2014/02/14

アヒロピイトス聖堂の蓮華はロゼット文



テッサロニキのアヒロピイトス聖堂には蓮華をモティーフとした金地モザイクが幾つか見られた。それらはローマ時代に流行したナイル川の風景の中に描かれた蓮によく似ていた。
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しかし、その中でこの中央の花だけが、他では見られないものだった。
が、ペラやテッサロニキ考古博物館などを見学していて、薄い金板にロゼット文のある装飾品を幾つか見かけたりして、これは特定の花ではなく、たくさんの花や葉が開いたロゼットといわれる状態を文様化した、ロゼット文だったのではないかと思うようになっていった。

葬送用装身具 前6世紀後半 銀鍍金 ネア・フィラデルフィア墓地39・67(男性の)墓出土 テッサロニキ考古博物館蔵 
花弁の先が丸いが浮出しのロゼット文だろう。
ロゼット文の薄い金板 前6世紀後半 テッサロニキ考古博物館蔵
衣服などに縫い付けたりしていたのだろう。
 冠だろうか 時代不明

骨箱 前4世紀後半 金製 ヴェルギナ、第2墳墓出土 ヴェルギナ考古博物館蔵
フィリポス2世の墓とされる主室の大理石の箱に納められていた。
中央の段に青ガラスを象嵌したロゼット文が並び、両端には縦にロゼット文を打ち出している。

スキフォス ガラス 前255-168年頃 マケドニアの少女の墓より出土 ペラ考古博物館蔵
先の尖ったロゼット文が線刻で表されている。
もっと細い花弁が二重に重なったロゼット文もある。

B18=鉢、B14=オイノコエ 前330-310年頃 銀製(部分的に鍍金) テッサロニキの南西、デルヴェニのB墓出土 テッサロニキ考古博物館蔵
B18の鉢
『GREEK CIVILIZATION』は、外側はロゼットの周囲に皮針形の葉が巡る装飾がある。
このタイプの鉢はペルシアの金工の影響を受けているという。
アケメネス朝から将来されたものだったが、中心の先の丸いものがロゼット文で、外側の尖った方は葉っぱだった。
B14のオイノコエ
どう見ても蓮弁が重なり合う様子が打ち出されている。

ロゼット文浅鉢 前4世紀 鍍金銀 高1.8㎝径17.5㎝
『古代バクトリア遺宝展図録』は、器底の中心に鍍金を施した先端の丸まった12弁の小さなロゼット文を配し、更に器底全体を覆う大きなロゼット文を配している。大きなロゼット文は12弁を基本として八重に重なりあっており、鍍金でこの重なりを表現している。器縁は失われているという。
ギリシアでは外側の文様は先の尖った葉を巡らせたものと捉えているようだが、日本では外側もロゼット文としている。
 
ロゼット文フィアラ杯 アケメネス朝時代(前6-前4世紀) 銀 高6.7㎝径20.9㎝
同書は、器底の中心に先端の丸まった18弁のロゼット文を配し、器胎の外側に放射状の畝文、その上に連珠文を施しているという。
ここではロゼット文とせずに畝文としているが、同じ文様である。
ギリシアでもペルシア由来のものとしているので、先が尖った葉ないし花弁の巡る文様もロゼット文としておこう。
このような先の尖って、数の多いものが器体を巡り、特にそれが透明ガラスであれば、使用時に上から見るとその文様は細い花弁の多数ある花が開いたものと感じたのではないだろうか。

また、ペラのダロンの神域出土の舗床モザイク「洞窟の前のケンタウロス」で、ケンタウロスが左手に持っているのは、このような先の尖ったロゼット文を施した金かガラスのフィアラ坏なのではないかと思っている。

前330-310年頃のガラス製スキフォスの後、後5世紀のアヒロピイトス聖堂の蓮のモザイクまで、このような文様が受け継がれてきたかどうかはわからないが、この花が仏教美術から将来された蓮華というよりも、先の尖ったロゼット文から着想を得た蓮の花とみる方がよいのでは。

イコノクラスム以前のモザイク壁画8 アヒロピイトス聖堂2 蓮華もいろいろ

関連項目
テッサロニキ7 パナギア・アヒロピイトス聖堂2 モザイク1
ペラ考古博物館2 ダロンの聖域

※参考文献
「GUIDE TO THE ARCHAEOLOGICAL MUSEUM 0F THESSALONIKE」 JULIA VOKOTOPOULOU 1996年 KAPON EDITIONS
「GREEK CIVILIZATION MACEDONIA KINGDOM OF ALEXANDER THE GREAT」 JULIA VOKOTOPOULOU  1993年 KAPON EDITIONS
「古代バクトリア遺宝展図録」 2002年 MIHO MUSEUM
「Pella and its invirons」 Maria Lilimpaki-Akamati・Ioannis M.Akamatis 2003年 MINISTRY OF MACEDONIA-THRACE