『日本の美術272浄土図』は、下辺には、十六観中の後三観を開いて九品来迎図とし、向かって宇より左へ9図を並べる。すなわち、上品上品より下品下生に至る桟根の深浅にもかかわらず、等しく弥陀の来迎と印摂にあずかることができることを説明する(教善義)という。
同展図録は、綴織當麻曼荼羅(根本曼荼羅)の図様を写したほぼ同大の絵画である。建保5年(1217)に根本曼荼羅を写した當麻曼荼羅(建保本)を完成させた。延徳3年(1491)、興福寺一乗院でこの建保本の調査、採寸が行われていること(『大乗院寺社雑事記』)などから、文亀本は建保本をもとに製作された可能性が高い。
図像面で注目されるのは、鎌倉時代初めには根本曼荼羅にほとんど確認できなくなっていた(『建久御巡礼記』)、下辺の九品来迎の図像と織付縁起を完全に描き記している点である。九品の来迎は総て坐像である点や、上品の来迎阿弥陀を説法印に表す点、當麻寺の當麻寺當麻曼荼羅としては伝統的な図像であったのだろう。銘文は京都で筆入れの際三条西実隆が入念に校正しており(『実隆公記』)、既に失われていた部分までを当時の理解によって完全に復原させようとしていた様子が看て取れるという。
『日本の美術272浄土図』は、まず上三図は大乗経典を読誦し、大乗を誹謗しない者について、その修善の深浅に従ってさらに三図に分ける。したがって構図はほぼ相似していて、向かって右方に往生者のいる屋舎を配し、向かって左上方より来迎する阿弥陀聖衆の一群と、虚空中に顕現する化仏、天人、宝楼を点在させる。阿弥陀聖衆はいずれも坐像で(以下同じ)、観音は蓮台を捧げ、勢至は合掌してこの一団を先導する という。聖衆の数は上品上生が最も多く、順次数を減じるとともに背景の中に世俗相が多くなるという。
綴織當麻曼荼羅の九品来迎図がどのようなものだったのか、文亀本當麻曼荼羅(1505年)を見ると、上品上生から中品上生までの4図が銘文より右に置かれる。
上品上生図
聖衆の数17、化仏15、屋内の人物3を数える。聖衆中に比丘2を認め得るのは注目に値し、敦煌莫高窟431洞(8世紀初)、鳳凰堂来迎扉(天喜元年、1053)、鶴林寺来迎壁(天永3年、1112)、知恩寺浄土曼荼羅図(13世紀初)のそれは、数において多少があるものの、比丘衆多数を擁した古式の来迎図であることは認められようという。
立派な楼閣に坐してに経典を読んでいる者に阿弥陀聖衆の来迎がある。
敦煌莫高窟第431窟の上品上生図(描き起し図)では、光背のある阿弥陀の坐像の横に1体、光背に隠れるように1体の菩薩または比丘が雲に乗って出現するが、環来迎には阿弥陀の他に5体が雲に乗っている。往生者はどれだろう。ひょっとすると一番後ろに坐している1体かも。
上品中生図
小振りの楼閣に往生者は立っているのだろうか。
阿弥陀三尊と比丘4人の来迎がある。比丘はそれぞれ楽器を奏でている。
敦煌莫高窟第431窟の上品中生図では、阿弥陀は一人で来迎するが、環来迎には阿弥陀のほか4体が表されている。最後に小さく描かれるのが往生者だろうか。
上品下生図
扉が閉ざされ、しかも庭前に俗世間的な衝立を配置するのも、修善の浅位にかかわることをあらわしているという。
阿弥陀三尊と比丘3人が来迎する。建物には楼閣はなくなっている。
敦煌莫高窟第431窟の上品下生図では、阿弥陀は一人で来迎し、環来迎には阿弥陀の他2体が描かれるのみである。往生者が描かれているのかはわからない。
中品上生図(小さな図版しかなく、わかりにくい)
小乗善の来迎図、仏と比丘だけの三尊来迎で、その上方に還(かえり)来迎の三尊坐像を画く(以下還来迎も坐像形式)という。
文亀本では、やっとここで環来迎が描かれる。
つづいて銘文がある。
この当麻曼荼羅が、中将姫の願により天平宝字7年に造立されたいわれと、縁起、それに三辺に傍記された観経要文、九品配立文字など、しめて一千字を金書で記入するという。
中品中生から下品下生までの5図が銘文の左に置かれる。銘文は中央に記されるため、右側の4図の幅に左側は5図を表すことになり、各図は幅が狭くなっている。
中品中生図
来迎はなく、還来迎だけで、屋舎が閉扉されているのは桟根の浅さに関係しているという。
還来迎も木々の向こうに表されるだけだ。阿弥陀は坐している。
中品下生図
孝行道徳を守る者、すなわち世間善だが、観経にもいっさい来迎の様相は説かれていない。したがって、この図にも還来迎だけで、ほかには老幼人物数人の日常生活が描かれているだけであるという。
再び楼閣のような立派な建物になっている。
下三品は、五逆十悪罪を犯し、悪業を重ねた者の臨終行儀を説いている。
下品中生図
図下に漁労と料理する造悪の人を描く。しかし、阿弥陀三尊の来迎があるのは、大乗経典を誹謗しなかったからだといわれる。上方に還来迎があり、この図は構図の類似からみて、上品下生図を再構成して描いたものとみられるという。
再び来迎と還来迎が描かれている。
下品中生図
庭前の樹下に吊られた天蓋を礼拝する女人(韋提希とみられる)と侍女を配し、まわりに火焔と蓮弁を描くが、地獄の猛火も修善の結果涼風と化し還来迎に迎摂されて往生できると説くという。
下品下生図
殺生、首枷、塔婆を焼き、肉をひさぐ極俗悪の人を描く。ただ、称名念仏によって、臨終の時、日輪来迎があると説き、この図もその仔細を簡潔に描写しているという。
残念ながら、どれが日輪なのかわからない。
九品来迎図の説明をする人は誰も、せめて下品下生の往生を遂げたいとのたまうのだが、私もそう願う一人である。
しかし、下品下生では、西方浄土に往生できたとしても、気の遠くなるほど長期間未開敷蓮華の中にとどまって後、ようやく蓮華が開くらしい。
つづく
関連項目
當麻曼荼羅6 宝台に截金?
當麻曼荼羅5 十三観
當麻曼荼羅4 序分義
當麻曼荼羅2 西方浄土図細部
観無量寿経変と九品来迎図
当麻曼荼羅原本は綴織
当麻寺で中将姫往生練供養会式
※参考文献
當麻寺 極楽浄土へのあこがれ展図録」 奈良国立博物館 2013年 奈良国立博物館・読売新聞社
「日本の美術272 浄土図」 河原由雄 1989年 至文堂
「日本の美術204 飛鳥・奈良絵画」 百橋明穂編 1983年 至文堂