法華堂根本曼荼羅図は、険しく聳える山容と深い峡谷を背景に説法図が描かれた特異な仏画だ。また、それだけでなく、奈良時代に日本で描かれたものか、盛唐期に中国で制作され、日本に請来されたものかも判明していない。
法華堂根本曼荼羅図 麻布着色 縦107.1横143.5 奈良時代(8世紀) 1911年寄贈 ウィリアム・スタージス・ビゲローコレクション
偏袒右肩に着衣が表された主尊は、穏やかな顔立ちだ。
釈迦浄土変 金堂1号壁 飛鳥時代(706-711年) 法隆寺
法華堂根本曼荼羅図よりも前に描かれた法隆寺金堂1号壁の釈迦によく似ている。
特に、穴の大きく空いた耳たぶが長く垂れ下がっているところ、弧を描く眉、肉髻の形などはそっくり。
異なる点は、身光のないこと、そして着衣だろう。
法華堂根本曼荼羅図の如来は赤い衣を偏袒右肩に着けているが、この釈迦は、大衣が右肩に少し懸かる涼州式偏袒右肩である上に、中に矩形の縁飾りの並んだ僧祇支を着て、黒っぽい大衣の裏が見えているのか、別の衣なのかが見えている。
これは敦煌莫高窟第57窟(初唐、618-712年)南壁、樹下説法図の中尊の着衣に似ている。
しかし、同じ初唐期でも、第321窟南壁の法華経変図の中尊は僧祇支は着けいてるものの、従来のインド風偏袒右肩となっていて、着衣にもいろんなパターンがあったようだ。
大仏蓮弁毛彫蓮華蔵世界図 天平宝字4年(752) 東大寺
この如来は偏袒右肩に大衣を着けていて、法華堂根本曼荼羅図の主尊と同じだ。奈良時代になると、釈迦は偏袒右肩に大衣を纏うようになったのだろうか。
如来はやや丸顔だが、大きめの螺髪が並んだ肉髻や、長く穴の空いた耳、三日月形の眉などはよく似ている。
このように主尊の容貌を見る限りでは、法華堂根本曼荼羅図は奈良時代に日本で制作されたと言って良いのではないだろうか。
関連項目
敦煌莫高窟7 迦陵頻伽は唐時代から
ボストン美術館展6 法華堂根本曼荼羅図2菩薩のX状瓔珞
ボストン美術館展5 法華堂根本曼荼羅図1風景
ボストン美術館展4 一字金輪像
ボストン美術館展3 如意輪観音菩薩像
ボストン美術館展2 普賢延命菩薩像
ボストン美術館展1 馬頭観音菩薩像
「ボストン美術館 日本美術の至宝展図録」 2012年 NHK
「ボストン美術館所蔵 日本絵画名品展図録」 東京国立博物館・京都国立博物館編集 1983年 日本放送網株式会社
「日本の美術204 飛鳥・奈良絵画」 百橋明穂編 1983年 至文堂