2010/12/10

第62回正倉院展5 蓮華の作り物は茎が曲がりくねっている


飛鳥時代から奈良時代の蓮華といえば、軒丸瓦や仏像などの台座を思い浮かべる。また、散華として蓮弁の形に切り抜いたものも法会に使われたことが想像できるが、当時貴重だった紙が使われたかどうか。そう言えば、良県立橿原考古学研究所附属博物館の「奈良時代の匠たち-大寺建立の考古学-展」では、薬師寺金堂基壇出土の銅鈴に蓮弁の文様が毛彫りされていた。

そう思って調べてみると、散華美術館というホームページを見つけた。そこには緑金箋という花弁形の色紙が紹介されていた。しかも、それは正倉院宝物で、第46回正倉院展に出陳されたようだ。当時すでに色紙を花弁形に切ったものを散らす、散華ということが行われていたのだ。
しかし、今年の正倉院展で見た物は、蓮華や蓮弁で思い浮かべるものを遙かに超えたものだった。

蓮華残欠 正倉院南倉 径33.0総高30.0 ホオ・金銅・木・黒漆・銀箔・金箔
同展図録は、蓮池に咲く蓮をかたどった作り物。ホオの一材を刳り抜いて作った池に7基の岩石をかたどった突起をもつ堤をめぐらし、池中央に十字型の州浜を作り出して、そこから蓮を生ぜしめている。
蓮は州浜に差し立てた金銅製の茎に木製の花弁・蓮肉・蓮蕾・荷葉を取り付け、開いた荷葉と萼は黒漆地に銀箔押、花弁・蓮肉・蓮蕾・巻葉は黒漆地に金箔押という。
蓮の茎はこのように曲がりくねっているものだろうか。  
加東市の平池水生公園では大賀ハス(2000年ハス)が栽培されている。
その説明板に、大賀蓮は、昭和26年千葉県検見川遺跡の地下7mの青泥中から古代人の使っていた丸太舟などと共に3粒の種が発掘された。蓮の研究で有名だった当時の東京農工大教授・大賀一郎博士が苦心のすえ3粒の発芽に成功され、翌27年7月に素朴な花を咲かせた。
ラジオカーボンテストで時代測定を試みたところ、2000年以上も昔の蓮とわかり大賀蓮とも、2000年蓮ともいわれるようになったとある。
平池水生公園の大賀ハスは、写真のように茎も蕾も葉もまっすぐな茎の先についている。他の種類のハスもいろいろとあったが、茎のねじれ曲がったハスを見た記憶はない。
蓮弁は蓮肉に挿した小釘に1枚ずつ差し込んで固定されており、1箇の蓮花をなしているという。
仏教伝来よりも前から日本にあるハスなのに、何故こんなに曲がりくねったハスを表したのだろう。しかし、その花弁が開いている様子はリアルに表現されている。

そう思ったが、大賀ハスを見ると花弁に反り返りはない。
また、堤には赤・緑・茶・銀色など様々な彩色の痕があり、州浜には金箔が押されている。蓮池の底には白緑(びゃくろく)で彩色を施した上に白砂が敷かれ、ところどころに実際のナデシコガイ・ウメノハナガイ・イチカワチグサガイなどのいずれも近海で採集されたとみられる貝殻が散らされているという。
池などで育つ蓮なのに、海の貝を底に置くというのもみょうだ。この蓮は自然に生えているものを表したのではないのかも。


六角几甲板(ろっかくきのこういた) 正倉院南倉 径30.3厚1.3 ヒノキ・彩色
花形のかざりを載せた台の天板と考えられる六花形の台。中央の孔の下方に「七茎金銅花座/天平勝寶4年4月9日」の墨書銘があり、 ・・略・・ 天平勝宝4年(752)4月9日に挙行された大仏開眼会に際し、堂内が造花や散華で華やかに飾られた折に、本品も用いられたとものとみて差し支えないであろうという。
大仏開眼の時に用いられたものだったとは。

※参考サイト
散華美術館緑金箋

※参考文献
「第62回正倉院展目録」(奈良国立博物館監修 2010年 財団法人仏教美術協会)