2010/04/20

イコノクラスム以前のモザイク壁画 聖像ではないので


ビザンティン帝国では726年から843年まで、中間期を挟んでイコノクラスム(聖像破壊運動)があったために、それ以前のモザイク壁画はことごとく破壊されてしまった。
イスタンブールは当時のビザンティン帝国の首都コンスタンティノープルだったために、いち早く壊されてしまっただろうが、聖像でなかったモザイク壁画は一部残っている。

『世界美術大全集6ビザンティン美術』は、ユスティニアヌス帝は威信をかけてただちに再建に着手し、5年後の537年12月27日に現在のアギア・ソフィア大聖堂の献堂式が行われた。  

ナルテクス天井モザイク イスタンブール、アヤソフィア大聖堂 トルコ
6世紀にはドームに十字架のモザイクが施されていたらしいが現存しない。装飾文様のモザイクの一部が、6世紀のオリジナルであるといわれているという。
アヤ・ソフィア(と呼びなれているので、引用以外はアヤ・ソフィアとする)を再訪してすでに15年になる。その時もモザイク壁画についてはほとんど知識がなかったが、偶然「6世紀のオリジナルの装飾文様」を撮っていた。6世紀当時モザイクを埋め込むのにバラツキをもたせたかどうかわからないが、、ヴォールト天井の壁面がかなりゆがんでいるために「ゆらぎ」が生じている。
蕾に羽が生えたものを十字に組み合わせ、更にその内側に対角にも同様のモティーフを描いていて、不思議な文様だ。 
こちらはどのあたりにあったヴォールト天井かわからないがかなり剥落しているて古そうに見える。やはり十字から発展したような文様を2種類交互に配している。
アーチの内側のモザイク イスタンブール、アギア・ソフィア大聖堂階上廊 537年
2階ギャラリーなどのモザイクは中期以降のものであるというが、キリストや皇帝などを主題としたモザイクはともかく、植物文様のような聖像ではないものは破壊を免れたのではないだろうか。

アーチの内側が3つ見えるが、どれも異なった植物文、あるいは唐草文様のようで、力強い表現だ。こんなに人目につかない場所でも1つ1つデザインを変えている。どれだけの種類の文様があるのか、ゆっくりと1つ1つ見て回りたいものだ。
植物文様の縁には上のヴォールト天井の文様と同じモティーフが巡っている。
アヤ・ソフィアの近くにアギア・イリニ聖堂がある。トプカプ宮殿を観光する時に、そばを通ったのに中に入れず残念だった。公開されていなかったのかも。
アプシスのモザイク イスタンブール、アギア・イリニ聖堂 8世紀中頃 トルコ
『ビザンティン美術への旅』は、アギア・ソフィアに次いで巨大な聖堂。現存する聖堂はユスティニアヌス帝の奉献になるが、740年の地震で大破し、再建された。内部、アプシス(後陣)にはイコノクラスム(聖像破壊運動)時代のモザイクによる巨大な十字架装飾が残っているという。
イコノクラスムで以前にあった素晴らしいモザイク壁画が壊され、十字架だけが表されたのだと思っていたが、地震で崩壊したとは。 
周囲の装飾帯もモザイクのようだが幾何学文の文様帯くらいにしか見分けられない。


イコノクラスム以前のモザイク壁画2 破壊を免れたもの

関連項目
イコノクラスム以前のモザイク壁画7 パナギア・アヒロピイトス聖堂1 モティーフいろいろ
イコノクラスム以前のモザイク壁画6 アギオス・ディミトリオス聖堂2
イコノクラスム以前のモザイク壁画5 アギオス・ディミトリオス聖堂1
イコノクラスム以前のモザイク壁画4-「ゆらぎ」は意図的に
イコノクラスム以前のモザイク壁画3 ラヴェンナ


※参考文献
「ビザンティン美術への旅」(赤松章 益田朋幸 1995年 平凡社)
「世界美術大全集6 ビザンティン美術」(1997年 小学館)