2013/12/06

ギリシアのグリフィン



オリンピアやデルフィに奉納された東方化様式時代の大鍋や鼎にはライオンやグリフィンの頭部が取り付けられていた。

オリンピア出土の大釜
三脚に輪のついた台に載せられたらしい。
様々な容貌のグリフィンやライオンの頭部も展示されていた。

デルフィ博物館では、そのような飾りのある鼎あるいは大鍋(大釜)は出土していない。
あるのは装飾がなかったか、とれてしまった大鍋だけだった。
その想像復元図には、ライオンの頭部と共にグリフィンの頭部も描かれている。


そして、グリフィンの頭部だけはたくさん出土しているようで、大きな展示ケースを飾っていた。どれも大きな目がぽっかりと空いて不気味。

グリフィンの頭部 前8世紀 青銅製
同書(以下同じ)は、青銅板からの鎚打ち出し、大鍋の縁を飾ったという。
デルフィ出土の鼎の付属品として最古のグリフィンらしく、他のグリフィンとは趣が異なる。そして他の頭部はひと続きなのに、これは上下2段に分けてつくっている。
飛び出した目には貴石の象嵌でもあったのかな。それともガラスかな。
くちばしの内側には、鳥にはないはずの歯が並んでいるし、首からは蛇のしっぽのようなものがさがっている。
グリフィンの頭部 前7世紀 青銅製
東方様式の鼎の縁を飾った。
目の外側に渦巻、眉間にトサカ状のものと、丸いものを冠した突起、あるいは角がある。
グリフィンの装飾品 前7世紀 青銅製
東方様式の鼎を飾った。
耳は上に長く伸び、前頭部に擬宝珠のようなものを先に付けた角?がある。

このようなものを見ながら、どこかで見たような気がしていた。
それは滋賀県は信楽山中にあるMIHO MUSEUMの収蔵品で、複数回見たことのあるものだった。

グリフィン形の飾り 前7世紀 青銅 高21.7㎝
『古代バクトリアの遺宝展図録』は、前2千年紀後半には地中海地域とヒッタイト、エジプト、メソポタミアの帝国が商業活動ばかりでなく知的社会的交渉によって深く結びついていったが、地中海地域の人々は古くから鉱物資源を求めて移住定住を繰り返し、また神殿に鼎を奉納する習いがあったという。
ギリシアだけでなく、エトルリアでも鼎あるいは大鍋が出土しているのは、エトルリアでも神殿に奉納するために必要だったのか。
エトルリアの鼎についてはこちら

このグリフィン形の装飾は、頭部に1本の角を頂き、上下等しい長さの嘴を開け、頭の両脇から今は上部が折れているが、真っ直ぐに驢馬型の耳を立てている。その耳の下に襟巻き状の隆起が見られる。その首の下端に鼎に取り付けるためのフリンジが残っている。内部は中空に鋳造され表面を半円形の鏨で羽文を刻み、眼窩の部分は現在失われているが練りガラスの眼が象嵌されていたと思われるという。
この羽文の鏨が東に伝わって魚々子になったとは思わないが、面白いものをギリシアで発見!
目にはガラスが象嵌されていたという。どんな色の、どんな目だったのだろう。

この様式はサモス島出土、前7世紀頃の青銅製グリフィン形装飾と近似している。同時代のギリシャ本土のオリンピア型グリフィンはより装飾的なもので、嘴の誇張も見られる。
前1千年紀初頭、西アジアの金属工芸の中心地であったウラルトゥから、この類の大鍋(鼎)がギリシャやエトルリアなど東地中海域に伝えられたとされているが、西アジアでは牡牛がその装飾として付けられていたのに対し、ギリシャ人はグリフィンの装飾を付けたのである。グリフィンはギリシャでは黄金を守るものとして伝えられており、何らか辟邪の意味合いが込められていたものであろうという。
グリフィンが魔除けとして大鍋に付けられたというのはあり得るだろう。

牡牛の装飾がある西アジアの大鍋で知っているのはこれだけ。

牛頭装飾付き大鍋 前8世紀末~7世紀 トルコ、アルトゥンテペ出土 青銅高20㎝口径26㎝ 神奈川県、シルクロード研究所蔵
『世界美術大全集東洋編16西アジア』は、二つの牛頭把手の大鍋はウラルトゥ美術を代表する作品である。大鍋の口縁は外側に反り返っている。
このような丸底の把手付きの鍋は西アジアの調理用鍋の典型的な形で、古くから土製のものが使用されていた。その形をまねて金属で大型に製作し、牡牛の装飾把手をつけたのは、特別な儀式に用いられたためと考えられるという。
小鳥の体に牡牛の頭部という妙な組み合わせの把手だ。

グリフィンと言えば、想像上の有翼獣だが、大鍋には頸部より上だけが表されている。
時代は下るが、大鍋ではなく楯のような円形のものに取り付けられていたとみられているグリフィンの装飾板には背びれと翼がある。

グリフィン形装飾板 前5世紀 青銅 高42.0幅34.0
同書は、前7世紀頃のギリシャ美術、特に壺絵の表現は、植物文、聖獣や怪物意匠の長い伝統のあるオリエント美術の影響を強く受けた。オリンピア型のグリフィンに見られるような先端が巻き上がった翼の表現の類はこの時期に見られるものである。そしてこの壺絵に次第に英雄譚を始めとして彼ら独自の神話的題材が導入されるようになり、それにはしばしば怪物が登場した。海の怪物ケトスや海馬などはその主要な題材であったが、これらは魚に特有のぎざぎざの背鰭をつけて表現された。おそらくこうして作り上げられた彼らの様式に伴って前6-前5世紀頃には、このグリフィンの意匠が、同様の背鰭をつけたものに変容していったものと想像される。この時期は同時に翼の表現も伸びやかなものになっていった。
このグリフィンの装飾板は、おそらく盾のような丸い器物の装飾に使われたものと考えられ、左前足を上に挙げ、嘴を開いて威嚇する体勢をとっている。この体勢はすでに前7世紀のオリンピア型にも見られる伝統的なものであるが、耳は直立せず斜めに突き出し、その下に延びる襟のような隆起は皺のようになり、背中にぎざぎざの背鰭をつけている。筋肉表現はごく自然な表現に近づいており、怪物をも現実味をもって表現する自然主義的要素の強くなっていった前5世紀頃の傾向を示しているという。
尻尾も蛇のようで、ギリシアの鳥グリフィンは、ますます奇怪な動物へと変化を遂げていくようだ。

ギリシア神殿10 ギリシアの奉納品、鼎と大鍋

関連項目
ウラルトゥの美術2 青銅の鋳造品
オリンピア考古博物館3 青銅の鼎と鍑(ふく)
ギリシア神殿9 デルフィに奉納した鼎は特別

※参考文献
「DELPHI」 ELENI AIMATIDOU-ARGYRIOU 2003年 SPYROS MELETZIS
「世界美術大全集東洋編16」 西アジア」2000年 小学館