ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2013/06/07
X字状の天衣と瓔珞6 雲崗曇曜窟飛天にX字状のもの
北魏時代後半に都が置かれた洛陽郊外にある龍門石窟では、最初に開かれた古陽洞の北壁で、太和19年(495)銘の交脚弥勒像は斜めに条帛を懸けており、太和22年(498)銘の交脚弥勒像はX字状の天衣を着けていた。
それについてはこちら
従ってこの4年の間に仏像の中国化が進んだとみることができる。
雲崗石窟は北魏時代前半に都のあった平城(現大同)の郊外に開かれた石窟だ。
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453年に開鑿が始まり、北魏の時代に全盛を迎え、520年代まで彫り続けられた(『図説中国文明5魏晋南北朝』より)。洛陽遷都(493年)後も石窟は続いているので、雲崗石窟でX字状の天衣が出現する様子をみることにした。
交脚菩薩像 第9窟前室北壁第2層西側仏龕 雲崗中期(470-494年)
同書は、中期に開鑿された石窟は、いずれも皇族や貴族の援助によって造営され、どの石窟も十数人から数十人入ることができるという。
天衣は両肩から腕にかけて背後に懸かり、腕の関節のところで細くなって腕の内側へ通っている。
『北魏仏教造像史の研究』は、前期の着衣は、上半身裸形のものと、胸を左肩から斜めに覆う布(通常絡腋と称される幅広の布)をつけるものと2種類ある。天衣とは別の布のようであるという。これは今まで条帛という名称で呼んできた。東寺旧蔵十二天図(現京都国立博物館蔵)でも多くの天が身に着けている。
また、太和8年(484)銘金銅菩薩立像に見られる宝髻の根元に回した紐の先が後方で誇張されて翻るのは、古代イラン王が頭部のディアデム(冠帯)を翻すに由来するか?(『中国の金銅仏展図録』より)と共通する白い紐が、左右に翻っている。
雲崗石窟でも、洛陽遷都後に穿たれた龕の菩薩像の天衣はX字状に交差している。
交脚菩薩像 第11窟16龕 雲崗後期(494-524年)
『図説中国文明5魏晋南北朝』は、後期に開鑿された石窟はどれも規模が小さい。1人か2人が修行できるだけのスペースしかないく、並び方も整っていない。脚を組んだ弥勒を主像とすることが流行したという。
中期に開かれた第11窟の外壁にたくさんの小龕が開かれていて、その内の16龕と呼ばれる龕の中に彫られている。
この像も弥勒菩薩らしい。
天衣は、龍門石窟古陽洞北壁上龕の太和22年(498)年銘交脚弥勒像よりも北魏後期様式色の濃い造形で、天衣も交差した脚にかかるほど長くなっている。 ↑リンク
脇侍菩薩立像 第11窟8龕北壁西側 雲崗後期(494-524年)
11窟の外壁の8龕の中に彫られている。
『雲崗石窟』は、この菩薩像は頭に冠を戴き、天衣は十字に交叉して環を通っている端正な顔に微笑を浮かべており、落ち着いた雰囲気が表されているという。
腹前にある輪っか(環)の中央で左右の天衣が交差する。環が落ちないように、片方は環の上を通り、もう一方は環の下を通って交差している。
中期窟で年銘のある像があった。
交脚菩薩像 第17窟明窓東側 雲崗中期・太和13年(489)
第17窟は初期窟だが、明かり採りに開かれた窓(大仏の顔が見える)の東側の壁面の厚み部分に彫られた龕。
やはり第9窟前室の(一番上)の交脚菩薩像のように、天衣は両肩を覆うように表され、条帛が左肩から斜めに下がっている。
交脚菩薩像 第11窟中心塔柱南面上層仏龕 雲崗後期(494-524年)
『中国石窟 雲崗石窟』は、化仏冠を戴き、条帛は腹前で交叉し、身体は痩せている。左右に思惟菩薩が彫られ、高冠を戴き、長い裙を地に着け、条帛は交叉する。これは雲崗後期の特徴であるという。
雲崗中期窟にX字状の天衣を着けた菩薩像があったのかと驚いたが、後期には、中期窟の中にも龕を彫ったらしい。
雲崗中期にはX字状の天衣はないことがわかり、納得していたら、なんと、曇曜五窟の中にX字状に交差しているとみられる細い条帛を見付けてしまった。
供養天 第17窟西壁仏龕内側 雲崗前期(460-465年)
『雲崗石窟』は、供養天は円形の頭光を備えている。頭には大髻を結い、顔はふくよかで眉と目は細長い。跪いて両手で蓮の蕾を捧げ持ち、天衣は臂を巡って外側に翻っているという。
この風を含んで翻る様子が、中期窟になると肩にまとわりつくような表現となっとしまう。
その天衣とは別に。上腹部で丸い飾りの箇所で交差する紐状のものが表されている。
これが条帛かどうかわからないが、交差するものを表したものには違いない。
飛天 第17窟西壁仏龕 雲崗前期(460-465年)
同窟では飛天にも同様の交差する紐状のものがあり、こちらは交差部に丸い飾りはない。
雲崗石窟では、都が洛陽に遷って以降、X字状の天衣が現れる。
しかし、初期窟の第17窟では、菩薩ではなく、供養天や飛天にのみ、X字状に交差する紐状のものが見られるのには驚いた。
しかし、これが後期のX字状の天衣に繋がるものではないだろう。
つづく
関連項目
X字状の天衣と瓔珞8 X字状の瓔珞は西方系、X字状の天衣は中国系
X字状の天衣と瓔珞7 南朝
X字状の天衣と瓔珞5 龍門石窟
X字状の天衣と瓔珞4 麦積山石窟
X字状の天衣と瓔珞3 炳霊寺石窟
X字状の天衣と瓔珞2 敦煌莫高窟18
X字状の天衣と瓔珞1 中国仏像篇
ボストン美術館展6 法華堂根本曼荼羅図2菩薩のX状瓔珞
東寺旧蔵十二天図1 截金と暈繝
※参考文献
「中国の金銅仏展図録」 1992年 大和文華館
「世界美術大全集東洋編3 三国・南北朝」 2000年 小学館
「雲崗石窟」 1999年 李治国編・山崎淑子訳 人民中国出版社
「中国石窟 雲崗石窟」 雲崗石窟文物保管所編 1994年 文物出版社