2012/08/07

四神10 前漢景帝の礼制施設に四神の空心磚



漢陽陵博物館図録は、漢の景帝劉啓(紀元前188-141年)は前漢王朝第4代の皇帝である。
陽陵は、漢の景帝と王皇后が合葬された陵園である。紀元前153年に建設が始められ、28年の歳月を要して紀元前126年に竣工した。ただし両者の墓室は別になっている。
現在まで既に、漢陽陵の主要部分は、帝陵陵園、后陵陵園、南北区の従葬坑、礼制建築、倍葬墓園、罪人の墓地や陽陵邑などのいくつかの部分から成り立っていることが解明されている。
帝陵は東向きで陵園の西に位置しており、幅約110mの司馬道は平坦で東に向かって伸び3.5㎞あまり、陵邑へと直接つながっているという。
画面中央西よりの帝陵から南東に二号建築遺址がある。下中央の茶色い部分

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陵園の中心部に内外城が設けられ、正方形をなす。城の外とうちの間には大型礼制遺跡が多数あり、そのうち、一号、二号が一番重要である。
二号遺跡(羅経石遺跡とも言う)は帝陵東南約300mの場所に位置しており、幅260mの正方形で、外側に壕溝が巡っている。遺跡中部から地面より5.3mの所に版築の53.7㎡の正方形土台が発見され、主体建築の土台だと思われる。この土台の中心には石柱がある。土台の回りはレンガが敷かれている回廊と散水があり、四つの面にそれぞれ14の壁柱と3つの門があるという。
散水とは、おそらく柱穴の外側にある丸い石の敷かれた部分だろう。それを羅経石ともいうのではないだろうか。
雨水がたまらないように傾斜をつけているか、樋がないために屋根から落ちる雨水が土を撥ねたりしないような役割を果たすと思われる。
二号建築遺址は、現在ではガラス張りにして見学できるようになっているらしいが、漢陽陵博物館の見学が2時間程度ではここまで行くこともできなかった。
門の階段に四神紋様の空心レンガが敷かれている。四面のレンガ、壁、屋根は東西南北の方位によって、青、赤、白、黒四種類の色に染められているという。

四神の塼はそれぞれの守る方角の階段に敷かれていたということだろうか。
二号建築遺址の東方に造られた考古陳列館には、二号遺址より出土した塼があった。出土状況を示す写真パネルもあったが、写真ではどれが塼かわからない。
蛇足だが、背後の壁面には画像石が並んでいるのかと思ったが、2種類の図柄が何度も出てきて、現代に作られたものだっとわかった。
玄武
羅経石遺址出土 前153-126年
巨大な塼で、1mはあっただろう。しかも、左側は縦の縁がないので、当初はもっと長かったようだ。
亀の脚は短く、甲羅には大きな亀甲が並んでいる。蛇は亀に巻きつかず、甲羅の上を巡って、尾をS字形に曲げ、頭は亀の前で折り曲げている。
漢陽陵博物館図録には、全く別の図柄があった。

玄武空心磚 残長52高34厚10
亀の甲羅がいろんな形で面白い。脚も長い。
蛇は亀の甲羅をくぐり、首の背後から抜けたところで塼が欠けている。
白虎
羅経石遺址出土
博物館では寸法が記されていなかった。隣の玄武とは高さは同じだが、長さは半分くらいだった。塼は置かれる場所に合わせて幾つかの種類が作られたらしい。
顔は笑っているようだが、爪が鋭い。
陽陵の白虎空心磚は日本で開催された「始皇帝と彩色兵馬俑展」で見ていた。

白虎空心磚 漢陽陵羅経石遺跡出土 縦43㎝横118㎝厚さ16.5㎝ 前漢(前2-前1世紀) 陝西省考古研究所蔵
同展図録は、内側が空洞になっていることから空心磚と呼ばれる。また、空間があることによって保温性が高いことが推定され、それを適用した使用方法も考えられる。
表面に白虎2匹が向かい合う形が凸線で描かれている。互いに前足を揚げまさにお互いがとびかかる寸前のような迫力がある。また、側面にも虎が対峙しており、そのあいだに璧らしい円形文様がみられるという。
この塼の虎は、爪も鋭いが顔も威嚇的だ。
青龍文空心磚 残長66高37
龍はU字形に体を曲げ、左右の前脚が体の両側に表されるなど、非常に活発に動きのある描写である。
龍の左には宝珠のようなものがありそうで、脚の長い方の玄武と同じ系統の塼らしい。
胴体は鱗状、脚には点々と、表現が細かい。
朱雀文空心磚 羅経石遺跡出土 縦37.2㎝横50㎝厚さ7.5-9.6㎝ 陝西省考古研究所蔵
中国では、鳳凰は古くから表されてきたが、調べた範囲では、朱雀の出現は前漢時代だった。
孔雀のような尾羽を4枚、頭には2枚つけている。
景帝の墓室そのものは発掘されていないので、墓室に四神が描かれていたかどうかはわからない。

西晋時代の四神には翼があるが、前漢時代のものには翼はなかった。

※参考文献
「漢陽陵博物館図録」 2007年 文物出版社
「始皇帝と彩色兵馬俑展図録」 2006年 TBSテレビ・博報堂