2011/07/26

パンテオンのドームに並ぶ格間

パンテオンのドームには刳り形のある格間が縦横に整然と並び、格間の中の刳りもまた均一に造られている。
『世界美術大全集5古代地中海とローマ』は、パンテオンの円堂部の軀体は、煉瓦を両側に積み、その内側にコンクリートを充填し、大理石材を内装材として用いている。この巨大な内装空間を生み出すために、当時の最高の工学と建設技術が駆使されている。
円堂の軀体は基礎から頂部まで6つの水平な層に区分され、それぞれ異なる材料がコンクリートの骨材に用いられている。つまり、上にいくほどより軽い構造とすることで、構造的により安定した建物を造り出しているのである。さらに、コンクリート壁を横断する煉瓦の層が1.5m間隔で配置され、外側と内側の煉瓦壁を緊密に結びつけることにより、壁体をより堅牢なものにしている。

ドームの立ち上がり部分の壁厚が6mに対し、天窓の部分の壁厚はわずか1.5mで、ドームの厚さは上に行くにしたがいしだいに薄くなっているという(①~⑤の数字は格間の凹み)。
ローマン・コンクリートを使ったこと、その骨材に上にいくほど軽い材料を使ったこと、そして上にいくほど壁を薄くしたことでこのような巨大なドームを造ることができたのだ。
このように内側は完全な半球になっているが、円筒部が高いのと、外側を薄くしていったので、外から見るとドームには見えない。どちらかというとてっぺんがちょっと円い程度だったので、拍子抜けがしたのだった。
整然と並んだドームの格間にはそれぞれ4段階に刳りを入れて薄くしている。これは軽量化というだけではなく、分厚い壁体のままよりも、このように均一の刳りを入れた方が丈夫な壁になっているのではないだろうか。
この刳りのある格間は、ポンペイの浴場のドームにも、ドムス・アウグスターナのドームにもない。パンテオンで初めて採用された技術だろうか。

同書は、格子模様のドーム天井はパレストリーナ、フォルトゥナ・プリミゲニア神域のヴォールト天井までさかのぼれるという。
前80年に格間がすでにあったらしい。しかもドームの天井に。そのドームは円錐形だったのだろうか、それとも半球状だったのだろうか。
しかし、やっと見つけたこの図版からはドームがわからない。
その後、格間天井がどのようであったかわからない。次に見つけたのは、後1世紀末のものだった。

ドミティアヌス帝(在位81-96)がパラティーノの丘に建てた宮殿の私的空間がドムス・アウグスターナで、その東にはスタディウムと皇帝観覧席を建てた。観覧席といっても大きな建物で、東入口から入って丘を登っていくと、その裏側がまず見えてくる。
半円形の高い建物の遺構がの傍を南側へと歩いていると、上の方に刳り形の痕跡があるのに驚いた。
回り込むと、その外側を巡るような背の高い通廊が部分的に残っている。見上げるとそのカーブするヴォールト天井に刳り形の格間が整然と並んでいるのだった。
トラヤヌス帝(在位98-117)が建てた市場もコンクリートの特性を活かしたヴォールト天井やドーム(『世界美術大全集5古代地中海とローマ』より)があったというので、それらの天井もまた刳り形のある格間が、このように並んでいただろう。

トラヤヌス帝の後を継いだハドリアヌス帝が建てたのがパンテオンだ。そのドームの大きさは真上を見上げて撮ると、カメラに収まらないほどだった。
フォロ・ロマーノにあるマクセンティウスのバシリカは巨大な建物で、パラティーノの丘からフォロ・ロマーノへと下りる辺りからよく見えるが、その格天井は近くまで行って見上げないとよくわからない。
306年にマクセンティウス帝が建て始め、312年にコンスタンティヌス帝が完成した(『ROMA』)らしいので、パンテオンから200年も後のことだ。
格間といえば四角形だと思っていたが、ここにあるのは八角形だった。ヴォールト天井には八角形の格間が12個ずつ5列並び、4つの八角形が囲む隙間には小さな四角形の格間が造られている。
このバシリカは傷みも激しく、格天井の一部が落ちていた。その断面を見ると、レンガがぎっしりと入っていて、軽さが感じられない。
パンテオンのドームの格間は整然と並ぶ美しさだけでなく、壁体を軽くするためにローマン・コンクリートを使い、格間に刳りをいれたのも、できるだけ薄く軽くするためだったが、時代が下がるとそのようなことは忘れられてしまったのか。
フォロ・ロマーノの東端、コロッセオの西隣にあるローマとウェヌス(ヴィーナス)の神殿には、ドームがあったのか、菱形の格間がその名残を留めている。
基壇の大きさは145mX100mで、クイリナーレの丘にあったイシスの神殿と並んで、ローマ最大の神殿である。ハドリアヌス帝がネロ帝のドームス・アウレアの廃墟の跡に135年に建てたという。

パンテオンで四角形の格間のあるドームを造らせたハドリアヌス帝は、別の神殿で菱形の格間のあるドームを造らせていたのか?
神殿の周りには10本X2、20本の柱からなる広いペリスタシスがあり、後ろで壁を合わせる形で2つの対照的な豪華な部屋があった。307年のマクセンティウス帝の修復にさかのぼるアプシスの豪華な構造が2つの部屋の特徴となっているという。
先ほどの巨大バシリカを建てたマクセンティウス帝だった。
ハドリアヌス帝の時代には重量軽減ということで刳りのある格間がドームに採用されたが、マクセンティウス帝の時代には、重量軽減など考えられず、刳り形のある格間は、ヴォールト天井やドームのただの意匠となってしまったようだ。

※参考文献
「ROMA ローマの昔の姿と今の姿を徹底的に比較する!」(2001年 Electa)

「世界美術大全集5 古代地中海とローマ」(1997年 小学館)