2014/01/14

バシリカ式聖堂の起源はローマ時代のバシリカ



今回のギリシア旅行では遺跡でも教会でもバシリカという言葉が出て来た。

教会を時代順にみていくと、

パナギア・アヒロピイトス聖堂 450-470年 テッサロニキ
『世界歴史の旅ビザンティン』は、三廊式バシリカで、寄進銘から5世紀第3四半期の建立であることがほぼ明らかになっているという。
側廊が二階建てなので、身廊はもっと高い。
南に小礼拝堂が付いているが、シンプルな三廊式バシリカのプラン。

アギオス・ディミトリオス聖堂 5世紀創建、7世紀再建 テッサロニキ
西正面はやや込み入った造りになっている。
内部は五廊式バシリカ、
面図で見ると身廊部は三階建てだが、一階が最も高く、二階、三階と上にいくに従って階は低くなっていく。
内側廊は一階部分が身廊と同じ高さの二階建て、外側廊は身廊の一階部分の高さで二階建てになっている。
外観はドームがない。
西側にナルテクスが付く五廊式バシリカだが、内陣が側廊部まではみ出したり、ナルテクスも外に突き出したりと、複雑な平面になっている。5世紀創建とはいえ、それ以前のローマ浴場の平面が関係しているのかも。

聖母の祈り教会 30X13m 11世紀 カランバカ
外観はドームがない。
内部は、身廊と身廊よりも狭い側廊が左右に1つずつの三廊式。テンプロン(障壁)に遮られて見えないが、後陣は半円形という平面に、内部ナルテクスと外部ナルテクス(後補)がついている(図面がない)。
後陣は立ち入ることができなかったが、絵葉書でシントロノンの様子を知ることができた。
『The Church of Dormition in Kalabaka』は、聖職者席の中央には司教の坐る玉座つまり司教座がある。初期キリスト教会の集会の形態をここに見ることができる。
シントロノンの下には、多くの教会に備えられた大きく深いクリプトがあり、異邦人の襲撃の間、キリスト教徒が隠れ棲んだという。
ギリシアやローマの劇場の観客席を思わせる造りで、聖職者の座る階段状の座席だけでなく、司教の坐る司教座が中央にある。

この半円形のアプシスを伴うバシリカ式建物はローマ時代のバシリカだという。

マクセンティウスとコンスタンティヌスのバシリカ 312年完成 ローマ、フォロ・ロマーノ
『ROMA』は、このバシリカはローマでも屈指の壮大な建物のひとつで、306年にマクセンティウス帝が建て始め、312年にコンスタンティヌス帝が完成したという。
巨大な三廊式バシリカで、古い様式のせいか、身廊と側廊の高さが同じ。コンスタンティヌス帝がキリスト教を公認する直前のバシリカということになる。
同書は、もともとの入り口は東側にあって、その前にはナルテックス(拝廊)があった。入り口は続いて南側に移され、建物の方向が変わった。次にアプシスにはコンスタンティヌス帝の巨像が置かれ、空間の容積も大きくなったという。
バシリカは8本の柱で3廊に分割されており、身廊にあたるところに、14m以上のシポリン(雲母大理石)の縦溝のはいった円柱が8本横に並んでいて、35mもあった3面にわかれた交差ヴォールトを支えていたという。
この想像復元図を見た時は、ガラス窓については疑問だったが、テッサロニキの教会を見ていると、当時実際にこのようなガラス窓があったのだろうと思うようになってきた。

ドムス・フラウィア 後1世紀末 ローマ、パラティーノの丘
見学していても、バシリカという建物遺構がよくわからなかった。
それについてはこちら
⑯の南側にアプシスのあるバシリカを上下逆にした平面図
『建築と都市の美学イタリアⅡ』は、半円形の空間(アプシス)をその端に持っている。皇帝の公的な住まいの一部で、アプシスは皇帝だけが入ることのできる特別な空間だった。これが初期キリスト教聖堂の空間構成に影響を与えたものと考えられるという。
アプシスには四角い外壁が巡っているのが大きな違い。
また、三廊式バシリカで、身廊に比べて側廊が極端に狭い。
ローマのサンタニェーゼ・フオリ・レ・ムーラ(337-350年創建)は620-630年代に再建されたものという(『世界美術大全集7西欧初期中世の美術』より)が、やはり側廊は狭かった。

ギリシアで遺跡を巡っていて、バシリカという名称の付いた遺構も見てきたが、古代ギリシア時代にはなく、ローマ時代になって出現した建物のプランだったように思う。

例えば、コリントス遺跡、レカイオン通りにあったとされる㉕北のバシリカには半円形の出っ張りはない。
その平面図同じ場所に何度も建物が建て直されたことがわかるが、どれも平面が長方形だった。上図の建物は後1-2世紀のものとされ、一番大きな平面を持つものだ。

そう言えば、以前にバシリカというのは、屋根付きの長い柱廊を半分に折って列柱側を内側にして内部に空間を設けた建物だと聞いたことがある。上図がまさにその平面を表していたのだ。
その四角い建物に半円形のアプシスが付いて神殿になっていったという。

マルス・ウルトル 前42年 ローマ
『イラスト資料世界の建築』は、この神殿と高い周壁をめぐらせた神域はアウグストゥスがカエサルの弔合戦誓願成就のために建てたもので、復讐神マルス・ウルトルを奉っているのは、そのためである。これはローマ神殿中最大の建築で、柱の高さは58フィート(約17.7m)である(わずかに3本残存)。高さ100フィート(約30.5m)の周壁は、神殿の境界をなし、前面と左右側面とに大きな空き地が存在したという。
アプシスのあるローマ時代の神殿の最古は何時頃建立されたのかは不明だが、前1世紀後半にはすでに建てられたようだ。
外側には立派な角柱が並んだ周廊があり、内部には、それに比べればずっと細身の付け柱と円柱のある狭い側廊がある、三廊式バシリカだった。

既に、前1世紀後半には、神殿にはアプシスがあって、神像がおかれていたのだ。

                             →ドームを持つ十字形プラン聖堂の最初は?

関連項目
フォロ・ロマーノ、マクセンティウスのバシリカ(Basilica di Massenzio)
パラティーノの丘、ドムス・フラウィア
サンタニェーゼ教会(Sant’Agnese Fuori le Mura)に7世紀前半の金地モザイク

※参考文献
「The Church of Dormition in Kalabaka」 Ioannis S.Pispas Priest 2012 ΓΡΑΦΙΚΕΣ ΤΕΧΝΕΣ ΜΕΛΙΣΣΑ
「世界歴史の旅 ビザンティン」 益田朋幸 2004年 山川出版社
「建築と都市の美学 イタリアⅡ 神聖 初期キリスト教・ビザンティン・ロマネスク」 陣内秀信 2000年 建築資料研究社
「roman・forum・palatine・colosseum・guide」 2008年  Electa
「ローマ古代散歩」 小森谷慶子・小森谷賢二 1998年 新潮社
「世界美術大全集7 西欧初期中世の美術」 1997年 小学館
「イラスト資料 世界の建築」 古宇田實・斎藤茂三郎 1996年 マール社