2012/10/12

敦煌莫高窟275窟1 弥勒交脚像は一番のお気に入り



敦煌莫高窟は南から北へと流れる大泉河の西岸にあり、石窟は明沙山東端の岩壁に南北に並んで穿たれているため、石窟の東側が入口、奥の西壁が正壁となっている。

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敦煌と聞いて日本人が一番に思い浮かべるのは第57窟の菩薩立像だろう。
この菩薩は想像していたよりもずっと小さいために、やや膝を折り気味にして、しかも保護のために前に置かれた分厚いガラスの板越しに見なくてはならない。

観音菩薩立像 57窟南壁説法図脇侍 初唐(618-712年)
『敦煌の美と心』は、右脇侍菩薩は優美な容姿をもち、豪華な装身具で飾りたて、やや頭をかしげて蓮座に立つ。光背は円形で化仏のある宝冠をかぶり、細長の顔にうっすらと紅をさしたかわいい唇と細く切れ長の目、鼻筋の通った秀麗な容貌がきわだつ。
あらわにした上半身からスカートを思わす裙が垂下し、腹部で帯を結ぶ。上半身は瓔珞や胸飾り、碗釧(ブレスレット)で飾り、腹部を連珠文であしらった錦の僧祇支がつつみこむという。
左肩にいる阿難も、右肩に見える菩薩もやはり切れ長の目をしているし、阿難のまぶたや頬には紅をさしているのがはっきりとわかる。
尚、宝冠に化仏があるために観音菩薩とされている。詳しくは後日。
そして第57窟の菩薩立像と並んで代表的なのは第45窟の菩薩立像だろう。

菩薩立像 第45窟西壁大龕七尊像脇侍 盛唐・開元年間(713-741年)
同書は、脇侍菩薩は、頭部をかしげ、腰をひねるという三曲法を用い、大腿部から下は上半身の動的な姿態と異なり直立している。白い肌にくっきりと眉がひかれ、小さな口に紅をつけ、鼻すじがすっきりと通り、切れ長の目をした顔はかすかに笑みをたたえている
裸体の上半身の胸部に瓔珞、腕に碗釧をつけ、左肩から腹部にかけて衣をまとい、肉体にぴったりと纏りついた衣は腹部の前で帯を結ぶ。
菩薩の女性的な容貌と豊満であでやかな姿態が表出していて、文化の爛熟した唐代の開元年間を代表する塑像といえようという。
確かに完成した菩薩の姿かも知れない。
しかし、私の一番のお気に入りは第275窟の本尊、菩薩交脚像だ。

菩薩交脚像 敦煌莫高窟第275窟正壁 北涼(397-439年) 塑造 
莫高窟は、第156窟の前室に墨書された「莫高窟記」によれば、前秦の建元2年(366)、沙門楽僔によって創建されたという。前秦は長安に都をおく氐族の国(『中国歴代帝王系譜』より)
『敦煌の美と心』は、五胡十六国晩期(366-439)の石窟は莫高窟に現存するものの中でもっとも古く、7つあり敦煌芸術の草創期にあたる。その様式は河西回廊の漢晋文化の伝統を受け継ぎ発展させたもので、造営には貴族や漢民族の篤信者があたっている。
ただこの時期の敦煌は、匈奴や鮮卑などの北方遊牧民が支配した「華戎の交わる」都市であり、西域諸国とも交流が盛んであったため、古拙で素朴な漢晋様式のなかにも、明らかに西域の芸術的特色がみられる。
その現存する最古の石窟で見学できるのが唯一この第275窟だ。
両肩をおおう衣は、ギリシア風の鋸歯文(のこぎりりの歯)を刻み緑色で装飾し、裸形の胸には西方文様を思わせる瓔珞や胸飾をつけ、菩薩がつけている羊腸裙は、当時敦煌で流行した服装であるという。
裙だけでなく、表現様式や文様などもすべて当時の最新流行のもので荘厳されたのだろう。

また、後壁は菩薩の左側と下部は当時のままだが、最上部と右側は後の時代の重修なので、妙な印象を受ける。
興味深いことは、本尊は塑像であるのに対し、壁面に脇侍菩薩が描かれていることである。
この妙な獅子の場所に、壁画の菩薩よりは大きな脇侍を置くこともできただろうに、なぜ脇侍をこんなに小さく描くにとどめたのだろう。こういう点も第275窟の面白いところ。
莫高窟の実測図には東入口から入って1/3の所に壁のようなものがあるが、後世に造られたもので、10年前にはすでに取り除かれていた。
窟頂は中国中原地域の木造建築を模しており、中央の両端を切妻形に折りあげた人字坡、すなわち人の字型の構造をしている。
奥行7mの正面に初期における最大の塑像といわれる高さ3.4mの交脚弥勒菩薩像が、人々を迎えるように両手をひろげ泰然と坐っているという。
敦煌莫高窟の受付や食堂のある建物の遙か左(三危山方向)に陳列館があって、様々な発掘資料などの展示と共に、幾つかの石窟のコピーがある。
フラッシュを使わなければ、カメラ・ビデオで撮影してもよいというので、ここも見学したかった。
何故なら、図版ではなく、実際に撮影したもので説明したかったからだ。しかし、その写真を見ると、やっぱり図版にはかなわないことが一目瞭然。明るさが足りない上に、照明の色が実物の色彩を分からなくしている。
それだけではない。目的を持って撮影したはずなのに、その目的に合う写真がとれていなかった。一番ほしかった入口から見た窟内全体の写真と、上下左右の切れていない主尊の写真がなかった。
窟に入って主尊を見ると、実際のものよりも小さい印象を受けた。それは本物の窟には照明がなく、扉口からの光と懐中電灯で見る像と、全体が照明されているコピー窟で見る違いかも知れない。
この獅子もお気に入りの一つ。笑っているような表情が良い。獅子というよりも犬のようだ。
もうかなり前のことだが、平山郁夫氏と東山健吾氏、そして真野響子氏が出演したNHKの『生中継 敦煌』という番組があった。

10年前、敦煌に来る前にその録画ビデオを毎日見ていたが、その度にこの獅子の後肢はどうなっているのだろうと不思議に思ったものだ。この窟を見学できたなら、一番にそれを確かめよう。
そして夢が実現した日、石窟専門のガイドさんの説明を聞きながら、ちょっとした隙にこの獅子の胴体を上からながめ、やっぱり後肢はないことを確かめた。
それにしても、胴体を直接壁と方形台座の隅から出すなんて、造った人は違和感はなかったのだろうか。
次にこちらの獅子にも後肢はないことを確かめた。
実際に石窟を見学しても、見ることはできないが、コピー窟でわかるものもある。
獅子が踏んでいる磚は、石窟では土を被ってよく見えないが、コピー窟では文様も再現されていた。中央に8弁の蓮華文、周囲に雲気文がある。
しかし、コピー窟で見ても、菩薩の裙の文様はわからなかった。

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※参考文献
「中国石窟 敦煌莫高窟2」 敦煌文物研究所 1984年 文物出版社
「中国石窟 敦煌莫高窟3」 敦煌文物研究所 1987年 文物出版社
「敦煌の美と心 シルクロード夢幻」 李最雄他 2000年 雄山閣出版株式会社
「中国歴代帝王系譜」 稲畑耕一郎監修 2000年 (株)インタープラン