2010/06/22

サッカラの階段ピラミッドへ


ナイル両岸の緑地帯にはナイルから水を引いた水路が広い物、狭い物たくさんある。移動する時は水路の脇に付けられた道を通ることになる。この付近一帯はナツメヤシ農園が多い。

階段ピラミッドへは緑地帯の西の端から河岸段丘をのぼっていく。
ナツメヤシ林を過ぎて坂を上りかけて右へそれる。イムホテプ博物館の前でトイレ休憩。この駐車場からナツメヤシ林を眺める。
道路に戻ると砂一色の世界。岩山も積もった砂も同じ色なので見分けがつかないが、遺構のようなものが目の前をよぎった。
遺跡らしいと眺めていたら丘の上に階段ピラミッドが見えた。
しかし、すぐそこのようでなかなか近づけない。河岸段丘の岩山の上へと進んでいくと、右側に砂山のようなものが現れた。テティのピラミッドらしい。テティは第6王朝初代(前2345年~)の王なので、ジェゼル王(第3王朝初代、前2686年~)の階段ピラミッドよりも300年ほど後に造られたのに崩れ方がひどい。
左側にウセルカフ王(第5王朝初代、前2494年~)のピラミッドが見えてきた。こちらも階段ピラミッドよりも後世に造られたのに、瓦礫がピラミッド状に積まれてる風に見える。
ガイドさんの説明では、王朝の力が弱まった頃に造られたので、外側は石でも内部が日干レンガで造られたりして、構造的に弱いらしい。
だいぶ近づき、6段のうち5段が見えた。すると突然ピラミッドが崩壊?いや、砂嵐などで石の段に積もった砂が落ちる砂煙だった。
『吉村作治の古代エジプト講義録上』は、第3王朝に入ると、いよいよピラミッド時代の幕開けである。
その皮切りとなったのは、エジプト史上初のピラミッドとして知られるジェゼル王の階段ピラミッドだ。
サッカラに聳えるこの巨大な建築物は、下から上に行くにつれてだんだん小さくなる6段の階段状になっており、その基底部は東西方向に約140m、南北方向に約128m。全体の高さは約60mである。
建築材料は、それまでの建築物やマスタバのほとんどが日乾レンガを素材としていたのに対し、ここでは石材が用いられている。
この変化のもつ意味は重要である。古代エジプトでは、王宮であれ、一般の民家であれ、人々が実際に住む家に石材が使われることはなかったという。 
このジェゼル王のピラミッドは、のちの他のピラミッド群と比較しても、きわめて特異な性格をもっている。それは、ピラミッドを含む敷地全体が高い塀で囲まれ、その全体が外界と完璧に隔絶された空間を構成している点だ。
周壁は東西に277m、南北に545mの正確な長方形をなし、その中央に階段ピラミッドが位置しているという。

しかし、実際には東側の周壁は崩れていて、セド祭殿の建物が見えている。
だからといって、どこからでも複合体の中に入って良いというものでもないようだった。

※ カメラで撮影したものは空がどんよりと曇っていますが、ビデオ撮影したものを画像として添付したものは青空になっています。雨粒が窓ガラスに付くくらいなので、青空ではありませんでした。 

※参考文献
「吉村作治の古代エジプト講義録上」(吉村作治 1996年 講談社+α文庫)
「世界遺産を旅する12 エジプト・アフリカ」(1999年 近畿日本ツーリスト)