2013/09/17

アカンサス唐草文の最初は?


エピダウロスのトロス周柱廊の天井には、アカンサス唐草がはっきりと表されていた。
トロスの建立時期について『ギリシア美術紀行』は前360-320年、『CORINTHIA-ARGOLIDA』は前365-335年という。どちらが正しいか、唐草文の様式で見ていくことにする。
左側を横にしてみる。
茎は捻れながら伸びているが、枝分かれした蔓は輪郭が凸に、蔓そのものは凹んで表されている。
その特徴を、エピダウロスの考古博物館に展示されていた軒飾りのアカンサス唐草と比べてみると、

アスクレピオス神殿(前380-370年頃)の軒飾り
茎に筋はあるものの、捻れてはいないので、2冊の本の記述を裏付けられた。また、蔓の凹みも前の時代のものを受け継いでいることもわかった。

アルテミス神殿(前4世紀)の犬の樋口の軒飾り
これがトロスの周柱廊天井のアカンサス唐草の表現と近いのではないかと思う。
この神殿の建立年代がもう少しはっきりしていれば良いのだが。

では、プロピュライア(前330年代)の北側軒飾りはどうだろう。
こちらは蔓にギザギザが出現し、凹みはより深くなっていて、ライオンの迫力ある頭部と共に、おどろおどろしさが出ている。病気治癒を求めてやってきた者達は、これを見て恐くなかったのだろうか。

このアスクレピオスの神域への玄関口のプロピュライアは、トロスやアルテミス神殿より後に造られた、言い換えれば、トロスは前330年代以前に建立されていたことになる。
唐草文の様式からみると、『CORINTHIA-ARGOLIDA』のトロスは前365-335年頃建造されたという記述の方が正しいことになる。
陶器に描かれた建物の破風に、蔓草文が描かれていた。前360-350年頃にはすでに、蔓草文は建物の上部にあることが珍しくなかったことを示している。

クラテル断片 前360-350年頃 イタリア、ターラント出土 グナティア様式 ヴュルツブルク、マルティン・フォン・ヴァーグナー美術館蔵
『世界美術大全集4ギリシア・クラシックとヘレニズム』は、初期グナティア様式のコンナキス・グループの手になるこの作品は断片ながら、当時の演劇の舞台について種々のヒントを与えてくれる点でも、また背景の建築表現に当時流行していた遠近法がかなり正確に用いられている点でも、きわめて貴重な資料である。欠落している右側にも左側と同じようなファサード(建造物の正面部)の突出部があり、突出部を左右にもつこの建築複合体については、こうした舞台建築が実際にあり、それを表現したものだという説と、楽屋建築の壁面にしつらえた板に描いたイリュージョニスティックな舞台背景画-いわゆるスケノグラフィア-を写したものだとする説があるという。
神殿を描いたものではなかったが、棟飾りのアクロテリオンや軒飾りのライオンの頭部、その下のコーニスの卵鏃文、メトープに浮彫はないが、トリグリフ、などの上部構造が表される。それらを支えているのはイオニア式柱頭。
そして、何よりもこの陶器画を採り上げた理由の三角破風(ペディメント)に描かれた唐草文。アカンサスの葉は見えないが、茎から分かれて渦巻いた先から花柄が出ていたり、茎が蛇行しながら伸びていく様子は、簡素ながら、当時の唐草文を表現よくしている。
エピダウロスの考古博物館で、トロスよりも古いアカンサス唐草がアスクレピオス神殿(前380-370年頃)にあったことを知った。
今回のギリシア旅行では、もっと古いアカンサス唐草、あるいは最古の唐草文を見付けることができるだろうか。


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関連項目
パルテノン神殿のアクロテリアがアカンサス唐草の最初
アカンサス唐草の最古はエレクテイオン?
アヒロピイトス聖堂の蓮華はロゼット文
ギリシア神殿6 メガロン
ギリシア神殿5 軒飾りと唐草文
ギリシア神殿4 上部構造も石造に
ギリシア神殿3 テラコッタの軒飾り
ギリシア神殿2 石の柱へ
ギリシア神殿1 最初は木の柱だった

※参考文献
「唐草文様」 立田洋司 1997年 講談社選書メチエ
「古代ギリシア遺跡事典」 周藤芳幸・澤田典子 2004年 東京堂出版
「CORINTHIA-ARGOLIDA」 Elsi Spathari 2010年 HESPEROS EDITIONS
「ギリシア美術紀行」 福部信敏 1987年 時事通信社