2011/05/20

エジプトのコアガラスは

『古代ガラス展図録』は、エジプトでは、前15世紀前半、新王国時代第18王朝のトトメスⅢ世の治世に突然、完成されたガラス容器が出現した。すでにガラス容器の製作が開始されていたシリアやメソポタミアへ遠征を繰り返したこの王が、ガラス職人を連れ帰って王宮の工房で作らせたのが始まりと考えられているという。
ガラスの製作はシリア、メソポタミアからエジプトに伝播したと考えていいらしい。

トトメス3世銘入り坏 エジプト 前15世紀 バイエルン国立エジプトコレクション蔵
『古代ガラスの技と美展図録』は、メソポタミアとエジプトのどちらが先にコアガラスを始めたのか、両者の関係については論議がありますが、年代的にはメソポタミアの方が古くから始まっています。今のところメソポタミアでは、紀元前16世紀末の北シリアのアララク遺跡から最古のコアガラス容器片が出土しており、エジプトで最古とされているのはトトメス3世(紀元前1490-1437年頃)の銘の入った見事なガラス器ですという。
口縁部が一番広くしたの方がすぼまっている。メソポタミアの脚坏よりは高台が大きく安定感がある。 メソポタミア出土の脚坏はこちら  
アララク出土のコアガラス容器片はこちら
他の色ガラスの文様がよく溶けて本体になじんでいるのに対し、トトメスⅢのカルトゥーシュは、後で印を押したように出ている。
脚部にも色ガラスを巻きつけているが、正面は縦線になってその後半時計回りに一周している。その線がゆがんでいるので、おそらく遠征で連れ帰ったガラス職人が作ったのではなく、まだ習熟していないエジプト人が作ったのだろう。

波状文長頸瓶 マイヘルプリ墓出土 前15世紀 カイロ博物館蔵
『世界ガラス美術全集1古代・中世』は、トトメス三世時代のガラス器群と次の時代のアメノフィス二世時代をつなぐ過渡期の墓より出土した波状文長頸瓶があり、この瓶がメソポタミアのアッシュール第37号墓出土の長頸瓶と酷似していることが、D.バラッグ(D,Barag)によって指摘されている。この墓主は非王族のマイヘルプリで、この長頸瓶の開口部を覆った麻布には、トトメス二世の王妃で、王の死後、幼少のトトメス三世の摂政として20余年にわたり権力を握ったハトシェプスト(前1490-1468)のカルトゥーシュがつけられている。マイヘルプリはアメノフィス二世に仕えた高官であったことから、マイヘルプリの墓の年代はトトメス三世からアメノフィス二世の過渡期に位置づけられているわけである。そしてこのマイヘルプリの長頸瓶の波状文の様式が、これに続く時代の典型的な波状文、あるいは羽状文、ジグザグ文等の線文様を施したガラス器へと移行していく過渡期を示しているという。
それではマイヘルプリ墓出土の長頸瓶はエジプト製なのだろうか。
同書は、これと同形式のアンフォーラ形の壺が、メソポタミアから出土していて、エジプト古代ガラスとメソポタミアの古代ガラスが密接な関係にあったことを如実に物語っているという。
ここまで似ていると同じガラス工房で作られ、どちらかに運ばれたとしか思えないのだが、エジプトのガラス容器が、ガラス発祥の地メソポタミアに運ばれたとは思えない。参考にしている文献が古いせいだが、現在だったら成分分析をすればどこで作られたものかはっきりするだろう。
シェブロン文長頸瓶及びそのスタンド アメノフィスⅡ世墓出土 高40㎝、スタンドの径3.8㎝ 大英博物館蔵 
『世界ガラス美術全集1古代・中世』は、復元内容から、きわめて水準の高い技術が使われていたことを示している。他の復元作品も20-15㎝の大型作品で、装飾されている文様や器形にも、高度な技巧が使われているものが多い。こうした大型作品はアメノフィス二世時代に特有のもので、他の時代にはみられない大きな特色である。トトメス三世時代に導入されたガラス工芸の新鮮な感激が、次代において最高に開花した状況を示している。その状況が、王墓に76点ものガラス器の埋蔵という現実となって現れたのであろうという。
アメノフィス二世とはアメンホテプⅡのことである。
この容器の図版については疑問が残る。本文には「高さ40㎝に達する巨大なシェブロン文の長頸瓶(挿図47)」となっているのに、図版の下側には「挿図47 シェブロン文長頸瓶 キプロス アマタス出土 前2世紀-前1世紀 高16.5㎝ 大英博物館」となっているし、図版のガラス容器は前2-前1世紀に製作されたアンフォリオコス型コアガラスの特徴が見られるからである。
最高といわれる品質のガラス容器が76点も副葬されながら、どの文献にも1点の図版も載せられていないとは残念だ。
続くトトメス四世の墓からは、85点のガラス器断片が出土し、そのなかから、少なくとも35種以上のガラス器が埋蔵されていたことが明らかにされた。推定復元作品の高さは、おおむね10㎝前後で、色は淡青、濃青、茶褐色の素地に、白、黄、青の波状文や羽状文、口巻き装飾のものが大部分で、トトメス三世時代の木葉文や草花文、アメノフィス二世時代の円花文や十字文、シェブロン文等はあまり認められない。文様のデザインは概して適当な区分に、あまり計画的に配置されていない随意的な波状文等が施されていて、ガラス器の製作水準が、前の時代よりもやや後退していることを示している。しかし、器形等については、台付双耳壺や片把手付長頸瓶等、ヴァリエーションが少なくなり、工人の職業化が進んでいる状況をうかがわせるという。
もう最盛期が過ぎてしまったのか。 

脚杯 エジプト 前14世紀前半 ガラス 高7.7㎝口径5.4㎝底径3.0㎝
「古代ガラス展図録」は、文様帯は、口縁部から杯の上半部までと、杯の下半部から脚部下端までの2つに分かれる。上方は、黄色と白色のガラス紐を螺旋状に巻き、上方に引き上げて垂綱文を施す。下方は、黄色ガラスを上下に挟んで白色ガラス紐を5本並べ、上下に引っ掻いて羽状文を作り出す。羽状文の上端は大きく引き上げられて上部文様の下端に達しており、容器全体の装飾を一体感のあるものにしている。杯部の文様が口縁部と脚部まで達していることから、施文してから口縁部を張り出させ、脚部をひねり出したことがわかる。形、文様ともに極めて繊細で優美な作品である。
こちらも同じような形の脚付坏だ。前14世紀前半というと、砂に埋もれていたギザのスフィンクスを掘りだして前足の間に夢の碑文を置いたトトメスⅣか、息子でルクソール神殿を建設したアメンホテプⅢの時代になる。
トトメスⅣ期はあまり優れたガラス容器が作られなかったということだし、アメンホテプⅢが都を遷したマルカタでは、王宮内にガラス工房があったらしいので、アメンホテプⅢが作らせたものだろう。
羽状文と垂綱文、器の上下で文様を変えている。下の羽状文は上の垂綱文の2倍ほど引っ掻き上げ、その間を引っ掻き下ろして作り出し、しかも底に別の作った高台を取り付けるのではなく、コアガラスの底から脚部を作り出すというのはかなりの技術だ。
メソポタミアのように幅の狭いジグザグ文ではなく、ゆったりとした幅の文様がエジプト人の好みだったようだ。
ガラス容器 王家の谷・西谷アメンヘテプⅢ世墓出土(KV22) ガラス 高3.6㎝口径4.4㎝幅6.0㎝厚0.6㎝
『早大エジプト発掘40年展図録』は、コバルトブルーやスカイブルーを基調とするガラス製容器は、アメンヘテプⅢ世時代にマルカタ王宮で盛んに生産され、特にコア技法を用いた複雑な装飾の多彩色ガラス製品が生産された。ガラス製作技術は、新王国時代初めに西アジアからもたらされ、アメンヘテプⅢ世の時代に最盛期を迎えた。当時、ガラスは珍しく高価でであったためガラス生産は王の管理下に置かれていた。マルカタ王宮、アマルナ王宮などで工房址が発見されているという。
このように破片のままのものは、溶けた色ガラスが、内側でどのようになっているかがうかがえる。
魚形容器 新王国第18王朝 前1360年頃 テル・アル=アマールナ出土 色ガラス 高さ8.4㎝ 大英博蔵
『世界美術大全集2エジプト美術』は、この魚形容器は、青いガラスを本体に、白色と黄色の形ガラスを使って文様が描き出されており、波状の文様がうまく魚の鱗の様子を表している。渦巻き状の目は、深い紫と白のガラスを捻り合わせたものを張りつけ、背鰭や尾鰭は後から本体を熱して行われたと思われる。
この容器は、アメンヘテプ4世治下の王都アマールナの住居の床下から出土したが、ガラスの色調や器形から、アメンヘテプ3世治下の王都マルカタの工房で作られたものと考えられている。当時のガラス工芸の技術が遺憾なく発揮され、魚の特徴をガラスによってうまく表現しえた逸品である
という。
これも置物ではなく、実用の器だ。

アメンホテプⅢの息子がアメンホテプⅣで、アクエンアテンとも呼ばれた王で、特異な肖像が残っている。
『世界ガラス美術全集1古代・中世』は、 テル・エル・アマルナのガラス窯を出土しているアマルナ宮殿は、アメノフィス四世の時代に遷都して、わずか16年間だけ都とされていた場所であったが、ここで出土したガラス器は、マルカタ時代の延長線上に位置し、把手や開口部あるいは胴部に縄目文の装飾をつけたものが多くなる点に、一つのデザイン上の進展があったにとどまっているという。


縄目文縁取り台鉢 新王国第18王朝(前14世紀) 高4.0㎝径8.5㎝ メトロポリタン美術館蔵
同書は、青色の素地で、口縁部と坏部の底にあたる部分を張り出して、脚台をつけ、口縁部と坏底部、脚台基部、台縁部に、青と黄色の縄目文のガラス紐飾りを熔着装飾している。デザイン上も洗練された造形となっており、ガラス工人の高度な職業化が認められるという。
アクエンアテン期と特定できるガラス容器の図版もない。縄目文ということで、ひょっとするとこの鉢はアクエンアテンが作らせたものかも。
『世界ガラス工芸史』は、アマルナの窯跡から発見されたガラス・インゴットの容器と、トルコのウル・ブルン沖で沈没した紀元前2000年紀の船の積み荷であったガラス・インゴットの大きさがほぼ一致したり、アマルナ製のガラスと思われる製品と、これら地中海域のガラスの成分がほとんど同じであることから、一説にはアマルナではガラス製品だけでなくガラス・インゴットの製作まで可能であったとも言われている。
このようにエジプトにおいて繁栄を見せたガラス製作ではあったが、19王朝末期から20王朝に至るころになると急激な衰退をみせるようになるという。

※参考文献
「MUSAEA JAPONICA3 古代ガラスの技と美 現代作家による挑戦」(古代オリエント博物館・岡山市立オリエント美術館編 2001年 山川出版社)
「ものが語る歴史2 ガラスの考古学」(谷一尚 1999年 同成社)
「ガラス工芸-歴史と現在」(1999年 岡山市立オリエント美術館)
「古代ガラス」(2001年 MIHO MUSEUM)
「大英博物館展-芸術と人間図録」(1990年 日本放送協会・朝日新聞社)

「吉村作治の早大エジプト発掘40年展図録」(2006年 RKB毎日放送株式会社)
「大英博物館エジプト美術展図録」(1999年 朝日新聞社・NHK)

「世界ガラス美術全集1 古代・中世」(由水常雄・谷一尚 1992年 求龍堂)