも、中央と右膝下の2箇所から左右に下がっている。

いつのまにか半跏像になってしまったが、韓半島では、

菩薩半跏像 金銅(銅に金メッキ) 三国新羅時代(527-676) ソウル、韓国国立博物館蔵
『図説韓国の歴史』は、蝋型の鋳造品で、頭部の宝冠は三山に単純化されているが、韓国最大、秀作の金銅仏像である。京都、広隆寺木造半跏思惟像と酷似するという。

ギザギザの衣文はやはり偏平。左膝の内側の折り重なる裙にみられる程度。右膝を覆う裙のほとんど襞のない衣端と、装飾的な内着の裾は背後から左膝に回り、正面で2層に襞を見せている。
台座の敷物だろうか、まっすぐ地に垂れ、衣端にのみ襞が並ぶものがある。
上の東魏、西魏のものと比べると、現実味のある表現となっている。

菩薩半跏像 7世紀 20.3㎝ 法隆寺献納金銅仏158号
『法隆寺献納金銅仏展図録』は、宝冠、垂髪、裳なども大胆に意匠化され、全体に平明簡素な印象を与え、半跏思惟像中異色の作風を示している。朝鮮三国時代に制作されたものであろう。この様な作品が手本となって、わが国の飛鳥彫刻が制作されたと考えられる貴重な作例であるという。

裙と内着の2枚の図式化された裳懸座の衣文は、規則的に折り畳まれているが、縦への連続よりも、横への連続となっていった。
寺院に安置される仏像と、念持仏との違いだろうか、上図の像とはかなり異なった襞の表現だ。

そして日本では、

菩薩半跏像 飛鳥後期 133㎝ 寄木造(クスノキ) 中宮寺蔵
『太陽仏像仏画1奈良』は、樟材数個を不規則に寄せた、独特の寄木造りの像である。丸味のある柔らかいポーズは止利様の像とは大きくへだたり、時代も飛鳥末期の作と思われるという。

右足首にある端から、裙は背面に回って左膝を回って更に背面へと回っていく。内着か敷物の裾がその下に、裙と同様の襞を畳んでいる。
菩薩半跏像 丙寅年(606年) 41.6㎝ 法隆寺献納金銅仏156号
同書は、三国時代朝鮮の彫刻様式が顕著に認められる作品である。「丙寅年」については606年か666年の両説があるが、野中寺弥勒菩薩像(666年)などとの比較から前説が多くとられているという。

裙だけが表されてすっきりしている。ギザギザの衣文線が再び現れた。というよりも、このような並び方の衣端も、現存していなくても、日本には伝わっていたのだろう。

ついでに誕生仏は、

金銅誕生仏 三国時代(7世紀) 高さ10.7㎝ 国立慶州博物館蔵
ギザギザとまではいかないが、東魏、西魏のひしゃがった折り目があり、中国からの影響が確かな仏像である。

誕生仏 飛鳥時代 金銅 愛知県正眼寺蔵
『日本の美術159誕生仏』は、わが国に伝わる最古の誕生仏である。面長な頭部や短い裳の襞を左右対称に折り重ね裾を図式的に表現するところなど止利様式の作品と共通する。全身にわたり鍍金が鮮やかに残っているという。
正面腋から2つの折り畳みが出るという現実離れした表現だが、ギザギザの衣文線ははっきりと表されている。


ギリシアの博物館でアルカイック時代の神像にギザギザの衣文線を見て、日本にもある襞の表現法の起源を知った。しかし、実際に日本に残っている仏像のギザギザは直線的ではなかった。

    中国でギザギザの衣文は

関連項目
アルカイック期の衣文が仏像の衣文に
飛鳥の大仏さん
弥勒菩薩半跏思惟像といえば広隆寺と中宮寺

※参考サイト
早稲田大学の2012年10月20日のニュース、飛鳥大仏 ほぼ造立当初のままの可能性
文学学術院・大橋教授らがX線分析、従来の見解覆す研究成果


※参考文献
「法隆寺 日本仏教美術の黎明展図録」 2004年 奈良国立博物館
「国宝と歴史の旅1 飛鳥のほとけ天平のほとけ」 1999年 朝日百科日本の国宝別冊 朝日新聞社

「法隆寺献納金銅仏展図録」 1981年 奈良国立博物館
「太陽仏像仏画シリーズⅠ 奈良」(1978年 平凡社)
「図説韓国の歴史」(金両基監修 1988年 河出書房新社)
「日本の美術455飛鳥白鳳の仏像」(松浦正昭 2004年 至文堂)

「大阪市立美術館 山口コレクション 中国彫刻」 齊藤龍一編 2013年 大阪市立美術館
「北魏 石造仏教 彫刻の展開展図録」 齊藤龍一編 2013年 大阪市立美術館